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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年2月号 『私はそそられる』BABY-Q



 知覚サイボーグの女帝はチャールズ・ドジソンの夢を見るか?
 BABY-Q『わたしはそそられる』 1月26〜27日@芸術創造館

                                     Text:樋口ヒロユキ                                     Photo:井上嘉和
 

 
■機械と人間の二元論を超えて

A:あなた昔から「BABY-Qはすごいすごい」って連呼し続けてるよね。で、そもそもBABY-Qってどんなカンパニーなの?

B:単純化して言うと、電子メディアやロボットと身体表現を組み合わせたパフォーマンス・グループなんだけど……。

A:ダムタイプみたいな感じってこと?

B:いや、ダムタイプって現代美術的な感じでしょう。客層もそんな感じだし。でもBABY-Qの会場に行くと、ミュージシャンとかロック・バーのオーナーとか、ちょっとワイルドな感じのお客さんが多いんだよ。今日もなんか猥雑な雰囲気が会場にムンムンしてたでしょ? かとおもえば現代美術作家のヤノベケンジさんが来てたり。

A:不思議だね。メディアアート文脈のカンパニーじゃないの?

B:BABY-Qは電子メディアに限らず、物理的な機械系のテクノロジーでも遠慮会釈なしに導入しちゃうんだよね。昔は「デストロイド・ロボット」ってロボットをステージに上げたりしてたし。

A:デストロイド・ロボットってSRL(註1)の日本版みたいな、ロボットどうしが戦うプロジェクトだよね。そういう暴力的な傾向があるの?

B:いや、別にダンサーとロボットが戦ったりとか、そういう舞台じゃない(笑)。ただ、そういう物理的な機械が実際に舞台に上がってきて、ブンブン頭振り回しながら踊りだすと、見てる方は生理的危険を感じるのは事実だね。これはデスクトップだけの電子メディアでは得がたい効果だと思うよ。今回の公演ではロボットは出てこないんだけど、どこかにそういう機械系のヤバい匂いがやっぱり残ってた。そのへんの重金属的な感覚が、ロック畑の人とかヤノベさんを惹きつけるんだろうね。

A:ヤノベさんも基本的に鉄で作品作る人だもんね。80年代に飴屋法水さんがやってた劇団、M.M.M(註2)とか、塚本晋也さんの一連の作品とかと似てるのかな。

B:M.M.Mも塚本さんもデスロボも、基本は全部、機械どうしが戦ったり、機械と人間が戦ったりするよね。それが劇的なカタルシスを生むわけだけれども、彼女たちの作品はちょっと違う。テクノロジーの産物と人間とが分離不可能に結びついてて一体化してる。そうしてジャンクになったまま生きざるを得ないって世界観なんだよな。実際、ダンスの中心を担う東野祥子の身振りを見てると、発狂した機械が踊ってるように見える。もはやそこでは「人間か機械か」っていう問い自体が無効になってる気がするんだよ。

A:どっちかが勝って終わり、じゃなくて、そのあとが問題になってるわけか。
 

 
■ノイズ状無意識の世界

A:でも、そういう機械系の美学って、結構古くからあるじゃない? デュシャンやカフカ、ルーセルとか。そういう『独身者の機械』(註3)とはまた違うのかな。

B:僕は実際には見てないんだけど、彼女たちはデュシャンの「大ガラス」って作品からインスパイアされた作品も作ってるそうだから、相当に意識してるのは事実だろうね。でも変な話、あの手のやつとは「色」が違うんだよ。「独身者の機械」の系譜上に属する作品って、モノクロームな印象があるでしょ? 素材も鉄が中心だし。ところが彼女たちの舞台は、そうじゃない。今回もいきなりド派手な蛍光ピンクのぬいぐるみが出てきたり、カラフルな下着姿の女の子が出てきたでしょう。あと、照明がフリッカーを起こしてたりして、全体にすごくノイジーなんだよな。

A:映像素材もコマ落ちがやたらあったり、ノイズが入ったりしてたよね。

B:そうそう。音楽も断片的なコラージュでできてるし。全体にテレビをザッピングして見てるような、色彩過多で断片化された印象があるんだよ。

A:テレビといえば、冒頭に出てきたビデオも怖かったよね。

B:会場に入って舞台を見たら、巨大な目玉の映像が、こっちを見て瞬きしてる(笑)。こっちは「見に行った」つもりなのに「見られてる」という、あれは妙な気分になるよね。しかもコマ落ちとノイズだらけで、なんか貞子の呪いのビデオみたいなんだよな。

