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では、水口先生にとっての、菊次郎さんの想い出というのはいかがですか?
菊次郎さんは六代目菊五郎さんのお相手もなさったことのある方だと伺っておりますが・・・。

水 口「そうですねえ。僕が存じ上げているのは晩年ですからねえ。とにかく何で
もご存知の方でした・・・」

竹三郎「ええ。惜しむべきは、何で全部向こうに持って行ってしまったのかな、と、思いますね。今は、後世に残さなければいけないということで、ある程度、教えたりしますが、うちの父親の菊次郎は惜しんだんじゃないでしょうが、余り教えませんでした。六代目菊五郎という方もそうだったそうです。
とにかく六代目菊五郎という方は、ご自身が芝居の全部をご覧になっていて、皆にも“芝居を見ろ”というお教えだったようで、初日があいた後、その日の終演後に、劇団(菊五郎劇団)の全員を集められたんだそうです。そしてそこで“あれはどうだった?”と、名指しで質問をされるんだそうで、その時に答えられない者は、二度と再び、声をかけてもらなかったそうです」

厳しいですねえ。

竹三郎「私は六代目のそういうことを、父・菊次郎からよく聞かされました。
うちの父は本名が渡辺良雄というのですが、そんな父がある時、六代目に“おい、よっちん、今日、勘平は煙草を何服吸った?”と聞かれたそうで、うちの父は屋台から見ていたのですが、勘平は何回も煙管を持つもんだから見ていても分からなかったんですって。それでもう偶々“はい、一服です”って答えたそうで、そしたら“よし!”っておっしゃって・・・」

へえー(笑)

竹三郎「そこから、あくる朝まで、勘平を手にとって教えてくれたそうです。私はそれをしょっちゅう聞かされていたもんで、父は絶対に教えてくれるだろうと思って、一度“勘平をやってみたいんでお教え下さい”って、お願いをしたんです。そしたら“バカヤロ、俺がお前に六代目に習ったとおりに教えても、まず体型が違う、声が違う、だから教わったとおりに教えても出来る訳がない。自分で勉強しなさい。”って言われました」

なるほど。

竹三郎「ですから、うちの弟子を含めて、今は簡単に習いに来ますけど、本当はそういうもんじゃないんですよね」

水 口「・・・ただね、鴈治郎さんから伺ったんですけど、武智歌舞伎、武智先生がようおっしゃったんですって。実際、武智先生は役者やないから動けない、それをね、ちゃんとどうやって動くかというのを説明出来るのが、立役は三津五郎さんで、女方は菊次郎さんや、っておっしゃってたそうで、鴈治郎さんが、“私が今やっている女方の基本というのは、菊次郎叔父さんに作ってもらったんや”って、おっしゃっていましたよ」

竹三郎「それは有難いことをおっしゃって下さって・・・」

水 口「昨日、人間国宝の会でそういうことをおっしゃっていたんです」

竹三郎「他人にはいいからねえ・・・(笑)。いや、ほんと、私が言うのもなんですが、菊次郎を悪くいう話は聞いたことないです。けど、うちの父はどちらかというと口下手だったから、“ああして” “こうして”と自分から言ったりするのではなく、そういう点では教え下手ではあったと思いますね。武智歌舞伎の時は、それを上手く聞き出して下さったのでしょうね」

水 口「鴈治郎さんは大恩人とおっしゃってましたわ」

竹三郎「嬉しいですね。またね、当代の鴈治郎さんは“叔父さん、どうしましょ?”・・・言うてね、ストレートにご相談に見えるのだそうです。口下手な父も、そう聞かれるとお話ししやすかったのでしょう」

それはもちろん、歌舞伎の世界のことですから、身体に入れられた上でご相談されるということですよね?

竹三郎「ええ、もちろんそうですね」

海外の芸能って、腕の上げる角度とかで表現されるものが理論としても成り立ってるような気がするのですが、日本の古典芸能というのは、盗む気持ちで深く見て、その上で体得していくことに時間を費やす、それを只々積み重ねていく・・・って感じですものね。

竹三郎「役者は、頭で分かることより、身体でそれを表現することが大変で、大切ですからね」

四世・菊次郎さんが素晴らしいお人柄であったせいでしょうか、6月26日、大阪松竹座での「四世尾上菊次郎追善 坂東竹三郎の会」の、菊次郎さんを偲ぶ座談会では松嶋屋三兄弟が顔を揃えられるという・・・素晴らしい顔ぶれですね。

水 口「鴈治郎さんも、その座談会に出たいとおっしゃっていたのですよ。ただ、近松座のロシア公演があって、その日が帰国予定日なので、ご迷惑をかけてはいけないということでね・・・残念がってはりました」

竹三郎「本当に有難いことですね。今の松嶋屋の三ご兄弟は、もちろん、幼かったんですけど、十三代目仁左衛門さんと菊次郎とは、さっき言いましたように、最後まで関西にいましたし、関西の歌舞伎を何とかという思いがね・・・。私は今、皆様からそうしたお言葉を頂く度に、菊次郎という人間の傘の下に入れた喜びをつくづく味わっています」

 

先生もお若い頃から歌舞伎の楽屋に出入りをされていて、皆がずっーと顔見知りで、本当に歌舞伎の世界って面白いですね。お二人のお知り合い年数も随分でしょ?

竹三郎「そうですね。十年、二十年じゃないですものね」

普通、会社なら定年というのがありますが、役者さんというのは生涯現役といいますか・・・。

竹三郎「(笑)元気ならね」

水 口「竹三郎さんが若い頃はどんだけ綺麗やったか・・・あ、今もお綺麗ですけどね(笑)。とにかく側に寄ると匂い立つようなね、パァーっとしたもん が有りました」

竹三郎「(笑)菊次郎はね、自分は地味な役者やったけど、お前は派手に無茶苦茶しなさいと、若い頃は無茶苦茶しなさいと言いました。手を上げるのでも、上げすぎてもお客様にアピールするようなそんなふうな・・・やりすぎたら私が止めるからと言ってましたね。そういう教えは影響されて来ましたね」

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