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光島 貴之(みつしま たかゆき)  http://homepage3.nifty.com/mitsushima/

1954年京都生まれ。10歳の頃に失明する。80年大谷大学哲学科卒業。82年鍼灸院開業。92年から粘土による造形活動を始め、95年よりレトラライン(製図用テープ)とカッティングシートを用いる独自のスタイルで「触る絵画」の制作を始める。 98年、「'98アートパラリンピック長野」大賞・銀賞を受賞する。99年「芸術祭展・京 ムSKIN-DIVE」(元龍池小学校)。 その他、展覧会・個展、ワークショップ講師など多数。また、CGアーティストと互いの絵に手を加えることによって作品を創り出していく「触覚連画」というコラボレーションアートなどで独創的な世界を切り拓いている。 2005年1月には、京都・GALLERYはねうさぎにて、「触覚と視覚の交差点」を開催(1/11〜16)。
光島さんは大学時代、哲学を専攻されているんですよねぇ。哲学科に進まれたというのは、何かお考えがあったのですか?

高校は盲学校の高等部普通科で終えましたが、進路はふたつあったんですよね。按摩鍼灸のコース、いわゆる理療科か、大学か。大学受験を落ちて、按摩鍼灸の理療科を3年行って、また大学を受けて、また落ちて。もう一回次の年に受けて、やっと合格した。ずっと哲学科を受けていたので、納得したおもいはあったんやと思うのですが、高校の頃から、見えるとか、見えないということをこだわったり、気にしたりして、そういう問題に答えを出すということで、哲学を目指したんやろうと思います。あと、その頃にはニーチェとかにも凝っていたりというのもありました。

ニーチェの点字版があるんですか?

点字版はほとんどなくて、テープ。ボランティアの人の朗読で。

聴くのが大変そうですね。

まぁ、若い頃は時間がありますからねぇ。ツァラトゥストラとかそのあたり。だから、もうちょっと勉強したいなぁ、というのはありました。

その頃は造形や美術に対する意識は強くなかったんですか?

そんなに意識はしていなかったです。ただ、中学・高校の頃、盲学校で週に2時間くらい美術の時間があって。先生も面白い人でね。粘土で抽象的なものをつくらしてもらっていて、その時間は好きでした。「面白いものをつくる」とか、言われたような気もします。

哲学への興味というのは、若かった光島さんなりに"世界とどう向き合っていくか"という意識のあらわれだったのでしょうか?

うーん。今から思えばそうなんでしょうけど、恐らく当時は、もっと大雑把に大学に行くっていうのが、大事でしたね。盲学校でずっと育ってきたから、見える人の世界に飛び込んでみたいという気持ちの方が大きかった。

そのとっかかりが哲学?

行きやすいし、勉強しやすい。哲学は仕事には結びつかないだろうけど、仕事としては、鍼灸マッサージの方もあるし。僕は小学校から盲学校に入ってしまったので、一般の人との接触が全くなかったんですよ。高校生の時なんですが、対面朗読で大学生のボランティアの方が来てくれても、向かいあうのが恐いというか、とまどいがあったりしました。自分の中に見える人への不安があるのが嫌で、思いきって見える人の世界に飛び込んでいきたかったんです。見える人の世界で、自分の劣等感も含めて、何とかしたいという思いでしたね。

大学は面白かったですか?

しんどかったですね。勉強がどうのこうのというより、見える人との関係が上手く結べないといった所で、結構苦労してました。

ひとりで通われていたんですか?

たまたま近いということもあったけど、大学へはひとりで通いましたよ。点訳のサークルがあったので、全盲の人が何人かいましたので、その人達にアドバイスをもらったり。そうそう、家にいるのが嫌で、大学は近いけど、わざと遠いアパートでひとりぐらしをしてた時もありました。

ちなみに卒論は何を。


キュルケゴール。実存主義。ほんとはサルトルとかやりたかったんですけど、ゼミの先生に「それは無茶やろ、まず基本からやれ」と言われて。

卒業後も哲学を続けようというおもいはありましたか?

大学院へ進もうというほどのものは、なかったなぁ。卒論はよかったらしいけど。うふふ。
先生になろうかと考えていた時期もありましたね。自分の選択が鍼灸だけというのが嫌で、教育実習も普通の高校に行ってみたり。でも、なかなか難しかった。試験にも落ちましたし。大学時代に障害者運動も含めて、いろいろやってみた挙げ句、挫折を経て、鍼灸院の開業に至ったわけです。哲学には、今でも興味がありますし、本も読んでいますよ。最近なら鷲田清一さんとかかな。講義をききにいったりしてます。
でも僕は修行が嫌いでして。アートもそうなんですよ。自分でコツコツやるんやけど、人に教えてもらうのは苦手。マッサージのバイトはしましたよ。住み込みで北海道や蓑島にいったり。

その頃から、あっちこっち飛び回ってはったんですね。

そんなことないよー。いつもここに戻ってくるんだから。
鍼灸院の方は1982年に開業。教員採用試験も受けながらですが。開業当時は、患者さんがどっと来てしまってねぇ。時代もバブルに入っていく頃です。そこで患者さんが来てなかったら、人生も変わっていたかもしれないんですけど。
開業後の10年は一所懸命に仕事をしましたね。学会に参加したりもしてたし。


表現活動はどのくらいから始められたんですか?

粘土が1992年。平面が1995年からですね。

粘土をはじめられたきっかけは?

