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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


11 京都の夏は何故アツイ?

<ある種の爆発が起こったかのようでしたよ>

現在に続く線の一つとして、坂本さんと森さんの、コンタクト・インプロヴィゼーションとの息の長い取り組みを追うことができる。今や「京都の暑い夏」は、2000年に 『コンタクト・インプロヴィゼーションー交感する身体ー』(フィルムアート社)の翻訳出版で注目を集たこの身体技法の草分け的存在である。サンチャゴ・ワークショップには、このように、当時国内ではあまり知られていなかった身体技法がてんこ盛りだったようだ。


坂本「もっとも、サンチャゴに教えてもらったときは、コンタクト・インプロヴィゼーションっていう認識はなくて、創作上の体の動かし方のアイディアとして受け取った部分があるけれど。初歩みたいなところで人を動かしたり動かされたりといったこといろいろやって、それから徐々に、他の人の取り組みを知るようになったのかな。フランスでコンタクト・インプロヴィゼーションを振付に生かしたりしているレジーヌ・ショピノの例とか、本場はニューヨークだっていうこととか。そこで、本場でどんなコンタクトをしているのか、自分たちでもリサーチできたらいいねってことになって、フェスティバルの2年目には、夏期舞踊大学の紹介と協力でデイビット・ザンブラーノを呼んだりして、今に至っているんですね。」

もう一つ、サンチャゴ・ワークショップのメンバーは、話にあったように、もともとクリエイションをめざして集まっていたのだが、各々がソロやデュオを創ってゆくうちに、作品の共同制作プロジェクトが本格的に始動する。サンチャゴさんがフランス公演をすると言い出したのは、その最中だった。


「何回目かのワークショップのときに、サンチャゴが『よし、みんなをパリに連れてゆく』って言って、わたしたちはそんなこと考えてもいなかったから大笑いしたんです。(笑)『そんなあほな』って。でも本当になってしまいましたね。それも段階を踏んでのことですが。何回かワークショップをする中で、一緒に作品を創ってほしいし、彼の作品も見たいということになって、まず大阪の都住創というスペースで公演をしたんです。それから助成金とったりして、パリ公演を実現させたのが1998年ですね。」

誰一人として本気にしなかった、この大それた考えが口にされたのは、メンバーの中に確かな変化の兆しが感じ取られたからだ。


サンチャゴ「ある種の爆発が起こったかのようでしたよ。突然何もかもがやってきて。皆の身体はとても解放されていて、空間の使い方、タイミング、ムーヴメント、すべて本当に彼らから出てきたものでした。彼らは彼らであって私の模倣ではなかったんです。目にしたときはとても幸せでしたよ。そうなることを期待していたのでね。これはわたしにとっても、重要な体験でした。」

ちょうど、「コア・メンバーの5人がそれぞれが何かを始めた時期」でもあった。創作だけでなく制作も自前で実現した大阪/フランス公演は、メンバー一人一人に、ダンスの担い手としての自立を促したかたちとなり、ここから「暑い夏」の体制が、そして坂本さんを中心に「モノクローム・サーカス」がダンスのカンパニーとして再出発する。
「当時はなにかそういったものが開かれていったときだったのだと思います。」と振り返るサンチャゴさんは、10年前の京都の「暑い夏」周辺の雰囲気をこう伝える。

サンチャゴ「ここのコンディションがちょうど良かったんでしょうね。すぐに気づきましたよ。ここで何かが生まれつつある、とね。人々は何かを欲していました。だったら与えなくてはならない。みなが質問をしてくる。そこから多くのことが生まれる。とてもダイナミックでエキサイティングでしたよ。」

このような創造の気運には、あるミーティングポイントが重要な役割を果たしたという。聞けば、専門や思想の違いを越えたダイアローグの場であった模様。


サンチャゴ「特に大事だったと思われるのは、メンバーの中にいたLeeさんという人が自宅を開放してできた場ですね。そこにはたくさんの本があって、ダンスの映像の鑑賞会が定期的にされていて。ヴィラ九条山でレジデンスをしていたダンサーはみな、引っぱり出されて彼の家に滞在したものです。
いろいろな人が出入りしていましたが、そこに集まる人はみな、お互い敬意を持って信頼しあっていて、競走関係や緊張はそこにはありませんでしたね。時々、よりタイトな集団をよりどころにしているダンス関係者も出入りしました。思い出すのは、大阪で教授をしていた神澤和夫さん。一昨年亡くなったそうですが、彼にもそこの縁で会いました。他にも、ダンスのパイオニアとして、より確立された考えを持っていた人が東京からやってきたり、ダンス以外の領域から来ている人たちも多かったので、会話の中で様々な美的なものの見方がもたらされました。素晴らしいことに、思想や美的観点においては、完全にオープンマインドでいることができましたね。だからフランクに話ができて、たくさんの問いかけもなされたのでしょう。流行となり、リスクをおかすことが少なくなっていたフランスと比べて、九条山のアーティストにとっても刺激的でした。ここには何もなかったし、物もなかった。おそらく、だからこそおもしろいことができたのでしょうね。」

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