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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年6月号 京都の暑い夏2008ドキュメント


                 アフタートーク語録

                                レポーター:記録チーム(メガネ編)
                                     


 
  アフタートーク ビギナークラス終了後 全6回[概要] 各講師を囲んで、個性的なナヴィゲーターとともに交流会を行います。身体/ムーブメント/踊り/創作について、そしてダンサー/振付家/アーティスト/人間としての生き方について様々なアツイ議論が交わされていくでしょう。ビギナーの方必聴。その他の方も超オススメの機会です。
 


■ 4月26日(土)ダニエル・ユン 

ダニエル・ユンのクラスは、点から面へ、面から立体へと展開してゆきました。ヨガの呼吸法とともに静かに身体の軸を意識し、その軸を中心とする四方形をステップワークに利用し、四方形を上に伸ばした立方体を意識させてのペアワークへと進みます。この見えない箱は、中に入っている人の身体の軸を基準として、その人の移動につれて前後左右上下を変えます。そのような箱を意識した上で、「それでもこの違う箱に入った人が空間をともにしようと思ったらどんな動き方になるだろう?」「実際、対話を感じられるのはどんなときかな?」といった問いとともに、交互に振付を交換してゆきました。

 形やスタイルでないなら、ダンスにおいて大切なことは何だと思いますか?

ダニエル ダンスに何が重要か、必要かはいつも考えているけど、時期によって考え方は変わるな。あるときは内容だ。あるときは感情だ。その間、形式に戻ったり、マルチメディアによる身体の延長なんてのにも興味を持ったっけ。最終的には人かなと思っているよ。結局、万人に通用するような普遍的なものは何もないと思うんだ。その人がその時何を言いたいかがダンスに表れるし、それによって身体のコンセプトも変わるからね。

 どんな身体が理想だと思いますか?

ダニエル 「理想の人間は?」って問いみたいだね。身体は人に属しているから答えは簡単には出せないと思うよ。

 コレオグラフィーにはパーソナルな体験が反映されますか?

ダニエル 特にそうは思わない。2004年に『生と死』って作品をつくった時、家族や大事な人が亡くなったことを作品に入れようとしたんだけれど、それは動きに反映されたりはしなかった。でも、動きを教えるときには、個人的な経験が影響しているかも知れないね。

 教えるときに、伝えるための言葉で工夫していることはありますか?

ダニエル 多くのダンサーが体のトレーニングから入るのに対して、本を読んだり考えたりすることから始まった僕は、言葉が使えるほうかも知れない。だから、作品コンセプトを言葉にできないと考えるダンサーは多いと思うんだけど、僕は困らない。それはダンス教育の問題かも知れないけれども、ふだんから、なぜこういう動きをするのか自分と会話しながらつくっていたら、そこには意味が生じるからね。”Dance with your heart.”ってよく言うけど、僕は”Dance with your mind.”と言いたいな。



■ 4月27日(日)ヌノ・ビザロ

ヌノ・ビザロのクラスは、フェルデンクライス・メソッドと即興を用いて、イメージと実際の動きのずれを意識してゆくワークに長い時間を割きました。最後にやったペアワークでは、ヌノの指示に沿って、一人が他方を押したり転がしたり「砂袋のように」動かしたりして観察し、動かされているほうは自分の意志ではなく受動的に動かされます。一方的な働きかけは、一見「マニピュレート」しているように見えるかも知れないけれど、これも「話しかけている」ワークとのことでした。

 なぜ、フェルデンクライス・メソッドに興味を持ったんですか?

ヌノ 5年の間、旅をして美術館を回ったりして、一体自分が何をしたいかを悩み続けたことがあって、その経験がこのメソッドへの興味に繋がったんです。大切なことは、人に会うこと、また、今まで続けてきたことを、いつまで続けるの? と自分で考えること。

 ダンサーとビギナーとで、教えることの違いはありますか?

