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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


11 京都の夏は何故アツイ?

<「京都の暑い夏」事始め>

今やダンスのワークショップ・フェスティバルとしては、国内で最大級に成長した「京都の暑い夏」。講師、参加者数、ネットワークの規模では、東京の夏期国際舞踊大学や京都のドイツ文化センターの舞踊アカデミーなどの老舗をしのぐ勢いである。ユニークなのは、「暑い夏」が教育・文化機関などの主催事業で、有名な振付家や教育者を呼んでくるといったやり方でスタートしたのではない点だ。そもそもの始まりは、こんな風だった。


「1990年代の始めの頃は、ダンスの作り方について学ぶ機会というのがあまりなくて、私や公成も含めて、もう少しコンセプチュアルな方法を学びたいという気持ちを持っているダンサーが何人かいて。その頃、いわゆる“ヌーベル・ダンス”と言われるフランスの新しい舞踊の流れを知る舞踊家が、日仏会館の支援でヴィラ九条山にレジデンスをよくしていたんですね。それで1994年に滞在していたサンチャゴに相談してみたら、レッスンを快く引き受けてくれて。そこでほんの数人のメンバーで、いろんなことを試してみましたって感じかな。初めは。」

このように「暑い夏」は、私的な欲求と出会いから極めて小規模にスタートしている。今風の言い方をすれば、「学びたい人が自分でつくってしまった学びの場」である。ここでの教える/学ぶという関係は、80年代のダンス・ブームの延長で捉えるなら、世界と関西との水準の格差に依拠しているように思えるかも知れない。だが、学びの場を継続し、新しいダンスの流れを生みだすエンジンを動かし続けたのは、あくまでも、各々のメンバーの内的な筋道に沿った「学びたい」という欲求と、それに応じた「知恵」が接することで生まれたエネルギーだ。


坂本「僕が当時考えていたのは、どういうふうにして踊りと意味というものが結びつくのかということでした。逆に言えば、ただ体を動かして楽しければいいっていう、そういうダンスにはあまり興味がなかったんですね。それと、例えばあるダンスのフェスティバルを見ていて、自分自身に限っての感想ですが、面白いと思えるダンスが少なかったんです。そんな時にサンチャゴに会って、体をとおして見ることの面白さのようなものを垣間見た気がした。それでもっと見たいと思ったんだと思います。そういう新しい知恵に触れたっていうことが、大きかったんじゃないかな。」

その「新しい知恵」は、通常ダンスを習うときに思い浮かべられるような、特定の体の動かし方や振付のメソッドではなかったようだ。森さんも同様に、「ものの見方、在り方」について目を開かれ、
「パフォーマーとしての、人間としての、基本的な身体のあり方を学んだ気がします」と言う。

「例えばサンチャゴが『ゴースト』と呼ばれるワークをやってみせてくれたことを、今でもクリアに思い出します。説明すると、人の影になって動くっていうことなのですが、その居かたっていうのが独特のもので…。それをまんま体でやってみせてくれたサンチャゴに、ああ、こういうことができるんやと感動したことがあります。」

坂本「『ゴースト』は僕も憶えてる。『うわ、すごい』と思ったから。」

「それはものをどう居させるかっていうことだったんですね。例えば、わたしがどう動くかっていうことより、ここにあるこのコップをどう見せるかって考えたときにわたしはどう動くのか。そういったことをやってみたときに、すごく頭が活性化された気がしたんです。サンチャゴの『古い木』っていう作品があるんですけれど、この作品も、何を中心に置くか、何を見せたいかをクリアに見せてくれた。すごく納得しました。あと、わたしはそれまでもダンサーだったこともあって、テクニックのない--って言ったら失礼だけど--人たちの面白さ、人間の面白さと個人の面白さみたいなものを、サンチャゴの目をとおして再発見させられました。そういったことはもう終わらない作業で、ダンスを続ける中で一番大事な部分として、今の自分に残っています。ダンスのスタイルは変われども、体の捉え方、存在のし方っていうのはすごく残っていると思いますね。」

こんな風に学びの場が刺激的であるとき、教える側も多くを得ているものだ。もともとアーティストとして滞在していたサンチャゴさんも、自分の関心を参加者たちと分かち合い、交換するうちに、あることに気がついたという。


サンチャゴ「印象深いのは、アレクサンダー・テクニックなどの、とても静的なワークを取り入れたときのことです。それはわたしにとっても新しい試みだったのですが、実際やってみたら、身体の一部をタッチする感覚だけで、パートナーを一つの点からもう一つの点に移動させたり、動きを誘発したり、内部に働きかけたりといったことが可能だったんです。簡単なペアから始まって、二人と一人でやってみたり、グループになったりするうちに、空間の中に多くのコレオグラフィーの線が生みだされて。素晴らしかったですね。それは、“ここ”だからこそ可能なことだったことだと思うんですよ。というのは、日本人は非常に素晴らしい内側の感覚interiorityを持っているでしょう。対してヨーロッパ人は外へ向う動きの感覚exteriorityを持っている。だからこの日本人の優れた内部感覚でもって、内をとおって外へと向かうように、そして目を開いて空間を、観客を見るように、こんな風につなげていくことができたんですね。
皆がわたしに与えてくれるものが大きかったので、わたしは何が与えられるだろう、と自問したものです。わたしはここに教えにだけ来たわけではないのですから、交換しなければね。重要なのは、それがどのようにつながりを生みだしていくかということですよ。」

こうして このコーナーの04号で紹介した「頼母子講のようなやり方」 で、有志が2年、3年と続けていったサンチャゴのワークショップは、「暑い夏」や坂本さんや森さんのその後の活動に重要な意味を持ついくつかの種を蒔いていった。では、これらの種はどのように成長し、つながりを生みだしていったのだろうか。


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