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(I)扇町Talkin'About(開始は2000年)

http://www.oms.gr.jp/
(4月からはhttp://www.talkin-about.com/に変更)

主として使われている店その1:
Jaipur(インド料理)
主として使われている店その1:
bar RAIN DOGS
【現状】
 OMS(扇町ミュージアムスクエア)の現マネージャーである山納洋(OMSは2003年3月で閉館となる。つまり実質最後のマネージャー)が仕掛け人。概略的に述べると、扇町周辺の飲食店やカフェ、バーの一角を使用し、同士、哲学、映画、お笑いなどについて語り合ったり、あるいは自作の詩を朗読しそれについて講評したり語り合う。参加者は、店に対して己の飲食費のみ負担する。店の空いている一角を客として使用しつつ、そこに会話の場を出現させるのである。つまりは先述の転用例の一つであるとも言えるだろう。時間と場所とテーマについてはチラシやホームページで告知され、それに関心を抱いた者がそこへ行き、初対面の者であれ常連の者であれ、集まった者同士互いに語り合う、というものである。店での飲食費を払える者なら誰であれ参加可能なサロン的な場が形成されるのである。
 これは、「あるカルチャーが台頭するとき、そこには必ずクリエイティブな人々が集まるサロンがあった...ダダイズムにおけるキャバレー・ヴォルテール、サルトル・ボーボワールが実存主義者を熱く語り合ったサンジェルマン・デ・プレやカフェ・ド・フロール、日本でも映画・演劇関係者が論争を繰り返した新宿ゴールデン街など、様々な伝説とともに語り継がれている。でも今の僕達にとって、サロンは幻想でしかない。過去のサロンは今や観光名所だし、今流行っているオシャレ系カフェで誰かに出会うわけでもない。本当に「才能と才能とが偶然に出会い、そこから新しい何かが」なんてあるの?「サロンは現代において、大阪において可能か?」こんなテーマに挑戦するべく、OMSでは最近、ある実験を始めました。」(注11)といった考えに基づき試みられている。つまり、都市という、多様な人の集積地に、人同士の接触のための拠点を設け、自然発生的に文化が形成されるよう促す場づくりが目論まれている。山納本人はあくまでも調整役であり、実際のところ運営は、お笑い、哲学、映画等当該ジャンルの各々につきある程度知識を持つと見なされる者(必ずしも専門家の肩書きを持つ必要はない)に委ねられる。かれらが場所や時間やテーマを設定する。
 実際生じるのは、議論のための議論(哲学カフェなど、結論が出るかどうかは問わず観念的なテーマについて思い思いに語り合う)、映画やお笑い等、趣味を同じくする者同士の語らいなど様々である。あるいはたとえば『水都再生の夕べ』等、現在論じるに値すると見なされる具体的なテーマ(ほかにも今でも実現可能であると考え得るビジネス。たとえば輸入雑貨店など)について議論を促し、役所等へと提言し得る意見の形成の機会となる場も設けられる。
 この試みはOMSの閉館後も継続する。山納個人も一市民として関わる。

【その問題意識】
 山納個人の考えは、メセナ協議会発行の『メセナNOTE』掲載の文書にうかがえる。そのまま引用する。まず、「最近の傾向として、多くの芸術ジャンルにおいて、鑑賞者人口は減少してきている一方で、自ら表現を行う人の数が増えてきている」と、彼なりに状況を認識する。そして劇場を例として次のように、己の考えを述べる。「「劇場」という場所は、基本的に情報の発信者としての表現者と受信者としての観客によって成立しているのだが、観客は今や受信者としての立場にとどまるだけでなく、自ら舞台に立つことによって発信する側にもまわっていく。ここにあるのは舞台上の特権的な表現者と受け手としての観客、という構図ではなく、表現者も観客も同じ目線の場所にいる「フロア」構図なのではないだろうか」と。舞台と客席と、互いを距てる境界が無となり、相互混在するところ、ここにフロアが成立するとされる。
今は、このようなフロア的な場を求める者が多いと認識され、だからこそそういった場をつくることが必要と認識されるのである。さらに、こういったフロア的な場は、「さまざまな立場の人たちに開かれたパブリックな空間」(注12)とみなされる。
お笑いや哲学や映画について語る者、自作の詩を朗読する者は、表現者と見なされる。かれらによって占められる店の一角がフロアであるということになる。かれらは(語り手として)表現者でもあり(聞き手として)受信者でもあり、そこに交されるやり取りにおいて自然発生的に生じるであろう文化が価値あるものとされるのである。
 ここまで、山納の談話をもとに、扇町Talkin'Aboutのシステムについて、形式的に述べてきた。その内容、実態については、HPを参照したり、あるいは実際そこへと参加するなどして、読者諸氏に判断してもらうことにする。また、この試みが実際に文化の形成を促すことになるか否かは、山納個人のみならず、そこに参加する人々の才覚や活力次第であることについても、注意しておく必要があるだろう。山納はあくまでも仕掛け人であり、それが実際波及し展開するかは、参加者相互間における《自然発生的な動き》および、それが《開かれていくこと》の実際的な程度と性質次第であると考えるべきだろう。

[なお、現時点では「Commons Bar SINGLES」というプロジェクトが進行中である。詳しくはホームページを参照のこと。これも上記の問題意識に発し展開されるプロジェクトである。扇町Talkin'Aboutは既存の店の一部を使用し一時的にサロンへと転用しようと試みるものであるのに対し、Commons Bar SINGLESはそういったサロン的空間を常時確保する試みである。]

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