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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント



             市田京美+トマ・デュシャトレ インタビュー

                              インタビュアー:中山登美子+古後奈緒子


 
  市田京美+トマ・デュシャトレ(フランス/リール)共にピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団にてダンサーとして活躍。『春の祭典』『コンタクト・ホーフ』『パレルモ、パレルモ』など多数の作品に出演する。'95年デュシャトレがフランスにて独自のカンパニーを設立。'98年より市田も同カンパニーに参加。ダンス指導、リハーサル・ディレクター、ダンサーとして活動を共にする。本年5月には神戸アートビレッジセンター、横浜赤レンガ倉庫での公演を予定。今回のwsではピナ・レパートリーも特別にレッスン。(提供:京都の暑い夏)
 


 ワークショップを通して受講者たちに伝えたかったことは何ですか?

市田 私は長い間、ピナ・バウシュという振付家の下で踊ってきましたが、その間、私がピナから受け取ったことです。1982年にカンパニーに入り、1998年の退団後も、2002年の日本との共同制作公演までゲストで関わり続けましたが、その間、ダンスが動きのことだけではないということに始まり、あらゆる試みをともに体験しました。日本では幼い頃しかダンスをしていないのでこちらのダンス界のことはわかりません。でも、こういうことは、日本ではなかなか学べないんじゃないかと、在籍中から日本のダンサーに伝えたいとは思っていました。

デュシャトレ このワークショップは異なる方向性を持ち、目的も一つではありませんでした。それは、今年、カンパニーで様々なアーティストがコラボレーションをしており、今回初めて来日する者もいるというユニークな状況を踏まえたからでもあります。素晴らしいバックグラウンドを持ったバレエミストレスの市田京美、ミュージシャンのジャン=ポール・ブレディフ、そして振付家、舞踊教師の私に、ダンサーたち。3日間の間に、これら異なる人々がともに働くためのあらゆる可能性を見せようと思いました。始まりはモダンダンス、特にドイツのモダンダンスの基本的なテクニックでしたが、そこには京美がピナから受け取ったものがたくさん含まれていたはずです。そこから空間、時間、リズム、音楽など、構成を考えて、クリエーションに進みました。また、今回は、ミュージシャンが生で演奏するという稀な機会を持つことができたわけですから、音楽とダンスの関係にもフォーカスしました。

 どんなふうに?

デュシャトレ 異なるやり方で探求したり、実験したりしようと思いました。最初は、ジャン=ポールが演奏する音楽をダンサーが追う、ビートやリズムに合わせて踊る。人が自然に音楽と結ぶ普遍的な関係です。古典的、保守的と言ってもいいようなやり方ですが、音楽が体に与える刺激、エネルギー、生の感覚を知るのは大切なことです。その上で、音楽から離れて踊るという考えに進みました。そこではダンスは、音楽に従わずとも、ステップを踏んだり、体を動かすことで独自のリズムを生み出すことができます。ダンスをそれ自体が備える構造やリズムで見る、より現代的なアプローチです。このように、ダンスと音楽がそれぞれ自律した上で関係を探るといった考えは、20世紀の偉大な発見だったわけですが、両方をやってみて、様々な可能性を探りました。

 今回のワークショップの手応えは? 

市田 ワークショップは基本的に期間が短いので、すぐ成果があらわれるといったような、過度な期待はしないようにしています。みなさん、頭ではすぐに理解されます。でも、体が何かを得るのは、それなりに時間がかかるものです。特に新しいテクニックとなると、すぐに消化できるものでもありません。でも今回は、3日間集中して時間をとることができたので、かなり進歩があったと思います。人数が多すぎずスペースが広かったのも良かったんでしょうし、こちらで教えると、生徒の真面目さと集中力には驚かされます。教育から来ているのでしょうが、集中するので覚えるのがすごく速い。一方で、人に影響を受けやすいというか……、ここはそうではありませんでしたが鏡のある教室でやったりすると特に、外から入るようなところが見受けられますね。

デュシャトレ そうだね。集中する能力は本当に素晴らしい。長時間でも集中を切らさず、ちゃんと“そこに居る(present)“し、何かを話すと全身でぱっとこちらを聴いてくれる。これは教える者にとって、気持ちいいですね。逆に弱いかなと思うのはイマジネーション。どんな風に感じたか、どう受け取ったかについてフィードバックを求めることがあるんだけど、そんなとき、自分を表現するのはちょっと難しいようだと感じます。言葉でも身体でも。

