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古典芸能を学ぼう
<けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。
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+ 石淵文榮

いまだに深まらない秋に想うつれづれ

 いつまでたっても優柔不断な気候がつづく。
 今年の紅葉はどうなんやろう。
 だいたい、夏の間から銀杏の様子がおかしかった。
 葉っぱが育っていない。
 中には、小さい葉のまま、端が茶色くなってしまった木もある。
 ゆーじゅークンは、天気も男も大っきらい。
 降るなら降る、晴れるなら晴れるで、パキッとしやがれってんだ!…おっと…ついストレスが。

 「能の仕事をしたいなら東京に行ったほうがいい」。
 事情通の方は皆さんそうおっしゃる。
 確かにそのとおり。
 役者の数も、観客の数も、公演の数も、メディアの数も、すべてが関西の比ではない。
 研究ではなく、ビジネスにしたいなら、断然、東京に決まってる。
 でも、東京は、私にとっては魅力的な土地ではないし、東京で能を見ることに、さしたる魅力を感じなくなってしまってから、もうずいぶん経つ。
 では、大阪で見る能にそれほど魅力はあるのか?というと、残念ながら(というか、失礼ながら)、そういうわけでもない。
 だが、十数年前、大学卒業をした時、関西に戻ることについては、いささかの迷いもなかった。
 京都でも奈良でもなく、<大阪>ということについては、<ぶちの独り言>の<ごあいさつがわりに>をご覧戴きたい。
 私にとって、いろいろな意味で「関東は住みにくい」ということもあるのだろうが、理由はもう一つある。
 ここ数年、漠然としていたその<もう一つの理由>を、はっきりと意識するようになった。

 私が能を見始めたころ、同年代の役者たちは内弟子修業中で、その舞台を見ることの出来る機会が、能楽養成会の発表会だった。
 インタビューでも触れているが、<花形能舞台>の主な出演者が10代後半から20代半ばの頃、つまり、彼らが発表会に出ていた頃の養成会は、今思い返してみても心踊るほど、きらめく若い才能の宝庫だった。
 そして、シテ方と囃子方に関して言えば、明らかに、西高東低の様相を呈していた。
 東に魅力的な若手がいなかったわけではない。
 しかし、各地の修行中の若手が集った養成会の合同発表会でも、西、殊に京都を中心とした若手は一際、いや、ずば抜けて精彩を放っていた。
 東西の能楽人口に比して見れば、西の密度のほうが断然高い、ということだ。
 あれから、十年、二十年の歳月の中で、能楽の未来に悲観的になった時、彼らの存在に、彼らの葛藤する姿に、私は支えられてここまで来たのかもしれない。
 「能を見つづける私」にとって、彼らの能を一番でも多く見ることは、大きな意味があるのだ。
 ちゃんと心に決めていたわけではないが、そういった想いは、漠然と私の中にあった。
 そして、それは、決して間違ってはいないのだと改めて思ったことが最近もあった。

 9月の半ば、私は久しぶりに東京へ能を見に行った。
 友枝昭世(ともえだ・あきよ/シテ方喜多流)の『道成寺』である。
 小鼓は成田達志。 他の囃子方は、笛;藤田六郎兵衛(ふじた・ろくろびょうえ/笛方藤田流11世家元)、大鼓;亀井忠雄(かめい・ただお/大鼓方葛野流/人間国宝)。
 ワキに森常好、地頭は香川靖嗣。
 この中で、成田達志だけ関西在住で、おまけに一人だけ30代でダントツに若い。
 しかも、この公演は、国立能楽堂開場20周年記念企画の目玉だった。
 <花形能舞台>インタビューの成田達志の回に、この『道成寺』について触れているので参照しよう。

 

