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フェスティバルゲートで活動する4つのNPOの検証と未来に向けてのシンポジウム
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+ 新世界アーツパーク未来計画実行委員会
ダンスボックス記録と表現とメディアのための組織ビヨンドイノセンスこえとことばとこころの部屋。これらの4NPO自らが、新世界アーツパーク事業の今後の方向性を考え、より社会にオープンな場を形成するために立ち上げたグループ。


第二回シンポジウム

第二回シンポジウム議事録
「創造都市シミュレーション〜新世界とアートとフェスティバルゲート〜」

7月15日(金)18:45開場 19:00開始
500円(当日カンパもうけつけております)
会場:remo (フェスティバルゲート4F)

ゲストトーカー
上山信一(大阪市立大学大学院特任教授/創造都市研究科)
藤浩志(藤浩志企画制作室代表、RSPS lab.主宰、美術家)
 

 
第一部19:00〜19:40
新世界アーツパーク未来計画実行委員会によるフェスティバルゲート再生プランのプレゼンテーション「創造都市シミュレーション」

甲斐
 第二回の新世界アーツパーク未来計画のシンポジウムを始めたいと思います。今回は、「創造都市シミュレーション」と銘打つかたちで開催させていただきます。今日は一部と二部に別れてます。まず一部のほうでは、ぼくら4つのNPOで、このフェスティバルゲートがどういうふうに再生されたらいいのか、もしくはこういうことを考えてみたらいいんじゃないの?という提案を一度作りましたので、それを発表させていただきます。それをもとに二部の方で、上山信一先生と美術家の藤浩志さんのおふたりに、つっこんでもらって、たたいてもらって、もんでもらったらいいんじゃないかな、というふうに考えています。このシンポジウムは今回で第二回なんですが、第一回に来られてなかったかたもおられるかと思いますので、大急ぎでこれまでの経緯を説明させていただきます。第一回シンポジウム自体はお手元にあります「SAP-B」という冊子のなかに、簡単なダイジェストを用意しておりますので、後ほどご覧いただければと思います。
 さきほど裏手で、どこから話したらいいんだろうと話していまして。ココルーム、「NPOこえとことばとこころの部屋」の代表の上田假奈代さんからおもしろい話が出てきたので、ここから話を始めたいと思います。その前に、ダッシュで紹介です。「NPOダンスボックス」の大谷さんです。上田さんです。ここ「NPO remo」の代表の甲斐と申します。ブリッジ、「NPOビヨンドイノセンス」の井上さんです。では始めます。よろしくお願いします。

上田
 上田です。こんにちは。このフェスティバルゲートの立っている場所のことについて、少しずつなんですけれども、いろんな人の話を聞いたり本を読んだりしたことを、私なりにお話したいと思います。研究したわけでもないので、間違っていたらごめんなさい。
 すごい昔の話です、このあたりは沼地で、そして人々が開墾してここに住んでいくわけですけれども、貧しい社会的に弱者の人たちが住み始めます。明治時代に内国勧業博覧会ていうのが開かれ、ここは「ルナパーク」という遊園地になるんですね。で、通天閣にゴンドラがついて、「楽しいまち」づくりをするんです。その発想ってこのビルに似ていると思いません?塔にゴンドラをつけちゃう。フェスティバルゲートは建物にジェットコースターが巻きついていますから、私はこの写真を見たときに、今も昔も同じことを考えるんだなというふうに思いました。この博覧会のなかで「人類館」ていうパビリオンがございまして、これはアジアやインドや中国や琉球やアイヌの人たち、生身の人間を見せ物にするという博物館。琉球の人たちが、自分たちをアイヌの人と同じように差別をするな、という批判を起こして、これは中止になります。その経緯を私はまったく知らずにこの場所にいたんですけれども、一昨年前ココルームに沖縄の人がいらしてそのお話をしてくださって、この事件を検証することをここでやりたいということを聞いたんです。それからこの場所にとても興味がわいて、調べていきました。いまはドヤ街は西成区にありますけれども、明治のころまでそういった安い宿はでんでんタウンのある辺り、日本橋の辺りにあったそうです。けれども、天皇陛下が堺筋通りを通るから、ということで、もっと辺鄙(へんぴ)なところに追いやって、町をづくりをしていったという経緯を知りました。追いやられる場所なんだなと思いました。でも今ここでフェスティバルゲートが建っていて、私たちは生きているので、そんな偏見を持つこころの扉を開いていくことを、今の時代としてとり組んでやっていくのが大事なところだと思っています。