市田 個人主義の文化とか、教育などの背景が違うんでしょうね。フランスの学校なんかだと、フィードバックを求めたら、たくさんの意見が返って来すぎてもう大変(笑)。

デュシャトレ だから今回、一人で作業する時間を設けました。ここではそれがチャレンジなんですね。エクスプレッションというのは、何かを内から外へと押し出すこと。それはダンスだけじゃなく、女性にとっても大事なことです。イサドラ・ダンカン、マリー・ウィグマン、マーサ・グラハム、そしてピナ・バウシュらのやったことを振り返ってみれば、女性の解放は、動きや身体の解放という意味で、ダンスとも結びついていたわけです。そういった面で、僕は、初めて来日したときより日本は変わったと思う。今のほうが、女性が自分や自分の体に対して、より誇りを持っている印象を受ける。単なる対象ではないし、劣等感も少ない。実はそういったことは、ダンスにとって、大切なことなんです。

 このフェスティバルのユニークだと思うところはどういうところですか?

市田 なんと言っても、場所が良かったです。昔の学校の建物だという落ち着きもあるし、トーマスと違って、私はやっぱり懐かしい感覚もあります。

デュシャトレ 僕も最高のロケーションだと思う。まず京都は特別な雰囲気を備えている。そしてかつての学校の建物を利用したこの場所は、何かを伝えてゆく場の美しい象徴になっている。ダンスをどのように伝えてゆくかという仕事に最適ですね。加えて、参加者たちにも恵まれていました。様々な人と働いた経験のある、成熟した人々が集まってくれて、これは主催者の長年の積み重ねによるものでしょうね。

 京都市には同じ様に、古い学校を文化的な目的のために利用した施設が10あるんです。中でも2000年にオープンしたこの京都芸術センターは、アートシーンの発展、特にダンスや演劇といった稽古場を常に必要とする活動に対する大きな支えとなっています。90年代に始まったこのワークショップフェスティバルなどと、こういった施設の協力で、地域のダンスシーンは大きく変わったんですよ。

市田+デュシャトレ それは素晴らしいことですね。今後もそうあって欲しいものです。

 踊るときに大事にされていることは何ですか?

市田 自分に自信を持たせてステージにゆくことです。意外に思われるかも知れませんが、何年やっていても、何十回、何百回同じことをやっても、自分に自信が持てないんですね。ピナのダンサーは、どこへ行っても大成功で鼻高々といったイメージを持たれるようなのですが、実は一人一人、すごく自信がないんです。というのは、ピナの方針にも関係しているのですが、彼女はダンサーを褒めないんですよ。例えば、公演ごとに駄目出しをすごく時間をかけて丁寧にやるのですが---作品をとても大事にしているので、初日が幕をあけてもすべての公演に目をとおして駄目出しをします---その時ピナは、悪くなければ何も言わないんです。それはオーケーだから言わないんだけれど、入ったばかりの頃はそれもわからない。ピナの前に4年半在籍したカンパニーの振付家、スザンヌ・リンケが、褒めて自信を持たせてくれるのとは対照的で、だんだん不安になるわけです。すごーく落ち込んでいると、「京美—、良かったよー。」と声をかけてくれるけれど、逆に言えば落ち込まないと上げてくれない(笑)。だから、自分で自分を奮い立たせて舞台に立つということが、私にとっては一番大事なことでした。これはピナから直接聞いたことではないのですが、彼女は、褒めることによってダンサーが育っていかない、そこで停まってしまうと考えているらしいんですね。常に疑いを持っていれば、伸びてゆくと信じている。踊りもハードでしたが、実際に辛いのは体ではありません。精神的にかなり強くならないと、とてもやっていけなかったと思います。

デュシャトレ 京美が踊ることについて答えたので、私はダンスを創ることについて。ダンスのクリエーションにおいて私が求めているもの、ダンスにおいて最も美しいと思われるものは、スピリットです。ダンスはもちろん体でやるフィジカルな事柄ですが、フィジカルなレベルに留まっているダンスは、私にとっては退屈です。体や動きからそれを超える精神性を受け取るほうが面白い。誰もが心を持っており、人が動く時、何かを指紋や足跡のように残してゆきます。人格のようなものが、空間と時間に刻印されるんですね。動くときに残る、その人自身の精神の跡をダンスで見せなければなりません。それが見えたとき、私はとても幸せですね。

市田 私がピナのところで学んだのも、同じように、動きやテクニックプラスαの大切さと言えると思います。それは努力で身につけることができるものか? もちろんそれも大事ですが、私はいろんなことを体験して得られる人生経験のようなもののほうが大切なんじゃないかと思います。舞台の上では裸のようなもので、その人が見えてくるか見えてこないかは、その人の生き方に関わっている。現在、ピナのカンパニーでは、若い人たちとドミニクや私たちの世代が一緒に踊っていますが、それを見ていても、同じことをやっていて何がこんなに違うのだろうとよく思いますね。すごくきれいで上手だけれど見てて何も感動しないこともあれば、じわーっとにじみ出てくる何かに目を奪われることもある。ピナは、そういった部分を含めて、一人一人のダンサーの一番いいところを引き出してくれたんだと思います。20年ちかく彼女の元でダンサーとして仕事をしてきましたが、たとえ同じ年数でも彼女とでなかったなら、今の私はないと思います。

 ダンスを見るときに大事にされていることは何ですか?

