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吉本(興業)でのシネマワイズ時代はもちろん知ってるけど、それまでは何を?

TVの番組作っていて、でもTVが嫌いでキライで全然観てなくて…。ウチにTVないし。
最初、ダウンタウンもどっちが浜ちゃんか松っちゃんかわからんかってん。
のっけから、関西ではいわずと知れた吉本興業の元・社員とは思えない意外なコトバ!

よく入れたねえ、っていうか何で吉本入ったん?

ただ単に面白そうやったし。映画の仕事したくて、コネもないのに…。全然募集がなくて。ここで何かやってたら、そのうち映画の仕事まわってくるかな…と思って。映画は大好きで学生時代から観ていた。よく行ったのは、ダイマイ地下(堂島にあった毎日会館の地下にあった名画座。現在、ジュンク堂が入ったビルに生まれ変わっているらしい。自身、大阪の土地感がないのでよくわからなかったが)っていう、同世代のアート系の映画好きのメッカみたいなところ。好きな人は中学、高校生から通ってるような。

どんな映画やってた?

旧い映画とか。それこそ『白鯨』とか、確か最後の作品がそれだったと思う。
彼女の口から、こんなタイトルが出るなんて。シブイ、渋すぎる…
吉本が映画館(夜だけ映画館・シネマワイズ)やってるっていうんは、T氏(幼なじみ=彼女の先輩で前任者に当たる)におしえてもらっていて、関西版ぴあとかチェックしてそれ自体は知ってたけど、何でいきなり映画館の仕事がまわってきたの?

はじめ、梅田花月(劇場)が夜だけ映画館にするっていう時、それこそTさんとかが立ち上げに関わっていて、ホンマ大変だったようで。吉本はコヤ主というハード面のみの担当で、かける作品等のソフトの部分は別の会社に外注していた。『ビリケン』(阪本順治監督)を他の映画館と同時公開してたりもしていて、かなりもめてた。そうこうするうちに、小さい会社だからウワサたつじゃないですか、社内でやりたいもんにやらした方がええやん、誰かおらんか、ということになって。

で?

それ聞いて、すぐ部長のところに行って「ワタシやりたいんです」「ほな、やるか?」ってことになって…。そーゆー会社やったん。

吉本はどれくらい?

結局ちょうど8年いた。その時たぶん5年目でTVの仕事がイヤでもう会社辞めようかと思ってた頃。その前は(2丁目)劇場とかもやってて…シネマワイズが約3年。

シネマワイズではどういった感じで?

知ってのとおりですヨ。客席は200席くらいあって満員にしたら400入る。レイトショーだけなのに新作やってもアカンでしょ。考え方変えて名画座として2本立てでいこう、ってことで、フィルムを借りることになるんだけど。それまで全然映画ギョーカイのこと知らなくて、最初、版権切れてる、という意味もわからなくて。フツーに『プリティウーマン』が上映できるんや、と思ってた。けどビデオになっていたらお客さん入らないから、ビデオ化されてない作品を基本に2本立てで安い値段にしてイベントをつけようと。ここのコヤは舞台やからそれができるなあ、ってことで1企画につき1イベントをつけるということでやっていった。

最初の企画は?

怪談映画特集かな?稲川淳二さん呼んで怪談トークしてもらって、大蔵映画とかマニアックなもの…フィルムも古くて赤くって…。あれは意外とお客さん入った。マニアうけだったけど。他で入ったものでは、ドリフ特集で高木ブーさんにきてもらったり。

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