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ご自身の音楽を「特化している」と思いますか?

自分に特化しているとは思います。自分用の音楽なので、自身に向けて特化してはいます。だからといって、特別には思ってないです。すべて横並びで考えています。つまり人間が何かの情報を処理するときはインデックス化しなければならない。そういった実際本を作ったり、ストックしたり、ライブラリを作るという面で、ひとつの要素と考えると何も特化などしていません。自分の中の割合としてのみ考えれば、完全に特化していますけど。とにかく対外的にどういう風にとらえられるかといったマーケティング的なことにはなるべく関わらないようにしています。また、どれだけバランスをとるのかというのは大切です。僕の場合、今までも生活面におけるバランスを維持してきました。このような音楽を作っていると社会から離れてしまいそうなのですけど、全てにおいて社会とのバランスが必要だと考えています。僕の周りはこういう音楽は聴かず、ポップスを聴きます。何故僕がこういう音楽をしているのに聴かないのかというと、やはり単にそれを求めていないからだと思います。誰もがそういう風にしてバランスをとっていると思います。つまり自分にない部分を他で補う。それが全てだと思います。僕の表現するものは僕の方でバランスをとっているので、偏ったものがでていると思います。そういう意味では、バランスがとれていないものなのかもしれません。つまり、僕が思うには、楽しい感覚と恐怖感が逆の立場にあるとすれば、個人にとって、もし今楽しいほうに偏りすぎていたら、恐怖を補給してもらえればいいんです。さっきの話に戻れば、豊かな国だからこそ欲しているということと同じだと思います。そういった意味でのバランスが大切だと思います。

ご自身は音楽をつかってコミュニケートしていると思いますか?

それは自然にできていると思います。インタラクティブではないですけど。

時代が変わって、テクノロジーが変わっていったとして、アクションの形態が変わる可能性はありますか?

テクノロジーが変われば変わると思います。僕自身テクノロジーは評価していて、インターフェイスの部分で、今僕がコンピューターで何かしたいとおもったら、手を使って入力して、そこから命令して計算していかないといけない。実際頭の中で計算してできあがるのなら、発表する必要もないし、自分の中で完結できると思います。そうなるとCDをリリースするというような流れが必要なくなります。何故こんな音楽を作っているのかと考えたときに、毎日それなりに満足した生活を送っていたら、こういう音楽は作らないような気がしました。ここにいてこういう風に育ってこういう感じだからこそ生まれた音楽かなと思っています。

勝手に体が反応していると。

そうですね。自分がしていることは、ただ環境に適応しているだけかなと。命令どおりに動いているだけじゃないかと。

では最後に、今後のプランを少しお聞かせください。

対個人で植えつけるような強制的なものにしていきたいです。団体であの音を聴くと、耐えることができると思います、だから心して聴かないといけないようなものを作っていきたいです。

どうもありがとうございました。
このような音楽の動向を支えている市場は、各国においてはそれぞれ小さなものなのですが、それらがインターネットを介しつながることで市場を確保、これまでの音楽産業とはまた異なった流通形態で成立しています。また、これまで稲田氏自身も作品のプレスを希望するレーベルに自身の作品を送る際、誰の作品かがわからないようにして送っていたようです。つまり、より音に対する感性だけの判断が得られるように考えてのことだったようです。ここにいながらにして「質」を介し、世界とつながる。実に情報社会にふさわしいありようといえるのではないでしょうか。
聞き手:甲斐賢治 響運営事務局(大阪市文化振興事業実行委員会)
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