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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


23 空腹の技法 その4 contact Gonzo

 

 
<<パフォーマンスは一つの手段で、生き方の方法>>

+路上で踊るにしてもその意識はいろいろあると思うんですね。例えば、最近、モノクローム・サーカスさんの収穫祭関連の映像をたくさん見せてもらって面白かったのは、初期の映像は、日常に違和感のある空間を挿入する感じ。そうこうするうちに、通りすがりの見物人やお客さんとやりとりする面白さに気づいて、それを取り入れるという風に変わって来た。そういった通行人への意識はどうでしたか?

垣尾:場所を選ぶときには、単にそこでやるのが気持ち良さそうだからということが最初にあるんだけど、やっているとそこには人がいるし、その反応が面白いなということは意識します。その場で生まれるような面白さ、異物を投入するということなのかわからないけど、自分たちがそこでやることによって面白いものが生まれると思う事はあります。

+例えば?

垣尾:こないだ 梅田のBigManの前でやっていて。

+ひぇ 〜。恐ろしい。

垣尾:後で映像を見てみたら、映っている人たちの反応が面白かったです。その面白さは、異物を投入しての反応ということになるのかな?

塚原:さっきの話で言うと、ダンサーっていう人たちは、外に向けて何かを発信しているというか、見る人がいることを前提として何かを表現する。僕らのスタンスは、むしろ公園でサッカーの練習をしているのに近いんです。人に向けてやっているというよりは、お互いの中でのやりとりをどんどんやってみて、結果的に人に見てもらいたいということがあるから、敢えて梅田に行ってやったりするんだけれど。そこでだって、「パフォーマンスやります。はーい」っていうんじゃなくて…それをやるにはシャイすぎるのかも知れないけれど。「表現」と思ってやってはいないということです。

垣尾:僕もです。

+確かに、ダンスで「表現する」モデルは歴史的に見ても100年ちょっと。ダンサーがいて、その人の思想なり感情なりを表現するという伝達モデルによって、モダンダンスは人に見られるものとしての地位を確立したところがあるんだけれど、そこで制度化された作者から受け手へというモデルの効力は、今あまり信じられない人が多い気がしていて。もっと違うところに面白さがあるのではという部分では、共感できます。
でも、出発点は純粋に自分たちの中での面白さだとして、これを人に見せてもいいんじゃないかな?と思った時点で、最初の面白さとは別の、「見る視点」からの面白さが生まれているんじゃないでしょうか。例えば、You Tubeにアップロードするのもその延長だと思うのですが。そのときの視点の違いみたいなものに気がついたりしたことはありますか?例えばその視点は、アップする映像の編集や選択にあらわれるのではと思ったりするのだけれど。

塚原:You Tubeは最初のほうはまるまる全部上げてるんですよ。編集しない。
今の話に答えるなら、人に見せたい部分と見せたくない部分をあまり考えていないんです。そこも表現のリテラシーということで、この部分は見せたらよい悪いということは、表現の現場で、表現の価値が確保されるために出てくるものだと思うんだけど、僕らはその視点を外してみた。例えばリュック背負って会場に来てっていう部分を隠す必要はないし、今回の展示も、きっちり見せる方法もあったかと思うけれど、敢えて僕らの靴とか服とかも僕らの生活の延長というくらいのスタンスを見てほしいという部分もあります。だから隠す部分がない。

+ノー編集は、先のGonzo主義にもつながりますね。

塚原:ん〜。ありのまま…と言うとかっこ良すぎるのかも知れないんだけど…。

垣尾:全部が手段になってるってことだと思います。生き方の手段という意味で。contact Gonzoは、今はパフォーマンスという文脈でだけ見られていて、パフォーマンスは必要なものであるんだけれど、手段の一つにすぎない。そういう意味で、僕が思うのは、現象、あるいは何かを探している過程を、contact Gonzoと名づけてしまったという感じ。それは宗教とか、科学とか、数学とかに近い感じなんです。

+思想?考え方という意味で?

垣尾:考え方というより‥成り立ちもそうだし…別に神様とかはいないんだけど、contact Gonzoの伝導をしているくらいの勢いですね。

+言葉で捉えると、全体として受け止めてほしいというのが一つあるんですね。それはおそらく、「作品」という言葉で表される諸々に対立するものである。もう一つは、世界を把握する仕方といったことでしょうか。

垣尾:そうですね。ただcontact Gonzoの世界観は固まったものじゃなく、動き続ける感じとして思っていますが。

+その場に触れ続ける中で変わっていくもの?

垣尾:はい、変わり続けるということは重要ですね。πみたいなものです。数学で考えてみたんですけれど、contact Gonzo≠π。

+数学の比喩…助けて 〜。

垣尾:円周率。

塚原:3.14....って。

垣尾:虚無数とかも。

+もっとわからない。近似値?暫近線?

塚原:虚無数っていうのは、割り切れず、小数点以下終わりのない数字のことです。数学の理論上説明はできるんだけど、実体はない。

垣尾:πとか虚無数とかずっと続く流れや運動を記号化したようなものが神様っぽいし、神様も「自然」の別称としても思えるところもあるし、contact Gonzoもそういった動き続けている何か本質的なものを探している感じから、イメージしたんですけれど。

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