関西で活動することの意味。光島さんにとって京都っていうのは? 生活の場所ですね。鍼灸院をやめてどこかに出て行くってのは、食べていくためにも出来ないですね。京都にこだわっているわけではないけども、生活の場所がここにある。長年住み慣れているから、目の見えない僕でも行動できる範囲が広いっていうこともあります。いろんな利点があると思うんですけど、アートをやっていく上ではどうかなぁ。まぁ、こういう治療院をやりながら活動していくには、丁度いい。静かだし。もし、東京でやってたら、両方バランスをとってやっていくには、むつかしいんじゃないかって気がするので、関西を拠点にしているのは、僕としては納得しています。 大阪や京都に限らず、地方都市を拠点に活動している人はバランス感という言葉をよくおっしゃいますね。 外に出たこととかないから、実感としてはわからない所なんですけどね。 光島さんは色の記憶はおありになるんですよね。 ええ。小さい子どものころの。 色という概念はあるんですよね。 そうですね。昔に見た記憶があるから。 赤がどんな色かは? 思い出せる色です。 光島さんが、物や風景を想い描く際、色はあるのでしょうか? 今は殆ど色はないですね。モノクロって感じかな。 白とか黒とかはあるんですか? う〜ん。どうかな〜?やっぱりモノクロなのかな?例えばこれ持った時にはどうだろう?(光島氏:冊子を手にとる)もちろん、全体の輪郭や形がわかりますよ。でもなにより、ざらざらした触った感じのイメージが伝わってきます。この冊子がどんな色をしてるかっていうと、そうやなぁ、何色でもないですね。モノクロでもないかな。 色としての情報じゃなくて、触った感じの情報が光島さんの中に描かれたわけですか? 描かれてんのかな? 私がこれを見た場合は黄緑色の本で、ぼこぼこしている触感はわかるんですが、そこへにあまり意識はいかなくて、よく見ると皺がよっている紙だなぁ、と。 僕は皺だとは認識しないなぁ。これはサンフランシスコの去年の冊子やと思うんですけど、いろんな冊子をもらっても、点字が書いてあるものは殆どないから、手触りで判断するんですね。このサンフランシスコのは、こういう手触りの本と。あとこの大きさで憶えているんですよ。 頭の中にひとつのイメージとしてあるんですね。紙の触感は千差万別なんですか? 紙の手触りはそれぞれに違いますが、認識できないのも沢山あります。これとこれなんて、ほとんど一緒ですね。 厚みとか。 もちろん紙の厚み。折られ方。そんな情報を頼りに生きています。 私は今こうやって光島さんとわいわいと喋って同じ時間を共有してるわけですが、光島さんの認識の組み立てと私の認識の組み立てでは、随分違うんですね。不思議だなぁ。 一応、誰かに色をきいてみたりすることもあります。"ああそんな色か"とちょっと想像してみたり。実は自分の描いた絵の色ですら、しばらくすると忘れてしまっていて、ラインの形、輪郭としては頭に残っているんですが、色としては残ってないんですよ。 色というか、ヴィジュアルイメージとしては残っていかないんですね。ということは、やっぱりモノクロというわけでもないんじゃないですか。 確かにモノクロというのとは違うなぁ。 そこに触感という感覚が乗っているんでしょうかね。 でも白黒は思い浮かべ易いと言えば思い浮かべ易い。黒の部分とか黒いラインが中心となって、描かれているというイメージは割と思い浮かべ易い。それが赤い線でとか、青い線でとか言われると残らないですね。 なるほど。でも光島さんの描く絵はカラフルな色が使われていますよね。 いや、最初は黒しか使っていなかった。 現在、色がカラフルなのはどういうことなんでしょう? う〜ん。何やろね〜。 人に聞きながら描いてるんですか? あ。もちろん描く時は人には聞かないんですよ。 えー!聞いてるもんだとばかり思ってました。 感想は聞きますけどね。最初は赤を使いはじめたんです。絵画教室に通って描いている中で、しばらくした頃、「色を使ってみたら面白いんちゃうか」と言われて。その意見を受けて、自分が一番思い出し易い色、黒以外やったら赤、赤を使ったら、また「色が引き立つ」とか何とか言われて。"あーそうなんやー"と。じゃ使おうか、と。青色を使ったりとか。あと、面ですね。その頃はカッティングシートを使ってなかったんで、「面も使ってみたら」と言われたんです。その意見も素直にきいて使ってみたら、「楽しくなった」みたいなことを言われたりして。"