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粟谷菊生(あわや・きくお)。能楽シテ方喜多流。人間国宝。「能は技術だ!」と断言しながら、その舞台は、人間味溢れる<情>が観客を魅了するミスター能役者。はたまた、能楽界の古今亭志ん生!?能楽堂の楽屋口に“出待ち”のファンが並ぶ81歳。

 <お初天神>の“ねき(=傍ら)”の割烹<北龍(ほくりゅう)>。
 当然、待合せ場所は、<お初天神>、といきたいところだが、ちょっと中に入ったところにあるので、お江戸の方にはちとわかりにくい。
 そこで、御堂筋沿いの、あのド派手な宝石店の前にした。
 待ち合わせの10分ほど前に行くと、着流しに羽織、ハンチング帽という出立ちが東京風の、粋な後ろ姿の御仁が佇んでいる。
 「ひゃ〜っ、やっぱり早う来てはる〜」
 駈け寄って、「先生、お待たせしましたか?」と後ろから顔を覗かせると、「今来たとこだよ」と、にっこり菊生スマイルが返ってきた。
 「あなた(=石淵)が何を着て来るかなぁって思ってたんだよ。やっぱり着物で来たね」
 気分は“曽根崎ランデブー”って感じかな。

 

せんせ(=先生)、わざわざお運びいただきましてありがとうございます。まずは生ビールでよろしいですか?

菊生「うん。今日はありがと」 

 

 <天神祭>を目の前にした曽根崎界隈は、いつにも増して賑やかだ。
 奥さん連中が集ってお祭の炊き出しで大わらわの<北龍>。
 暖簾をくぐると、なにやら美味しそうなものがいっぱい並んでいた。
 「あ、いらっしゃい。騒がしいてごめんな」
 「おにぎり美味しそうやね」
 「あかんでっ!これはお祭のんやから!」
 うっ、釘をさされてしまった。
 「ねぇねぇ、生ビール〜、早く〜」

 

せんせ、お嫌いなものはないですか?

菊生「うん、ない。(グビッとビールを飲んで)ああ、美味しいね。あのね、アタシの今考えてることはね、70歳まではね、大事に生きろってこと。そこまでは、大事に大事にしてね、70になったらね、何してもいい」

何してもいいんですか?(笑)

菊生「うん。そっからは、寿命だ」

ふっ(笑)

菊生「痛切に感じた。70過ぎて酒も煙草も飲まずにって、そんなんで肺癌になるやつもいるしさ(笑)。ね」

ねぇ

菊生「だから、70までは立派に生きて、あとは、運命だと思って。みんなに‘菊生先生は70過ぎても<勧進帳>(=『安宅』)なんか舞ったりして元気だ’って言われたけど、75過ぎてから、季節で肉体の衰えを感じた」

75を過ぎてからなんですか?!

菊生「うん、季節でね」

季節?!

菊生「季節が終って、次の季節になった時に、‘あ、肉体が衰えてる’って、いろんなことで感じたね。それでね、80になるなぁって思ったときにね、月で感じたのね。‘先月はこんなに出来たのに’って。そいで、81になったらね、1日ごとに感じるようになったの(笑)。1日ごとだよ(笑)?ほんと」

1日ごと…

菊生「そう。1日ごとに衰えるのをね、普通、治療とかなんとか考えるじゃない。そうじゃなくて、‘それは当然なんだ’って開き直ったらいいと思う。そして、舞台を勤めるのは、今までの蓄積があるんだから、火事場のくそ力じゃないけど、出来るんだよ。それでも出来なくなったら、幕を引けばいいと思う」

お?ほいじゃ、先生の幕引きはまだまだってことですね

菊生「うん」

嬉しいな〜

菊生「文ちゃん(=大槻文藏/シテ方観世流、大槻能楽堂理事長)にね、‘菊生さん、来年は、こんなの(=演目)をなさったらどうですか?’って言ってもらうとね、これはね、役者は嬉しいもんだよぉ」

毎年ご出演なさってる大槻能楽堂の自主公演ですよね。菊生先生が来年も出るっておっしゃったら、大槻先生も、そら、ものすごく嬉しいと思わはるでしょう

菊生「文ちゃんに恥をかかさないように、って思ってね。また、なにか、なにか、と思って訓練するの」

あっ!じゃ、来年も大槻能楽堂で(能を)なさるんですね!わーい

菊生「うん。そのかわり、‘来年で終ります’って、はっきり言ったの」

えーっ?!あ、でも、来年のことは来年になってみんとわからへんもんね〜(笑)

 今年、大槻能楽堂自主公演能は16公演。
 そのうち1公演は、<粟谷菊生>の能である。
 それは毎年、自主公演が昭和59年にスタートした時から変らず続けられてきた。
 昭和56年に旧大槻能楽堂が老朽化のために改築を余儀なくされた時、他流にもかかわらず(大槻能楽堂の理事長は観世流)、率先して援助をしたのが誰あろう、<粟谷菊生>だった。
 「他流の人がこんなにしてくれるんだから」と、大槻同門、社中は結束し、その<粟谷菊生>の“心意気”が、いかに資金調達の後押しをすることになったか。
 現・理事長<大槻文藏>は、事あるごとにその話を繰り返しして、決して<粟谷菊生>の恩を忘れない。
 そして、<粟谷菊生>も、その気持ちに応えてきた。
 今年、各地で上演される<粟谷菊生>の能は全部で6番。
 意識的に番数を減らしているのは誰の目にも明らかだ。
 
 大槻能楽堂の自主公演では、8月16日に『通小町』を舞う。
 この『通小町』は、<粟谷菊生>の能に出会える貴重な機会なのだ。。