log osaka web magazine index
素顔の中村亀鶴さん
素顔
河内
「今日、亀鶴さんにお目にかかってね。私は、実物の方が写真より素敵なのではないかと思いました」
亀鶴「えっ、そうですか?いやあ、それは、ありがとうございます。(少し構えて)どうでしょう?皆さん(笑)」
河内「普通、役者さんというのは、2、30年前の写真って云うのがよくありますからねえ(笑)」
亀鶴「(笑)僕はいつも写真写りが非常に悪いと言われるんですよね」
河内「実際は、とてもスラーっとされて、甘い印象ですよね」
亀鶴「(とても照れて)はあ、どうも、ありがとうございます」
河内「普段から、毎日踊ることなども、心掛けてらっしゃるんですか」
亀鶴「ええ、心掛けていますね。腰の入れ方が変わってきますからね。普段歩いてるときとかも、出来るだけ気にするようにはしているんです。一番恥ずかしいのは自転車に乗ってるときに馬に乗っているような気分になって、こう「ばーったり」とか言って、見得きっちゃったりするんですよね(笑)」
河内「(笑)ちょっと、わからん人は何事かと思いますね」


父の想い出
河内「富十郎さんが叔父さんということは、亀鶴さんのお父さん、先代の亀鶴さんは富十郎さんの弟さんということですね」
亀鶴「そうです」
河内「お父さん、先代は随分早く亡くなられた訳ですが、思い出とかは・・」
亀鶴「あります。とにかく、芝居が好きでしたね」
河内「お父さんは女形をなさってましたが、本当は立役もされたかったんですかね」
亀鶴「どうでしょう。ただ、うちの父は女形が好きでしたからね」
河内「私の記憶では、クラッシク音楽が物凄く好きな方と伺いました」
亀鶴「最近、感じるんですが、歌舞伎を、とても難しく思う人もいるみたいですが、クラッシク音楽の殆どは詩がないじゃないですか?“水が流れている感じなんだなー”とか、初めから感じられる部分もあるけれど、数多く接していくうちに、もっと沢山感じられるようになって、そういう点では歌舞伎と共通しているなあーって。歌舞伎はそういう中でも、とても分かりやすくお客様の感性に訴える様に出来ていると思いますね・・」
河内「聞くところによると、お父様はテープでオーケストラの演奏を聴いただけで誰が指揮しているかまで分かられたそうですよ」
亀鶴「(笑)音感が良かったんですかね?その辺は僕もちょっと分かりませんが・・・」
河内「ということは、お父さんのお母さんの芳子さん、貴方のお婆様は初代鴈治郎さんの娘さんということで、大阪で代表的な名跡である成駒屋の系譜を引かれている訳で普通に言えば“門閥”出身ということですよね。それが、国立の研修生になられたというのは非常に珍しいケースだと思うのですが・・」
亀鶴「そうですね。僕は子供の頃はミュージカル、特に宝塚をよく観ていまして、実は歌舞伎は、自分が好きだと思って、自分の意思で観ようと思ったのはある程度してからのことだったんです。それで、この世界に入りたいと思って、それで父に相談をしまして、そうすると父が“お前は子役として特に何をしていた訳でもないから・・”ということで国立の研修生の話をしてくれたんです。


当日は若い方からご年配の方まで…
初舞台
河内「初舞台は何歳でした?」
亀鶴「ええと、4歳でした」
河内「手元の資料によると天網島『時雨の炬燵(こたつ)』とありますが・・・」
亀鶴「ああっ、ああ、今思い出しましたよ。それで嫌になっちゃったんですよ」
河内「紙治、紙屋治兵衛はどなただったのですか?」
亀鶴「先(二代目)の鴈治郎の叔父さんです」
河内「おさんは?」
亀鶴「今の鴈治郎の叔父さんで、小春と早変りで二役されたのです」
河内「その時に子供の役をされたのですね。そんなに嫌だった?」
亀鶴「ええ、嫌だったですよお。僕は本名芳彦っていうのですが“芳彦、舞台出る?”って聞かれまして、張り切って“出る。出る。”って答えたんです。当時の僕のイメージでは、舞台で、前髪のカッコいい役、鎧をつけて刀を持って“立回りとかするのかなー”って一杯想像していたんですね。そうしたら“炬燵で40分間寝てなさい” (笑)、おべべは汚い、頭はかっぱみたいな・・・もう、それでヤんなっちゃいましたよねえ」
河内「あれは本当に寝てはいないんでしょ?」
亀鶴「ええ、寝てはいけないんです。でも僕、3回寝ちゃいましたよ(笑)」
河内「降ろされはしなかった?」
亀鶴「(笑)ええ」
←back [2/5] next →

HOME