なるほどこういう効果があるんやなぁ"と。 光島さんがキャンバスに絵を描く時は、"この辺は色のグループとしては同一にせなあかんとこや"とか、"ここからここまでは赤を使うぞ"とか、キチンと計算して描いておられるのでしょうか? はい、それは意識してますね。僕の場合は多分、コントラストを考えてるんだと思います。"赤を使った隣には何色をもってこようか"というようなことは考えてますね。隣同士3色くらいは考えてますよ。とにかく強調したい所に色を使おうとしているんですね。その時たまたま"あーここはピンクにしてみようかな"とか、"青にしてみようかな"とか、その時に集中して思い浮かべられる色のイメージでやっているだけなんですけどね。 その色というのは過去の小さい頃にもっていた色の記憶をたよりに? 基本的にはそうしてますけど、最近はそれだけじゃなくて、例えばその間の色。 中間色ですか。難しいでしょうね。 同じ青でも例えば"最初に使ったのはスカイブルーかな"、"その次はセルリアンブルー"、"もうちょっと濃いの"。"さらに濃いの"とか。スカイブルーとセルリアンブルーの中間くらいの色とかね。そういうのを想像して使ってみたりとかしてますね。でも結構偶然まかせ。 偶然? "あ。上手くいった"とか。 現代美術やなー。 色の名前とかは書いて貼ってるとかしてますので、自由にとり出してこれるんですけど。とは言っても、ずらっと見て選んでるわけではないです。たまたま手に触ったのから取って来たりすることもあるんですよね。 光島さんにとって、色はひとつの記号なんですね。 そうです。そうです。色に関しては、試行錯誤しながらですが、以前よりは大胆には出来るようになってきましたね。だから、色数も増えてる。前はなんとなく色を使うのに対して、恐れというか、自信がなかったんです。でも、結構いい加減に色を使っても、いい加減と言うと語弊がありますが、とにかく後で"面白い"って言われるので、その時その時の他の人の感想を憶えているようにしていて、次の絵を描く時に"この色をこう使ってみよう"とかね。"この青で鮮やかに"だとか。 光島さんなりの一種のマーケティング行為によって、色を認識しているんですね。 "この色はどうもこう見えるみたいだから、ここにこういう風に使ってみよう"とか、そういう感じで増えていってると思うんです。ただね、今ちょっと増えすぎて混乱ぎみ。 光島さんにとっての過去の概念であり、喪失したものである色彩感覚を、絵を描くという行為で、新たに獲得していってるというのは、すごいことだと思います。 すごいかなぁ。 しかも、すごく挑戦的ですよ。光島さんにとっては、記号としての色彩なんでしょうけど。経験から演繹して再構築した色を また他の人に対して提示していく。絵を描くことで、世界観がはっきりと広がって行くんですね! 広がります。それはそうやと思います。 今年はサンディエゴ美術館での企画展に作品が選ばれたそうですね。 東アジアのアートというのをテーマにした展覧会です。出たのはとっても大きなサイズの作品ですよ。 視覚障害者という括りではなく、ひとりのアーティストとして選ばれたのが素晴らしいですね。じっとしているのが嫌いな光島さんが、とうとう世界をまたにかけて。 わははは。 私なんてココルームで事務仕事ばっかり。机にへばりつきですよ。光島さん、ええよなぁ〜。"ええよなぁ〜"とか言ってんの・・・。 わははは。 アートが世界を広げてくれたんですね。 それはあると思います。"以前、障害者運動に関わっていた"って言いましたよね。大学の頃に見えないっていう事や障害者問題を文章と言葉で人に伝えようとしましたが、なんかこうちょっと空しく感じた部分があったんですよね。メッセージとして伝えても全部は伝わらなくて、部分的にしか伝わらなかったりとか、誤解されたりする部分ももちろんあるし。障害者運動を含めて、僕はすごく挫折感を感じていた時期があるんですよね。アートをやりはじめた時、もう一回"自分が見えないという所から出発してみたい"と思ったんです。自分が、見えない事も含めたひとりの人間として、伝えたいっていうのがあります。そのあたりのニュアンスは割とアートの方が伝え易いのかな、と思います。いろんな意味で自分では納得できる活動だと思っています。 |
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