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<花形能舞台>の人びと〜成田達志
お祖母さまのご実家が朝鮮で幸信吉さんの後援をなさるくらいやから、お祖母さまの嫁ぎ先っていうか、成田さんのお母さまのご実家も裕福だったんでしょう?

成田「せやねん。その頃はお金持ちだったのよ(笑)。祖父も千寿製薬の創業者やったような人やし。だから、祖母のところはお金があったから、そうやって鼓を習いに行ったりする月謝とか、そんなん全部、祖母が出してたんやろね…」

それも、ある意味、持って生まれた運やねえ

成田「うん。うちの母親は、意地張って、実家へ戻るとは言わずに、僕らと公団に住んで働いて生活してたんやけどね」

内弟子になってからは、正博さんのお父さまの曽和博朗(そわ・ひろし/小鼓方幸流/人間国宝)さんのほうに?

成田「うん。それからは、大先生にお稽古してもらったけれども、内弟子っていうたら、家の内弟子やから、正博先生もどっちも僕の師匠なんやけどね」

小さい頃から正博さんのこと、父親のように慕ってたわけやしね

成田「うん。僕ね、中学1年の時に京都の養成会に入ってね、その秋に金剛能楽堂で発表会があって、来なさいって言われて行って、見所(けんしょ=観客席)で見なさいって言われて拝見してたの。で、皆に紹介してくれはって、その中に、もう一人、小鼓で入ってる吉阪一郎(きちさか・いちろう/大倉流)っていうのが、僕の1年先輩で、小学校5年だったの」

1年先輩だけど2つ年下


成田「うん。で、‘一郎君がいるから横に行って一緒に拝見しなさい’って言われて。そしたら、金剛さんて、見所は桟敷やったでしょう?小学校5年の子が、きちっと正座して見とぉんねん(笑)。僕はさ、家で水爆弾やって遊んでるようなヤツやんか(笑)、一郎君見て、‘なんかごっつコワそうなヤツやな’と思てね(笑)。じっと舞台見とったわ…。やっぱり、お祖父さんに仕込まれてたんかなあ」

一郎さんのお祖父ちゃんの吉阪修一(きちさか・しゅういち/小鼓方大倉流)さんって、いつ頃までご存命やったんですか?私が能を見はじめた頃は、もう出てはれへんかったけども

成田「僕が二十歳くらいの頃までいてはったと思うよ。優しいおじいちゃんやったけどね、一郎君はちゃんと教えてもらってたと思う。とにかく、‘コワいヤツがおんねんなあ!’って思ったのが、一郎君との出会いやってんけど、その後、彼と僕は一番の親友やし、僕の人生の中で一番大切な人やねんけど。その辺から養成会に入って、一郎君がおって、清司君(=片山清司)とか河村家の面々とかが入って、そのうち、玄ちゃん(=味方玄)とか入って来てね。市和さん(杉市和/すぎ・いちかず/笛方森田流)も、まだほとんど毎回来てはったし。そんな環境の中で育ってね。僕がすごく幸運やったなと思うのは、すごいレベルの高い人ばっかりやったのよ」

ですよねえ。私が能を見始めた頃の京都の養成会って、今考えても、レベルが高かった

成田「舞囃子でも、いつでも和重(=河村和重/かわむら・かずしげ)さんか、道喜(=青木道喜/あおき・みちよし)さんが地頭してて、すんごい主張のある謡を謡ってたし、そういう中で育ったことは最高の幸運やったと思うのよね」

そう。私もそういうところから見始めたから、あれが普通やと思ってるのよ

成田「うん。あれがほんまは普通やねん。僕ね、そんな環境で育ってるから、今でもそうやけど‘自分はダメや、自分はダメや’と、まあ、誰でも皆そう思ってるかもしれないけど、ずっと思い続けて修業してきて。もちろん、今も全然ダメやけど、特に、養成会の頃から、芸がある程度一人前になる25、6歳までの間っていうのは、曾和(博朗)先生がいて、正博先生がいて、一郎君も一緒に行ってて、謡はきーちゃん(=片山清司)や玄ちゃんたちがすごい世界をつくり上げてて、そんな中でやってて、‘ああ、今日も邪魔してる、今日も邪魔してる’、‘ああ、ヤバい、ヤバい’っていう、そういう、ギリギリのところで、ずぅーっと修業してきたのよ。僕なんか、どっちかいうと芸に関しては不器用なほうだと思うから…」

ええ?!そんなことはないでしょう

成田「いや、自分ではそう思ってる。それでも、ある程度打てるようになったのは、その経験が絶対土台にあるからやと思ってて。だから、そういうレベルの高い人たちを呼んできて、大阪の人を触発してもらうような催しを絶対やりたい!と思ったのよ」

それはいつ頃からやりたいと思ったの?

成田「もう、大阪に来てすぐにそう思ったの。で、ずうっと、そう思ってた。だから、“てっちゃん”(=山本哲也)がこの話(=花形能舞台)を持って来てくれた時に、‘これや!’って思ったんやわ。‘ええこと言うなぁ!やっぱり!’と思って。僕が肌で感じるのはね、ちゃんとしたレベルの人がいっぱいいて、ちゃんとしたレベルの芸を、ちゃんと伝承してるから、京都は若い人までそれが伝わってるんやと思う。それはもう、ここ2、3世代のことやなくて、ずうーっと昔からそうなんとちがうかなぁと感じてるねん」
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