西村陽平さんという現代陶芸家の先生のワークショップが東京であって、それに参加したのがきっかけです。そのワークショップは当時としては変わっていて、見える人も見えない人もひとつになって、見える人はアイマスクをつけて作品をつくるという手法だったんです。粘土は20Kgぐらいドーンと置かれて、モチーフはいろいろ。葉っぱとかピーマンとか。最後には、触って鑑賞しあう。これにハマってしまって、毎月のように東京に行ってましたね。

そのワークショップのどのあたりに惹かれたんでしょうね。

ひとつは見える人、見えない人が同じ条件で作るってところ。むしろ、見えない僕たちにとっては、条件は変わらないので、見える人より上手く作れるってのがあるでしょう。ちょっと立場が逆転した感じがありますよね。そういう場の面白さと、盲学校の時にやっていて面白かった粘土が自由にやれる。つくるってことの面白さに加え、大きい作品を自由に作れた。つくりたいという気持ちは盲学校が終わってからも、自分の中にずっとあったみたいです。それまで、機会に恵まれていなかっただけで。1984年頃、東京にギャラリーTOMというのがオープンしたんです。手で観る美術館。東京で鍼灸の学会があった時には、必ずそこに寄って、作品に触らしてもらったり、屋外彫刻とかを触りに行ったりしてました。そんなことを繰り返しているうちに、自分でも何かつくってみたいという気持ちになっていったんですよね。だから、西村さんのワークショップに飛びついたんです。

男の子は粘土遊びが好きですもんね。

そうなんですか?女の人も好きじゃないかな。

エロチックな感じもあって。

そうそう。好きですよ。ヌルヌルとかね。でも女の人も多かったよ。

そのワークショップの中からいくつも作品が立ち上がって来たんですね。

そうですね。ギャラリーTOMでグループ展をやってみたりとか、京都でも手で触る美術展があって、出展さしてもらったり、ちょこちょこ発表しはじめてましたね。

おもろなってきたんですね。

いや。その頃はつくるということに悩んでましたね。

あ、悩んでたんですか。それはどういうことですか?

粘土の場合は特にそうなんですけど、彫刻家って山ほどいるでしょ。例えばイサムノグチの石の彫刻とか触れるじゃないですか。さわることで自分の作品と比べることが出来るのですが、そうするとやっぱ、自分の作品はあんまり面白くない。

そうなんですか!

あ。これはアカンと。

落ちこんじゃうんですね。

そうそう。

視覚というのは情報量が多いですよね。それに比べ、触っていくという作業は時間軸の経過もいるし、単純に指の距離の移動もいる。美術体験として、見るのと触るのでは、全く違う体験になりますよね。

全く違う体験なのかどうかは、視覚障害を持つ僕にはわからないんですよ。

ああ。そうか。確かにそうですね。

見えていた経験というのが、かなり幼い頃の話なんで、そういう作品的なものって憶えてないでしょ。だから、触った感じと見た感じが違うという事がわからない。

なるほど。

僕としては、そこが興味を惹かれるところです。

私は以前、兵庫県立美術館で光島さん達と目隠しをして、彫刻や平面作品を触ったんですよ。そうしたら逆な意味ですごいショックを受けてしまって。触ってみても全然何が何やらわからない。かなりゆっくり触ったけど駄目。わからない。その際に感じた疑問というのが"これは美術体験として成立するのかどうか"と。

頭の中で、像が結べないんですね。

そう、像にならない。絵にならないんです。

僕の場合は、触った感じで頭の中で像がむすべるんです。よっぽど複雑じゃない限り。

あ。やっぱり像になるんですか。こういう形なのか、と。

頭の中で思い出せる形としてね。もちろん見た情報とは違ったものだと思いますが。触った感じの情報で組立てたものを頭の中で、何度も思い起こしつつ、何度も触ります。複雑すぎて、または大きすぎて、像を結べない作品ももちろんあります。それでもかなりの場合、像が結べる。頭の中で形を思い描き、反復できる像が。

そこは訓練が必要なのでしょうね。

ただね。空間がない。うーん、空間がないというか、作品体験を空間を含めてはあんまりわからない。空間が面白いとかよく言うでしょ。形と形の間とか。その辺の認識はあんまりないんですよね。僕の場合。

たどっていった"線"としての認識がつよいのかしら?

う〜ん、恐らく線とか面とかっていうことになるのかなぁ。いや、でも、ほんと触ったまんまなんですよ。

触ったまんま?

わははは。説明するのが、むつかしいけど。

片手で触るんですか?それとも両手で?

両手、両手。

両手という時点で、もう複雑な情報になってますよね。

両手で触るから距離感とかが出るんですよ。ボリューム感も両手で触るからわかる。片手だとなかなか、そのあたりの時間がかかってしまう。

なるほど。それで触ってみても、やっぱり"巨匠"とか"上手い"とか言われる人の作品は違ったんですか?

いやー。真似もしたいし、自分なりの特徴というか、見えないということも含めて、何か面白いものを造りたいという野心が。

わははは。

そう!野心がありましたからね!でも出来ないんですよ。そんなに上手いこと。粘土という素材が特にそうなんですけど、もともと思うようにならないものでしょ。こんな形に決めたいと思っても、重力の問題もあるし、焼くし、壊れるし、ぐにゃぐにゃなったりね。まぁ技術を積み上げることで可能になることもありますが、非常に複雑で、横に伸びる形とかと出来ないですね。支えが必要だったり。頭で思うような形というのには、なかなかなってくれないもので、そこが面白い所でもありますが。僕の場合、ただでさえ納得できる形に出来ないというのに加え、一般の彫刻家の作品を触ってみたら、こう、歴然と。

ほー。

アカン。

"う〜ん、僕のはまだまだや"と。

これは時間がかかるなぁと思って。かと言って、月に一度東京に行って造ってるぐらいでは、なかなかね。この近くで陶芸家の人がいらっしゃったんで、陶芸教室に押し掛けてつくったりもするようになったんですが、なかなか思うようには行かなかったな。それなりにはつくってましたけどね。
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