ヌノ これまで両方に教えてきた経験にもとづくと、経験者と初心者とを区別しようとしても、どうしてもつながりが生じます。今回はフェルデンクライス・メソッドや即興の要素を取り入れましたが、両方とも、ダンサーにとっては、何かを得ようとより深く研究できるし、初心者には別のレベルで学ぶことができるものだと思いますよ。

 動かずに、その前にやった体の動きを想像の中で再現するワークも初めてで面白かったけど、目をつぶってワークをしているときにも「見てください」という言葉を使われたので驚きでした。

ヌノ まず、フェルデンクライスでも即興でも言われることだけど、人は動きに先立って、体やその動きについてのイメージを持っていて、そのイメージされた体や動きと、実際に動いたりしたときに知覚される体や動きとは、相関しているけれどずれを含んでいます。今日のワークは、そのつながりとずれ具合をまずは細かく意識し、イメージをガイドに実際の動きを変えたり、可能性を広げたりできるという考えにもとづいているんです。スポーツのイメージトレーニングにも共通するところがあると思いますよ。



■ 5月2日(金)チョン・ヨンドウ1

チョン・ヨンドウの1日目のクラスでは、「共通の言葉やダンスのボキャブラリーを使わず、どうやって会話をするか?」がテーマとなりました。二手に分かれたゲームで打ち解けた後、ストレッチを経て、目の前の人から受け取った印象を動きで伝えようとするワークを、ペアから二手に分かれてのグループワークに展開してゆきます。グループワークでは、各組が話し合ってつくった場面を相対するグループが記憶して再現するゲームを、静止画バージョンと動画バージョンでやりました。

 会話でダンスっていうのが初めわからなかった。相手の真似をしてしまうことが会話なのか、そのイメージじゃないよって自分のイメージを見せたほうがいいのか、途中でわからなくなっちゃって。

ヨンドウ 模倣することは即興の基本的なやり方です。明日かあさって、お昼の即興のクラスで、なぜ、いつまでコピーが必要なのかやってみせようと思っています。コピーをした後に別の展開に移行してゆく中で、オリジナルな真似になってゆきます。音楽に喩えるなら、メロディーをキープしながらリズムやテンポのヴァリエーションを奏でるみたいにね。時々全然違う動きもやってみるといい。音楽を聞いていたら、ある時転調したりテンポが変わったり、全く変化することがありますよね。そういった変化するポイントを探すのも面白いです。例えばちょっとつまらないなとか長いなと思ったら、相手に違うものを投げて変えたり。そうしたらリズムやメロディーも違うものになる。まるで交響曲をつくるみたいにね。

 グループワークの時、入ってゆくのが難しかったけど、そのとき、交響曲みたいに構造があって、そこに1つの楽器がどう入ってゆくかといった説明がすごく助かった。

ヨンドウ 今の段階ではメロディーは同じだったけど、次のステップでは楽器が1つずつリズムを変えていったりもできます。途中で緑のシャツを着た人が走って、単調なリズムに変化を与えてくれたように、「どう入っていったらよい変化をもたらし、どう調和をとるか」と考えて、動いてゆけるんですね。続けるか変えるかはそれぞれで選ぶことができます。音楽を聴いていても、新しい楽器が入って来たら新鮮だけれど、一度にたくさんの楽器が入ってきたら混乱する。だから交替で誰かがリーダーシップをとらないといけないけど、入るタイミングもとても重要になります。

 誰がリーダーシップをとるかはどう決めるの? 

ヨンドウ 何を面白いと感じるかは、誰もが持っているものだから、それぞれが、つまらなかったらリズムにヴァリエーションを加えるとか、あるいは全くタイミングを変えてしまうといった判断ができるはずです。全体を見たら、誰がメインでメロディーを奏でているかもわかるし、そこにメインの楽器で参加するかシンバルのような脇役に徹するかも、他に従うか自分でリードするか、サポートするかメインになるかと同様に大事ですね。シンバルは脇役だけど、40分間で1回しか鳴らさなくとも、わさびのように効果的。次は、リズムをつくるってことで試せるかも知れません。(と、床をとんとん叩いて参加を促す)こんなふうにね。



■ 5月4日(日)イニャーキ・アズピラーガ1

イニャーキの1日目のクラスでは、最後のペアワークを目標にして、そのために必要なパートナリングのスキルをどんどん積上げてゆきました。背中を使って左右に転がり、四つん這いから「床にキスをするように」転がってゆくフロアワークから、パートナーに体重を預けて移動してゆくカウンターバランスのワークへ。最後はパートナーに飛び乗る動きからフリースペースの縦の空間を駆け抜けて、後ろ向きに倒れるパートナーを支えるセットのコレオグラフィーにチャレンジしました。

 今日のワークショップのフォーカスは?