A:で、会場には客入れ時からピンクの縫いぐるみを着たダンサーがウロウロしてる。

B:あれ、最初は観客なのかと思ったよ。あそこのお客さんって、みんなすごいカッコで来るからさ。そしたらあっちにウロウロ、こっちにウロウロ割り込んでくるんだよな。ひっくり返って暴れたり。で、会場内の照明がゆっくり落ちて、ピンクの縫いぐるみがスクリーンを引っぺがすと、その向こうに逆光を浴びてダンサーたちが乱舞している。

A:あそこも怖かったなぁ。でっかい目玉を引っぺがした向こうに舞台があるわけでしょ。なんか他人の脳の中に入ってくような気持ちの悪さがあった。

B:なるほどね。彼女たちは以前にもレム睡眠をテーマにした作品を作ってて、知覚系とか神経系にすごく興味を持ってるみたいだから、そういう意図があったのかもしれない。ある種、他人の妄想世界に入ってくような演出だったね。ほら、舞台上手に赤いベルベットのカーテンが下がってたでしょ。あれもなんか『ツインピークス』(註4)に出てきた「赤い部屋」(註5)みたいだった。

A:「赤い部屋」って、主人公のクーパー捜査官の無意識の世界だからな。あの舞台全体が、冒頭にパチクリしていた目玉の裏の、無意識の世界なのかもしれないね。

■アリス、アリス、アリス!
 

 
A:赤いカーテンの話だけど、あれ、カーテンを開けたら鏡になってたよね。あれはどういうことなのかな。

B:ダンサーたちがうっとりと覗き込んでた鏡ね。ちょっと穿った見方かもしれないけど、僕はアリスを連想したんだよね。というのも、そのあとにウサギが出てくるシーンがあったでしょう。英語の字幕で「ウサギの穴に落ちる」って出てきて、ピンクのウサギが2匹出てくるシーン。あっちが「不思議の国のアリス」とすると、赤いカーテンの鏡は「鏡の国のアリス」なんじゃないか。

A:ふーむ、どうかな。もしそうなら、巨大な目玉はアリスの目玉で、観客はアリスの妄想を覗き込んでた、ってことになるけど?

B:いやいや、僕はむしろルイス・キャロルその人の妄想空間を見せられたような気がするんだよ。っていうのも、今回の舞台では「女性への欲望」がかなり直接的に描かれてたでしょう? 下着姿の女性ダンサーたちの腹に、太いマジックでナンバリングを施したあと、追いかけ回してレイプしちゃうシークエンスがあったよね。しかも、そもそもタイトルは『私はそそられる』なわけじゃない?

A:げーっ、気持ち悪いなぁ! それじゃロリコンの妄想を見せられてたってこと?

B:それに東野祥子って人は、実は意外に小柄な人なんだよ。ひょっとすると、160cmないんじゃないかな。まさにアリスって感じの女性なんだよね。

A:へー! 舞台上じゃ全然そうは見えないね。むしろ平均より大きく見えるよ。

B:そう、ダンスがあまりにすごいから実際より大きく見えちゃうんだけど、実は小さな人なんだ。そんなアリスみたいな女性を欲望する、キャロルの妄想空間を覗き込んでたんだとすると、すごく全体の辻褄が合うんだよ。

A:うーん、辻褄が合いすぎて退けたい解釈だけどね。でもそういえば、すごい巨人みたいなダンサーの人、1人出てきてたよね。あの人と東野さんが並んで立つシーンがあったけど、完全に頭1つ分違ってたな。

B:あの2人が並んで立つシーンも、最初と最後の2回あったでしょう。最初は東野さんが後ろに立ってて、最後は前に立ってる。巨人が東野さんにメタモルフォーゼしたみたいな印象があって面白かったな。アリスにも出てきたよね、そういう場面。アリスが巨大になって屋根を突き抜けたり、小さくなって自分の涙で溺れたりする。

A:そうやってさー、なんでもかんでも自分の解釈の枠に押し込めて鑑賞するの、君の悪いクセだと思うよ。ほかの人の自由な解釈も聴きたいものだね。
 

 
 

 
■サイボーグ・フェミニズム

A:で、まとめとしてもう一度聞くけど、BABY-Qのどこがすごいの?

