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四世・尾上菊次郎と当代・坂東竹三郎

水 口「(登場)はじめまして。水口一夫でございます」

先生、昨日は人間国宝の会、お疲れ様でございました。

水 口「どうも、ありがとうございました」

先生は、昨日、5月10日に、京都南座で開催されました「人間国宝の会」の演出をされておられまして、6月も、「坂東竹三郎の会」はもちろん、「馨明」の会など、数々の演出でお忙しい中、お願いをしてお越し頂きました。

水 口「いえいえ(笑)」

水口先生も、掘ったら出てくる出てくる(笑)で、本当に幅広く魅力的な方です。以前、このログ大阪のpeopleでも、水口先生の取材をさせて頂いたことがありますので、また、是非そちらのもご覧下さいませ。
それでは、早速ですが、坂東竹三郎さんにお入り頂きたいと思います。
竹三郎さん、どうぞ。

竹三郎「(登場)どうも。坂東竹三郎でございます。宜しくお願いいたします」

どうもありがとうございます。実は、公開インタビューというのは今日が初めてで、私も少し緊張しているのですが、どうぞ宜しくお願いいたします。

水 口「で、ここは、お風呂なんですか?」

そうです。この後ろが湯船になっていまして、先ほど、竹三郎さんも下見されたおりに、この後ろを覗いてらっしゃいました(笑)。

竹三郎「(笑)」

それでは、まず、竹三郎さんのルーツといいますか、竹三郎さんと歌舞伎との出会いを知る意味でも、最初に四世・尾上菊次郎さんのこと、そのご縁からお伺いしたいと思いますが。

竹三郎「はい。菊次郎は私の義理の父、私は菊次郎の名前養子になります。
ちょうど私がこの世界に入りましたすぐ後からは、関西での歌舞伎というのは非常に悲惨な現状でした。その時に私は、生意気なようですが、大阪での歌舞伎の火を消したくないと強く願っておりまして・・・。
また、これではいけないということで、十三代目仁左衛門さんと菊次郎が先頭に立って頑張られ、我々も、弟子ではありましたが低料金の自主公演を始めました。それを年一回ずつ開催していくうちに、松竹さんも若いもんが頑張っているのだからと演劇塾を開設してくれたりしました。そうしたことも何かしら現在の状況に繋がっていると思います。
そのうち、仁左衛門歌舞伎ができ、若松会というものも出来ました。

歌舞伎は、代々御曹司が家を継いで・・・というのが伝統です。
そんな流れの中で菊次郎が、“将来、お前がいくら頑張っても、歌舞伎というものは悲しいかな門閥制度というものがある。竹三郎という名前を継げば、皆さんの末席にでも並べるだろう”と、名前養子の話を切り出してくれたのです。
私も有難い話だと思い、昭和42年に竹三郎を襲名させて頂きました」

その自主公演は、市川雷蔵さんとかとご一緒の勉強会ですか?

竹三郎「いえ、雷蔵さんとかとご一緒だったのはその前です。関西歌舞伎がまだ元気だった頃の話で、雷蔵さんが寿海さんの養子になられる前のことです。先の白井さんが今のミナミのビックカメラのところにあった昔の歌舞伎座でさせて下さったんです」

凄くキャパのあるところでしたんでしょ?

竹三郎「ええ、ええ、物凄かったですよ。でも、関西にも今の中村鴈治郎さんをはじめ役者さんが大勢いましたからね」

 

竹三郎さんは、もともと散髪屋さんのお坊ちゃんだったんですよね?

竹三郎「そうなんです。お坊ちゃんではありませんが(笑)」

それがどうして芝居の道を志されたのですか?

竹三郎「母親がお芝居が好きだったんですね。男3人、女2人の次男坊で、私はとても甘えん坊でした。だからいつも、3歳4歳の頃から母親の膝にじゃれては甘えてまして・・母親が私の頭をなでながら言うんですよ・・・“あんたは役者になりー、あんたは役者になりー” (笑)って」

マインドコントロール(笑)、刷り込まれたんですか?

竹三郎「洗脳されたんですかねえ(笑)、子供心にとてもインパクトがありました
よ。だから母が亡くなった後、なんか、役者にならなくっちゃいけないんじゃないかな?みたいなねえ(笑)。いや、事実、私も芝居が好きだったんです。
私は子供の頃からちょっと変ってましてね。少し女性っぽいっていうんですか?(笑)頑丈そうなタイプではありませんでしたからねえ。
一番上の姉が日本舞踊を習ってましたので、そのお稽古場に行ってはズッーと見ておったんですよ。チントンシャンという音を聞きながら・・・。
父親は非常にそれを嫌がりましてね。“男のくせにそんな所に行って!”とよく怒っておりましたよ。
でも、好きなことはしょうがないですからね。お父さん(実父)の言うことよりも、そっちの方に行ってました」

竹三郎さんは、お母様をお幾つの時に亡くされたのですか?

竹三郎「私が13歳の時でしたね」

竹三郎さんのお母様なら、随分お綺麗なお母様だったのでしょうね。竹三郎さんが女方で綺麗にされた時のご様子、と、似てらっしゃったんじゃないですか?

竹三郎「いえいえ(笑)。どちらかというと私は見た目は父親に似たんです。母親に似てれば良かったんですけど・・・」

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