イニャーキ 最初、床への落ち方を練習しました。それはまず落ちることへの恐怖を取り除く意図もあったけれど、ふつうの動きを取り上げて分析して、そのパターンをどう変えられるかという関心もあります。日本は床に近い生活を送っているから、ふだんはそれについて特に考えたりしないと思うんだけど、後々、何かを実行(パフォーマンス)するためのツールにもなると思うので。結果はとても良かったと思うよ。僕はこれまでにもビギナークラスを見ていて思うんだけれど、まず全体の雰囲気がとてもいいのにいつも驚かされる。どうやってそうなっているのかわからないけれど、みんなが意欲を持って動いている。集団が大きいからその中に隠れることは簡単。でも一旦打ち解けると、自分自身を投入して積極的に関ろうとする。抱き合うところなんかも、最初は固くなっていたけど、だんだん相手に近づいて行って、ちゃんと受けとめるようになって、そういう変化が起こって欲しいと思って、僕は教えているんだろうね。

 私はイニャーキの踊りを見たことがないけど、彼は私を、人としてダンサーとして動かしてくれるから好きなんです。「本当に動かなくちゃいけない」って気にさせてくれる。みなさんの中でも、「私ってこんなに動けるんだ」って思った人はいた?

 相手に飛び乗ったとき。支えてる人ががんばってるんだと思ったけど、飛び乗っている人もがんばっている。そういうバランス。すごいなと思った。

 私は支えるより倒れる側のほうが難しかったんだけど。

イニャーキ 倒れる人の方がリスクがあるからね。対して、支える人はパートナーが冒すリスクに対して責任がある。今日は練習できなかったけど、パートナーワークの中で大切なことは、目を見ること。目で「やるよ!」とか「ダメだ!」とか伝えることができる。それは現実の生活でも大切な事でしょ。リスクを負う事も、責任を負う事もだし、目を見て「大丈夫だよね」って伝えることも。恋人とも、友達とも、ビジネスパートナーともやっていることだよね。

 目を見ること以外に、パートナリングで大事なことは何ですか?

イニャーキ ここから持って帰って、生活に応用できるなら、それは何でも大事なものになり得ると思うよ。

 ネットなどでダンスの動画を見ていて、コンタクトとかインプロヴィゼーションって言っていても、素人目にも、コンタクトもインプロもしていない。振付を踊っているじゃないかと思う事があるんです。武道でも偽物が多いと感じるし、コンテンポラリーダンスでも、そう思われることはありますか?

イニャーキ まず、コンテンポラリーダンスという言葉で捉えられるのは、完成されたスタイルじゃなくて、いろんなものを含み、変化してゆく同時代のダンスのことだと思っています。ゴールは様式や形じゃない。だから、ある模範を基準にして「このダンスはダメ」みたいに判断するのは、僕自身は好きじゃない。でも、どんなダンスでもムーブメントでも、始まった時から時間が経つと変わってしまうと、一般には言えるかと思う。例えばコンタクト・インプロヴィゼーションの初期には本当の即興だったのが、今は動きを様式化してやっている場合もあるしね。でも、何を学んでも、そこから自分に必要な要素を取り出して、応用することができるとも思うんだ。習ったことは、そこがゴールじゃなくて、そこから始まってそれぞれの生活や幸福に応用することができる。こんな答えで助けになるかな?

 すっきりしました。

 イニャーキからみんなに聞いてみたいことは?

イニャーキ 今日やったこと覚えている(笑)? チェックしているんじゃなくて、動きの記憶がいい人が時々いるんだけれど、何故なのかって考えているから。即興にも記憶が要るんだよ。即興ですばらしい動きができても、そのことを覚えていなかったら、次に活かせないからね。

 私は動きを覚えるのが苦手です。何かいい方法はありますか?

イニャーキ 僕も学んでいるところ。俳優やダンサーに教えていると、演技がすごくできるのに恐ろしく記憶力が悪い人とか、逆に振り移しはすごくできるのに自分でつくるのがダメだったりする人がいて、何が違うのかな?って不思議なんだ。今のところは、何かとリンクすることで、動きの記憶は高められるんじゃないかなということは思っている。音楽や、パントマイムや、臭いなんかともリンクすることで覚えやすい人がいるからね。何と結びつけたら覚えやすいかは人それぞれだと思うので、あなたも自分にとって何がいいか、いろいろ試してみてください。

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