甲斐
 ありがとうございます。次は、ぼくたちがなぜここにいるのかという経緯です。これは大阪市の文化施策の一環として「芸術文化アクションプラン」ていうのがありまして、それをもとにここにいるわけなんですけれども、そのあたりを大谷さんから説明お願いします。

大谷
 假奈代さんの話を聞いてて、ちょっとだけ付けたしで。ぼくが調べていて出てきたおもしろい事例があります。第5回内国勧業博覧会というのがおこなわれたときに、そのなかに「不思議館」というパビリオンがあって、そこでサーペイン・ダンスをする、カーマンセラ嬢ていうアメリカ人のダンサーがいました。当時1900年初頭に、コンテンポラリーダンスの隠れた生みの親と言われているロイ・フラーというアーティストがいて、その人がサーペイン・ダンスという、布を使ったややきわもの的な色っぽいダンスをやっていました。その2年後に内国博覧会があって、そのパッチもんが新世界でおこなわれたわけなんです。つまりここは、ある意味では追いやられた町なんですが、新しいものを生み出す力をこの町は持っていたんじゃないかというのを、今の上田さんの話を聞いてて思い出したので付けたしたいと思います。 
 私たちがここへきて新世界アーツパーク事業を展開するに至った経緯についてお話しします。2001年に大阪市の「芸術文化アクションプラン」が策定されました。そこにはいくつかの事業があるんですが、そのなかのひとつとして新世界アーツパーク事業というのがあります。2002年のはじめの頃に大阪市のほうから、フェスティバルゲートの空いている場所があるから、そこを先駆的で実験的な芸術分野の活動をとおして、活性化を一緒にしないかという話がありました。そして2002年の4月に、ここの一角に仮事務所を置きまして、大阪市と契約を結んでいくなかで、NPO法人化してくださいというサジェッションがあって、当時上田假奈代さんのココルームはまだだったんですけれども、3つの任意団体が法人化して、ここを実際に運営していくことになりました。オープンしたのが2002年の10月、そこからそれぞれのNPOが各スペースのなかだけではなくて、いろんなかたちと地域との関係を持ちながら現在まで活動をしてきたという次第です。

甲斐
 それで、今年の5月に、つい最近なんですけれども、この事業をすすめていくうえで、さまざま新聞などで報道されている、このフェスティバルゲート全体の運営の問題が出てきました。ここは交通局が持っているスペースなんですが、その運営の問題に加え、大阪市全体の予算の問題もからんできています。そこで大阪市の文化振興課から、「ここを離れてやるということを考えよう」と投げかけがありました。ぼくらも意味としては判るんですけれども、それを事務局レベルで、会議レベルで話をするのではなくて、今までこうやってやってきたことを検証しつつ、こういった文化の動きがどういう意味があるのか、もしくはこれを考える材料にしながら、大阪市さんとパートナーシップを今後も続ける上で、話し合ったり考えたりする場をつくるほうがいいんじゃないかということで、この場があります。
 では、さっそく、創造都市シミュレーションというのに入っていきます。みなさんマイク持ってもらって、思ったことをその都度言っていただくような感じで。ぼくらなりに、一生懸命考えました。と言っても、素人です。つっこんでいただけたらよいかと思います。すみません、明かり落としてください。
 

