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(II)内部環境について
 
 現在、アーツアポリア事業の場として活用されているのは、旧200棟、旧300棟、およびそれら建造物の間にある広場(ここはかつて、貨物列車の発着駅であった)である。建物内部は、現在図Bの示すとおりに活用されている。けれどもこの状況は、あくまでも現時点において確認しうる限りのことであり、事業内容の進捗次第で変化する。空間の用途は、定められていない。むしろ、そこで実際行われることに応じて、着実につくられ、そして必要なら、応じてつくり変えられるというように。そこは、フレキシブルである。
 
<バーカウンター>
<扉とバケツ>
 それはたとえば、現在、《アントルポッレクチャールーム》として活用されている、部屋のつくられ方に顕著である。すなわちそこには、レクチャー聴講者用の座所と、そこを挟んで両脇に位置する、バーカウンターがある。バーカウンターでは、ビールやウイスキーなど、アルコール類をも含む様々な飲み物が、格安で販売される。そこはただ、ものとお金の交換のやりとりに限定された販売スペースではない。レクチャーの、話者と聞き手の双方の交互行為(話者が一方的に話すだけでなく、聞き手からの質問といった反作用もそこには含まれる)が成立する中心的な場から、一息つくべくしばらく離れ、飲み物片手にリラックスするのに適した場である。また、レクチャールームから二棟間の広場に向けて開く扉のすぐ外側に、タバコの灰を捨てるための水入りバケツが設置されている。
 二箇所とも、この部屋の趣旨からすれば中心的とされるレクチャーという営みが織り成す領域との関係においては、付随的であるのみならず、逸脱した、余分な場である。けれどもそこは、主となる営みの妨げとならず、さりげなく一息つくのに適している。それは、余分であるがゆえに欠かせぬものであるといえる。
《アントルポッの放課後》のメンバーである小山田徹は、己の空間観につき、次のように言う。「空間が狭かったらその中で行われることって統一されがちなんやね。たとえば室内だけだとしたら、みんなの目が届く。だからおのずとスタイルの強要というのが行われそうな感じがするんだけど、空間が広ければ、あと開放的であれば、さまざまなスタイルを持った人が存在していてもそれが他者とか他のグループに対して影響力をもちにくいから気楽に存在できる。融合するんやったら長い時間をかけて融合もできるし、一人でいたいひとは庭の端っこへいってぼうっと過ごすことも出来る」(*7)。こういった、画一的なスタイルの強要を抑制し、その多様性(すなわち一つの同じ空間内に居ても、人が、個々別々で居られること、一人佇み物思いにふけること等)を許容するのが、「隙間がまだたくさんあるという空間」であると、彼は考えるのである。この部屋は、レクチャー以外にも、音楽イベント等の後、懇親会のための場として使われる。筆者は上記以外にも、車道側へと開放された扉周辺、奥まったところも、隙間的な場と成り得ることを確認した。人は、これら隙間を埋めるように集まる。つまり、あらかじめ定まった単一の、強要する中心を備える空間に、入れられ集められるというよりは、同一空間内部に、複数散在する隙間を見出し、埋めてゆくという具合に集まりを成すのである。(なお、『大阪市アーツアポリアニュースレター(vol. 02)』には、「小山田徹さんを中心とするチームが倉庫の1つを「レクチャー・ルーム」に改造。…中略…さらに松井智恵さんが倉庫の雰囲気を巧みに残しながら赤レンガの壁の一部を石灰で白く塗装、プロジェクション用のスクリーンを制作。」と報告されている。人の関わりを成り立たせる空間内部が既にして、そこと関わる人たちの共同作業(アントルポッのメンバーをも含む)でつくられているということがうかがい知れる。なお、その状況について事務局スタッフより聞いたところ、レクチャールーム改造は2種類の要素からなる。すなわち、A:バー&ミーティングスペースB:投射壁面。A:デザイン&現場監督は小山田徹氏。アシスタントとして彼の仕事を京都でいつも手伝っているメンバーが2〜3名である。例えば細部の力学根拠に基づいた設計デザインは、京都精華大学建築専攻の男子学生による。彼自身も大工として労働もしていた。あるいは、バザールカフェも手伝っていたという男性も参加していた。B:アイディア&制作は松井智恵。アシスタントとして、松井氏のパートナーが参加。A&B案共に、アントルポッのメンバー全員で構想。改装時、要した期間については、A:今年の5月7日〜5月24日(18日間)B:5月10日(約1日)である。構想は2001年11月28日の月例会よりスタート、それ以降毎時例会時にA&B案の担当者が図面やスケッチを持ち寄り、現場と照らし合わせながら調整をした。(5ヶ月)材料の調達に関しては、A:京都在住の小山田氏が、演劇用の資材をいつも購入しているところ(多分京都市内?)B:大阪市生野区の松井氏が、作品材料を良く調達する近隣の日曜大工用品店(大阪市内)ということであった。
  
(I)では、赤レンガ倉庫が外部環境から分離されていること(さらに、柵を設ける等により、分離の状態が促進されていること)を確認した。(II)では、そういった、外からすると分離され、隔離されているにもかかわらず、一連の倉庫群(二棟の倉庫間のスペースをも含む)内部では、活動の多様性を許容する開かれた環境が、物的に志向されていることを確認した。つまり、外からの分離と、内向きの開放が、同時に志向されていると考えることが出来る。ケヴィン・リンチは、一つのまとまりを成すとイメージされる地域には、直に取り囲む周辺との関わりにおいて、外向きのものと、内向きのものと、二つあると述べる (*8)。赤レンガ倉庫は、かつては外向きであったが、現時点では、その内実は内向きである。けれども内向きであるのは直接接する外部環境との関わりにおいてであり、その内部では、そこに来る者居る者の各々の関わり方等多様性に対して開かれた外向きのものとなることが志向されている。

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