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 「当日は朝から美吉屋(吉弥さんの屋号)の公演がどうであったのか、それをずっと気にしながら病室に戻り横になっておりました。公演を見終えてすぐの中川顧問(松竹株式会社)が、半ば興奮気味に‘いやあ、良かった。良かったですよ。’と、おっしゃっりながら病室に入って来られた時には、私は思わず涙がこぼれました」と、その時を思い出されたのか、少し詰まった声で我當さんはお話をされました。

 本番の前々日、我當さんは、どうしても「銀のかんざし」の様子を見ておきたいということで、お弟子さん達に庇われる様にして無理をおし、痛々しい眼帯姿で通し稽古にはいらして下さいました。一部始終をご覧になった後、共演者を前に、ゆっくりと眼帯を外され、「この様な顔でご挨拶をさせて頂き申し訳ありません。いいお芝居です。良かった。皆さん、ありがとうございます。どうか、美吉屋を宜しくお願いいたします。」と頭を下げられました。眼帯をしたまま挨拶しては無礼に思われたのだと思います。その心配りに、この方が礼と儀を大切にされることだということや、師匠として弟子・吉弥さんを思う愛情がお稽古場全体に素敵な緊張感で伝わりました。

右が吉弥さんの師匠・片岡我當さん

 記者会見で我當さんはこうもおっしゃいました。「今、鑑賞教室でくしくも「後の梅川」のその前の話となる「新口村」を演っております。私が弟子を皆様の前で褒めるというのは恥ずかしい事かも知れませんが、誠に、けっこうな梅川です。美吉屋も私も不器用な役者で、だから、人一倍努力しなければなりません。歌舞伎の役者というのは長距離ランナーです。最後にどこまでたどり着けたのかが勝負です。そのために手を抜かず走り続けなければならない、美吉屋は入門以来、本当によくやって来ました。」と。

 以前、吉弥さんをゲストに、大阪市さんとの共催事業でお話を伺った時も、吉弥さんは幾度も「自分は不器用」と言われました。でも、私には天才肌の人だとしか思えなかった…ですが、それから二回、稽古を拝見しながら一緒に仕事をさせて頂いて、もしかして吉弥さんはマジに不器用なのかも?…と思うようになったのです(ごめんなさい〜私はもっと不器用です〜)。でも、でも、芝居に対して、本当にひたむきで貪欲で努力して…それに、華という天分に加わったからこそ、六代目上村吉弥があるのだ、今はそう思うようになりました。

 吉弥さんの梅川は情味がありました。死を決意して逃避行した男・忠兵衛と、女・梅川。廓でその男が訪れることだけを心待ちにしていた頃とは違う、女として成熟した梅川がそこにはいました。記者会見での我當さんの数々のお話は、師弟愛というものを真には知らない私の様な者の涙腺も大い刺激するものでした。

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