 
---プレゼンテーション---
##「創造都市シミュレーション」の内容は、下記よりダウンロードしていただけます##

newworld_hills.ppt.zip(Power Point書類をZIP形式で圧縮。約7.5MB)

---プレゼンテーション終了---

上田
 速かったねえ。

甲斐
 でも時間配分的にはあと3分でこれを終わらなくちゃいけなくて……

上田
 あ、そうなんや。私は、こんなことを考えはじめて、可能なのかどうなのか調べなくちゃと思って、専門家の友達に電話をしてみたんですけど、「もう無理、この建物はだめ。更地にして立て直すしか、もう再生の方法はない」とか、かなり無理よという言い方をされました。「そんなことしてるよりも、さっさとあなたたち次のこと考えなさい、労力の無駄よ」と言われました。けれどもさっき申しあげましたが 通天閣にゴンドラがついて、追いやられている人たち、追いやられてるのに何かおもしろいことをしてしまう町。ここで、権力や権威を持った人たちが、何らかの象徴のためによくわかんない建物を建てて、100年ごとに同じことをしているわけで。だったら、ここに生きる人たちが、自分たちの手でこの建物というものを組み立てていくことをやってみたいと私は思ったんですね。で、いっぱい情報は錯綜するし、やらなあかんことはたくさんあったんですけど、いろんな人に知恵をもらって、ひとつずつことばをこうやって集めてきて、今たたいている最中です。

大谷
 ここに至るまでに、何回かブレストをして、そのなかでみんながいろんな意見を出して。とにかく、あの、なんていうのかな、現実的でなくてもとりあえずひとつのドリームプランをつくってみましょうと。ただまったくのドリームプランなのではなくて、このあと第二部でお話していただく上山先生とかに、財政的にみてこれはじっさい可能なのかということを、言ってもらいたいなと思っています。もうひとつ、假奈代さんの話とかぶるんですけど、第一回目のシンポジウムのときに、創造都市という視点で海外の事例を佐々木先生、吉本さんのほうから話していただいたんですけれども、実際に海外で、大都市の中心部が非常に空洞化していると。空洞化しているところこそ新しいアートが生まれてきて、都市の再生化につながっている。これは、この土地というものが、昔から差別されている側が住んでいた町です。日本のなかでもそうなんですけど、たとえば歌舞伎というものが生まれてくるのもそういうところですし、ここは新しい芸術や芸能が生まれてくる、まさにそういう場所ではないかと思っています。以上です。

井上
 ええと、ぼくは難しいこととかはわからないんですけど、とりあえずなんか楽しいところにしたいなと思います。それも、誰か特定の人だけが楽しいのではなくて。今の状態だと、たとえばぼくら現代音楽とかコンテンポラリーダンスにかかわる人はここ来て楽しいけども、ほんだらほかの人はどうなんかということが、まだ全然この場所になはいので、何かこういろいろあると……

上田
 そんなことないよ、ココルームには「カラオケー!」とかいう人来るで(笑)。「ここにはカラオケないんです」って説明して、それでもなんとか仲良くやってますよ。

井上
 (笑)いや、でもまあ、もっといろんなとこがあれぱ、もっといろんな人が集まると思う。ぼくずっと大阪住んでるんですけど、「新世界」とか「西成」って聞くだけで、「ちょっと……」ていうのが大阪の人ってあると思うんですよ。だから、ちょっとでもここのフェスティバルゲートのところは違うよっていうのが、すごい時間はかかると思うんですけど、そういうのが定着していったらいいかなと。あとはまあ、なんしか楽しいところになればいいかなってぼくは思ってます。

甲斐
 ありがとうございました。すいません、早すぎたのかもしれませんが、ぼくら4NPOのほうからのシミュレーションをお伝えしたのが、以上、一部でした。今から予定では10分休憩しますので、7時50分から二部を始めたいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。(拍手)

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