デュシャトレ 一見、踊ることと別のようですが、私にとっては同じことです。なぜなら振付けをするとき、私は見ますから。ダンサーと仕事をするとき、私は観客としてそこに見たいものを生みだそうとしていると言えます。それは先に述べた人それぞれの精神性ですが、それを捕まえてフィジカルなものにすることが私の仕事。まず人に向かい、その精神を捕まえ、いかに具体化するかという手順で作業をするのは、とても興味深いことです。誰もが精神を持ってはいるけれど、見なければ見えない。それを見たいと欲するなら、動きをとおしてその人の精神性を感じさせるような方法を見つけなくてはなりません。それが私の振付けのねらいです。うまくいくときも、いかないときもあります。ダンスを見に、劇場によく行くかって? それはあまり。だって、毎日キッチンで働く人が、一日の仕事を終えて外出しようというとき、わざわざレストランには行かないでしょう(笑)?

市田 見ることについては、私も同じですね。先に言ったことにもつながりますが、ピナのところで、今思えばラッキーなことに、私はあまり注意されるほうではなかったんです。彼女が一人一人とそれぞれの関係を結んでいる現場で、ある意味で、彼女が見たいもの、あるいはそれに近いものを共有しているような感覚がありました。それは、彼女が見たいものを私が感じとってそうしたというよりは、私がたまたま持っていたのかも知れませんし、長く一緒に仕事をしたことで生み出される感覚なのかも知れませんが。いずれにせよ、注意されるときはもちろん動きのレベルでされますが、そこで見たいのは動きではない何か。その何かについても、彼女と近いものを見ていたのではないかと思います。

 ふだんの生活の中で、舞踊家として特に心がけていることはおありですか? あれば何ですか?

市田 私は自分のことを舞踊家だとあまり思っていないのですが、それも、ダンスと密着した生活を長らく送って来たことと、その大半がピナとの仕事であったこととから来ていると思います。ピナのところでは、リハーサルも「さあ、”ダンス”をやります」という風ではない。作品づくりの中で、彼女からさまざまな問いかけがなされるのですが、演じる私たちは、自分が生活の中で感じたことなどを駆使してそれに応じるからです。そこで求められているのは、ダンサーというよりは人間であることだったんです。

デュシャトレ ダンサーにとって最も難しいのは、年齢を重ねること。この事実は、他のジャンルのアーティストとは異なり、ダンサーに特有の困難となります。画家や音楽家は歳とともに技が衰えるとは考えにくいですが、ダンサーは20才と60才では同じようには踊れません。だから一般に、ダンサーとしての職業人生は、年齢とともに下降線をたどる。この事実と闘う唯一の方法は、毎日を別の、あるいは新しい一日として過ごすことです。これは、ダンスが繰り返しの多い活動であることを考えると、一層難しい。俳優であれば、ある時はマクベスある時はハムレット、ある日は舞台ある日は映画と、変化に富んだ経験を積んでゆきます。でもダンサーはいつも同じ役割。毎日同じ稽古。この経験から、特に若い世代のダンサーに伝えたいのは、毎日を新しい日として経験し、練習し、舞台に立つことの大切さです。毎日が闘いです。このことについて、とても美しいイメージをもたらしてくれたのがルドルフ・ヌレエフです。彼はエイズにより50代で亡くなりましたが、自らの運命を知ってからも、毎朝一人でバーレッスンを続けていました。これがどんなにハードなことか、ご想像いただけるでしょうか。ここから得られるのは、ダンスについての教えだけではありません。ダンスは生きることそのものなんですね。ダンスとライフを切り離して考えることは、私にもできません。もっとも若い時は、ダンスをそれだけで考えていましたが、年を重ねる中で、様々なつながりの中で捉えるのが自然になりました。だから、私が本当にダンサーに伝えたいのは、人生もまたダンスであり得る、そう考えるほうがもっといろんなことが面白くなる、ということなんでしょうね。

                                       (5月11日/京都)

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