珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝さんから、graf、という名が偶然のようにあがったことをキッカケに、このプロジェクトの実施場所を、grafbld.で、と思って企画書と、1枚の紙切れ(下記参照)を持参して正式に交渉しに行ったのが10月8日で、grafの豊嶋秀樹さんは我々の説明をひととおり聞き終えると、静かにひとこと、伊藤さんにじかに会ってみたいと言い、その4日後の10月12日に本当に伊藤さんと会見したのだが、その実行力に驚かされたというか、フットワークの軽さにたまげたというか、毎月、京都から大阪は動物園前に出掛けるのさえ、遠い、と思い、サボろうかと思い、というか、むしろ動物園に行きたいとぎりぎりまで悩みに悩む我が身の子供っぽさを思い知ったわけだが、それはともかく、豊嶋さんも多忙だが伊藤さんもまた同様にひどく忙しいのであって、豊嶋さんと会った10月12日でさえ、キノコは六本木のオリベホールのコンペティションに作品『フリル(ミニ)super light』を出品しており、その当日のリハーサルのあいまを縫って、豊嶋さんと伊藤さんは近くのアマンドで待ち合わせて、時間が午後3時であったことから、それはおやつのようであり、かわいらしくもあるが、じつはやはりたがいに忙しい身の大人なのであって、しかも初対面では自己紹介をするのがやっとであり、1時間後には伊藤さんはふたたび会場へ、豊嶋さんもまた仕事に戻って行ったのだけれども、わずかな時間だったとはいえ、いや、それだからこそ、さらに時間をかけ、おたがいの作品・活動のことをもっと知っておきたいと思っただろうということは想像に難くないというか、2週間後に豊嶋さんは我々に対し、はっきりと、あれから考えたんだがあわてて事を進めたくない、もったいないことにしたくないから、と言い、例えば4月の公演というのを、珍しいキノコ舞踊団とgrafとの出会いの場と見立てて、つまり、本公演とあえて銘打つことはせず、もっと実験的な試みとしてやってみる、それをふまえてのち、本公演へ向けて動いていく、このような息の長いプロジェクトにしたらどうか、と言われ、また、伊藤さんも、さらに1週間が過ぎて新作『カルピース』を見に行ったとき私に、その場所へ行ってやってみないと(キノコとgrafの息が合うか)わからないから、と言われ、この時点で二人の気持ちがすでに同じであることに注目したいのだが、すっかり4月に本公演4月に本公演4月に本公演4月に本公演と念仏のごとく唱えていた我々にとっては、180度とはいわないまでも、90度くらいの発想のそれは転換であって、もう企画書も作ってしまっており、プロジェクト自体に調整が必要になる(たとえば私と本誌ログを制作しているインテラスディック社との契約は2003年の3月までであり、つまりこの連載は全10回のものとして計画されている)が、むろんこの提案はおもしろいし、ほかでは見たことがないし、ならばこそ、我々もそこに意義をより多く見いだせるのであって、何をおいても読者にとって興味深い展開だろうと思うので、これからの動向にいっそう注目していただきたい、というわけで、半年が経ち、予想外の展開を迎えて次回は1月10日、今は上述の、珍しいキノコ舞踊団とgrafの「出会い編」の準備に取り掛かっていて、つまりその4月の「出会い編」で、いったん息継ぎ、ということになるかと思います。


2002年10月8日打ち合わせ用
●珍しいキノコ舞踊団大阪公演日程構成プラン(仮)

【日程】
2003年4月7日(月)〜27日(日)までの3週間。
その3週間を3分割する。
例) 4月 7日(月)〜13日(日)…(1)
4月14日(月)〜20日(日)…(2)
4月21日(月)〜27日(日)…(3)

【構成】
珍しいキノコ舞踊団ウィズgraf
(1)滞在制作 ・4人程度。
・小品発表会。

(2)本公演(全8ステージ)

・grafbld.全体を舞台をして使用。
以上、(1)(2)を伊藤千枝氏のディレクションで。

grafウィズ珍しいキノコ舞踊団
(3) 展覧会 ・滞在を踏まえキノコを再構成する。
以上、(3)を豊嶋秀樹氏のディレクションで。



(注)これは10月8日の打ち合わせ用にたたき台として作成したもので、このとおりに実現されることはありません。

【追記】

会場となったグラフメディア・ジーエムは、伊藤桂司展『FUTURE DAYS』、シアタープロダクツの展示即売会およびKATHYのパフォーマンス、ローザスの上映会、志賀理江子展『明日の朝、ジャックが私を見た。』、奈良美智とのコラボレーション展『S.M.L.』など、『こんにちは。』の公演終了後も、旺盛な活動を展開している。


グラフ自らが企画運営するこのギャラリースペースはもともと、グラフビル(graf bld.)の最上階にあった。それがスペースの拡張にともない、隣のビルの1階に移転した。『こんにちは。』はいわば、こけら落としにあたる。現在は常設のショップとバー、およびテーブルと椅子があって、ギャラリー部分とスペースを共有している。



こんなふうに写真をながめていると、『こんにちは。』のときのこと、たしかにここでおこなわれたダンスのことを、いろいろ思い出してしまう。たとえばショップのあるこの場所は、照明と音響のオペレーションブースだった。ここから、舞台用のライトと家庭用の(グラフ自作の)ライトの併用というユニークな光が作られた。最後までこだわりにこだわった音の響きもまた、ここで調節された。
バーではキノコ公演用のメニュー、きのこパイときのこピザが販売された。バーの前には今ではかっこいい椅子があるが、『こんにちは。』のときには間に合わなかった。壁も塗りたてだった。
もうすっかり落ち着いた感じだけれども、そのときは引越しして間もない、どこかわくわくするような、ちょっとまだなじまなくて、そわそわするような、そんな雰囲気があった。

そもそも、こけら落としみたいなタイミングで公演をすることになったのは、ほとんど偶然からだった。上の記事で触れた打ち合わせの段階では、移転は(正式には)決まっておらず、会場はグラフビル、もしくは別の場所を借りて、ということで進められたのである。
グラフビルを会場として使う場合の案として、かなり具体的にあがっていたのは、各階のフロアでダンスを同時進行させるというものだった。グラフビルには製作工房やレストラン、ショールームなど各階で性格の異なる「場所」がある。映像を駆使しつつ、そこを複数のグループに分かれたダンサーと観客が行き来する。同時に同じものを見られない状況でありながら同じ時間を共有するという、魅力的な案だった。
もっとも、5階のギャラリースペースだけを使用する案がでなかったのは、そこだけでは到底、目標とする観客の人数を満たせないという現実もあった。
とはいえ、「グラフビル全体使用案」を短い時間で実現するのは現実問題としてなかなか困難で、無理だよなあ、どうしたらいいのかな、となっていたところに、移転の話が舞い込んだのだった、ほんとに「偶然」に、キノコとグラフの「出会い」がまさに、そうであったように。

2004/1/22記

福永信