B:ほかの機械系美学の先達がダメだとか、彼女たちだけが最先端だというつもりは全然ないんだけど、やっぱり彼女たちのビジョンはスゴいと思うんだよ。結局、機械って男の子が好きなものじゃない? だから機械系美学ってどうしても、マニッシュで男の子好きな価値観を召還しちゃう。機械どうしの闘争とか、機械と人間の闘争とか、やたら「闘い」と相性が良いのはそのせいだよ。そうじゃなくて機械とエロス的に結合した人間像を提示してる点で、彼女たちはユニークだと思うんだ。

A:そこが現代的だ、ということ?

B:そう。僕らの日常って既にそうじゃない? どこまでが自分自身の思考で、どこからがメディアやネットの配給する妄想なのか、自分自身ですらわからない。しかも機械と人間が、互いをエロティックに欲望した結果そうなっている。今日の舞台でも妄想の世界をどんどん突き進んでいくと、デジタル映像化した身体の群れと生身の肉体が、シームレスにつながって踊り狂ってるわけでしょ? 神経系の最奥部すら機械化してしまった、現代の知覚サイボーグ的な人間像に思えるわけ。

A:ふーむ。なんか君の話を聞いてると、巽孝之さんと小谷真理さんが編、訳した『サイボーグ・フェミニズム』(註6)を思い出すんだけど。あれも現代のサイボーグ化された女性像を捉えた名著じゃなかったかな。

B:そうそう。これは最近、小谷さん自身から聞いた話なんだけど、あの本は実はフェティッシュ系の人たちにバイブル(註7)のように読まれた本らしくてね。ラバースーツに身を包んだフェティッシュ系の人たちが、密かにあの本を回し読みしてた。で、そこに小谷さんも誘われて、そういうパーティーの常連になってたらしい。しかもそこでは完全に女性上位が掟になってて、まさにサイボーグ・フェミニズムの帝国だったっていうんだよ。で、今日の舞台にも全身タイツとか全身ラバーの人が登場してたでしょ?

A:小谷さんが今日の舞台を見たらどう思っただろうな?

B:それ、すごく興味あるよね〜。彼女はなんといったって「その筋」の専門家だから、僕らよりもっと大胆な解釈を提示するかも。東野さんってちょっと女王様的なカリスマ性がある人だから、そのあたりも小谷さんの趣味と合致すると思うんだけど。

A:うーむ、そうなると我々のつけいる隙はなくなりそうだね。

B:簡単だよ、下僕としてお仕えしたらいい(笑)。独身者として機械的自体愛に浸るのは20世紀の男。21世紀の男は、サイボーグ女王に服従する快楽に溺れればいいのさ。
 

 
■註

註1●SRL……Survival Research Labs。マーク・ポーリンが1978年に設立したアメリカの団体。自作ロボットの暴力的なパフォーマンスの上演で知られる。1999年に来日した。

註2●M.M.M……舞台演出家、美術作家の飴屋法水が、1988年に結成した劇団。大阪の近鉄アート館で上演した「スキン/Skin#2」には、俳優の嶋田久作の台詞を全て録画して、頭部のテレビモニターで映し出して「演技」するロボットが登場。大量の金属廃材で作られた舞台美術とともに観客の度肝を抜いた。

註3●独身者の機械……フランスの文芸批評家、ミッシェル・カルージュが、カフカやデュシャン、ルーセルなどの作品に登場する機械群を論じた論考『独身者の機械 —未来のイブ、さえも……』に登場する概念。ちなみに同所は現在、絶版で入手困難。筆者も実際には読んでません(笑)。

註4●ツインピークス……デヴィッド・リンチが製作総指揮にあたった、アメリカのテレビシリーズ。体裁としては殺人事件を巡るミステリーだが、ほとんど妄想に近い支離滅裂な展開を示す。本国では1990年から、日本でも約1年遅れで放送されて大ブームとなった。昨年DVD化され、現在ではレンタルで視聴可能。

註5●赤い部屋……ツインピークスにしばしば登場する謎の小部屋。赤いベルベットのカーテンで覆われている。

註6●サイボーグ・フェミニズム……フェミニズム文化研究者のダナ・ハラウェイによる論文「サイボーグ宣言」を中心に、多数の関連論文などを収録したアンソロジー。初版はトレヴィル、1991年刊。増補版は水声社、2001年刊。

註7●バイブル……このエピソードについては『TH』No.33「ネオ・ゴシック・ヴィジョン」(アトリエ・サード、2008年刊)所収の座談会「ゴシック・ロリータ・ニッポン」を参照のこと。


樋口ヒロユキ:美術評論家。著書に『死想の血統』(冬弓舎)。3月22日、朝日カルチャーセンター新宿教室にて単発の講義を予定。


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