 芯のしっかりした美しい音色、張りのある掛け声、思い切りのいい間合い。
 成田達志は、実は今、最も注目されている小鼓方である。
 彼は、<花形能舞台>のあと、この秋に、東京での『道成寺』を控えている。
 しかも、シテは、現在、人気実力ともに最高を誇る喜多流の友枝昭世(ともえだ・あきよ)だ。
 その舞台に、わざわざ関西から指名を受けて出演するということが、彼の小鼓に対する、役者の信頼と期待を如実に物語っている。
 極端に言えば、“シテと小鼓のもの”と言われるほど、『道成寺』における小鼓の占める割合は大きい。
 このインタビューの2日前にあった、友枝昭世との<乱拍子>(らんびょうし=『道成寺』の前半のクライマックス)の稽古の時のことを、彼はこう語った。
 「…はぁ…なんなんやろなぁ…あれは…。口でうまいこと言われへんねんけどなぁ…。向こう(=昭世氏)に余裕があるからかもしれないけど…。でもね…、こっち(=小鼓)が絶対リードするねんで、こっちが完全にリードするねんけど…。なんか…、“誘(いざな)われる”みたいな<乱拍子>になってしまうねん…。なんか、わかれへんねんけど…、あれ、なんでやろなあ…、初めて(昭世氏と)やって、ちょっとびっくりした…」
 <乱拍子>は、シテと、小鼓方の一騎討ち。
 長い静寂の間に、小鼓が打つ、同時にシテがつま先を上げる、下げる…そのタイミングは、ギリギリのところで闘う、“勝つか!負けるか!”の真剣勝負だ。
 ところが、友枝昭世との場合は、
 「あんな安心感のある<乱拍子>ってあるんやなぁ…」
 頭で間合いを取るのではなく、すべてが必然として運んでゆくような…。
 「決まった間合いを計ってても、時計やないし、人間やから伸び縮みするねんで、それやのに…、なんでやろなぁ…」
 思い出しながら、成田達志は、その感覚をなんとか言葉にしようとする。
 しかし、それこそ、舞台の上の二人にしかわかり得ないものだ。
 語っている成田達志の表情を眺めながら、私は心底、羨ましいと思った。

 

 友枝昭世の<乱拍子>は、まさに成田達志の言う“誘われるような”<乱拍子>という表現がぴったりだった。
 シテと小鼓の一騎討ちではなく、息詰まるような鋭い緊迫感ではなく、すべてが必然で柔らかな…“誘われるような”…。
 そして、鐘が上がった後のシテは、およそ、今まで友枝昭世のイメージにはないものだった。
 <端正>で、どちらかというと<無機質>な美しさを持っていた彼のイメージではなく、喜多流という流儀が本質的に持っている下掛リの民俗的な匂いのする後シテだったのだ。
 優れた役者は一生涯、成長しつづけてゆく。
 それが、世阿弥の言葉、<一期初心(いちごしょしん)>に込められた心だ。
 友枝昭世は、表面的に変わろうとしているのではなく、もっと根本的なところから変わろうとしているのではないか…。
 私は、彼がこんな変化をするとは、思いもよらなかった。
 熱狂的ファンが各地にいて、チケットは奪い合いになるほどの人気役者であって、名声も確立された今になって、身体の奥の方から変わろうとする姿に、私は改めて、ものすごい役者だと思った。

 

 そう。
 だから…、私はずっと見つづけていきたい。
 だから、ずっと関西にいたいのだ、と言える。
 <能を見る>ことは、私にとって、<能>そのものだけを見ることではないのだろう。
 さて、友枝昭世の『道成寺』、もちろん、成田達志の小鼓についても、次回詳しく用語解説付きでレポートしてみよう。
 私の中の友枝昭世論に展開するかも…。 

 それはそうと、関係ないけど、星野監督の出身校はうちの実家の近所だ。
 昔、実家の寺の檀家の総代さんに、決断力があって頼り甲斐があって恰好良くて、おそろしく男っぷりのいいおじいちゃんがいたけど、倉敷は、時々こういう人が出て来る土地なんだろうか。
 星野仙一、信念を貫き通す男。
 タイガースを優勝させるために、あんなに痩せて満身創痍になって…。 
 今時、多くの人を心底、感動させるというのは、本当はそれぐらい苦しくてたいへんなことなんだね。

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