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 零細企業(マイナー)が大企業(メジャー)を凌駕する、という構図が最近よく見受けられる。ロケット開発に取り組む東大坂の零細企業群がその好例で、従来のように大企業がマーケットを支配できた時代と少し事情が変わってきているようだ。もはや既存していた大企業のメリットが通用しない、あるいは大企業のデメリットが肥大化・顕在化してきている時代を迎えている。

 限りなく大企業が優勢を占める音楽業界さえ、その例外ではない。
 マイナーレーベルの澤野工房が、ジャズミュージックの市場で大奮闘している。2000年、大手CDショップチェーンHMVのモダンジャズの最新チャート(1/23付)で、1位のウラジミール・シャフラノフ「ポートレイト・イン・ミュージック」を筆頭に20位までに、澤野工房のCDが最も多い4枚を占めた。

 完全に「大企業時代の終焉」を言い切ることはできない(マイクロソフトとインテルの強者連合のような例もある)。しかし、これまで大企業の巨大な影に隠れていたマイナーのメリットが、先行きの見えない不透明な時代に効果を発揮していることは興味深い。メジャーにはなし得なかったことでもマイナーならできることがある。でも何故できるの?何ができるの?文化市場においてマイナーだからこそできること、マイナーにしかできないこと。澤野氏にお話を伺う中でその片鱗に触れようと思う。

 大学に合格した時に入学祝いをもらったから、それでずっと欲しかった真空管アンプ買ったんです。それまではウチのおやじが持っていた、1つの箱にスピーカとアンプが入っているプレーヤーを使っていました。エコーマシンが中に内蔵されていてうまく聴こえるようになっていたり、AMラジオのNHKの第1と第2を聴くことが出来てステレオになる、という機能がありました。だけど僕が中学か高校の時にアンプとスピーカが別々にあるセパレートステレオっていうのが登場しました。「ああ、かっこいいな」と思っていて、大学入った瞬間にそのタイプのステレオを買ったんです。
 
 それがきっかけで、ジャズにはまりだしました。買いたいジャズのレコード全部買って、他に日本で買うレコードが無くなったぐらいで(笑)。ポップスとかも聴いたけどすぐに飽きました。ポール・モーリアの「オリーブの首飾り」だけでええな、とか「恋は水色」だけでええなとか。ポップスのレコード買ったのもサイモン&ガーファンクルとカーペンターズとセルシオ・メンデスぐらいかな。でも今から考えると買ったのは全部好きな音が入っているからで、今作っている音の中に結構反映されていますね。
 
 今から考えても、当時は「あれでよくジャズが嫌いにならなかったな」って言うぐらい聴いていました。僕らの時はジャック・ルーシェの、バッハをジャズにするっていうのがあったんです。コーヒー呑みながら「ああ、かっこええな。」って思って聴いていました。ほんでね、聴いている自分自身もかっこええな、って思って。全然かっこええことないのにね(笑)。学校生活とか下宿生活においてタバコふかしながら、コーヒー呑んで難しい顔しながら聴いているのがかっこええんやと思っていて、ジャズの入り方からしたら極めて不健全やったなと思います(笑)。「お前、どこ行って来たんや?」って聞かれて「いやあちょっとな、一日中ジャズ喫茶におったんや。どうや、タバコ臭いやろ!」って言うところがかっこ良かったですから。これに酒がついて来なくて本当に良かったわ(笑)。

 それにしてもこの時はまだ、自分がジャズで商売しようとは思わなかったですね。好きやったけどそんなのは別世界の話やと思っていました。それを商売にしようなんて思ったのはずっと後。30過ぎてからかな。商売でミュージシャンと話すなんてことは考えもしなかったから、ジャズライブやった後にミュージシャンと抱き合って「良かった!ありがとう!」とか言って握手するなんて夢のような世界ですね。

 だから大学を卒業して新世界に戻って来て、家業を継ぎました。僕が帰ってきた頃は、めちゃくちゃ下駄が売れました。石油ショックの頃までは働いた分だけお金儲かった時代です。商売人にしてもサラリーマンにしても、経済は常に右肩に上がるっていう基にあらゆることを設計していました。休みも惜しんで、働いたら働いた分だけ儲かった時代だったので、ある意味人間にとって幸せなことだったんじゃないでしょうか。
 そんな世の中もだんだん変わっていき、働いても働いてもその分の稼ぎがもらえないようになっていきます。下駄屋も、仕入れた分を払って経費を払ったら下手をすると給料も出ないくらいでした。現実問題、他の店でもあちこちで起こりつつあったようです。

歴代の澤野工房作品がズラリ
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