ギャラリーというような空間にあえて展示することによって、その空間が持つ権力を指し示すこと、これを「ノンサイト」において見てとった私たちは再び「スパイラル・ジェッティ」へと舞い戻りましょう。先ほど引用したロザリンド・クラウスは『Passages in Modern Sculpture』という自書の中で、ロダンからブランクーシ、ミニマリズムを経てランドアートへと至る「展開(passage)」において、特に60年代末以降(それはこの本が書かれた時期とほぼ同時代です)の現代彫刻が、作品と鑑賞者が出会う「通路(passage)」を獲得してゆくことを強調します。つまりそれは、静的・観念的な表現形態から、より一時的・具体的なそれへと展開するなかで、作品と鑑賞者との関係性それ自体が重要視されるようになった、ということです。そして、その締めくくりには「スパイラル・ジェッティ」が。螺旋状に形成された道において観る者は瞬間ごとに変化してゆく経験を得ることになり、そのような鑑賞者と作品とが出会う「通路」そのものがこの作品なのだ、と。しかしクラウスは、私たちが作品を現地で体験する限りにおいて上のような通路が現れることになる、というような断定を避けているようにも思えます。というのも、このような鑑賞者と作品とをつなぐ通路なるものは、プルーストの小説において、マドレーヌという菓子が呼び水となって一連の記憶が喚起されてゆく経験のありかたとの類似として語られているからです。心ならずの些細な記憶を引き金として現れてゆく過去、そのことと作品を感じ取る私たちの経験とを重ねあわせる事ができるとすれば、すなわち、そのような作品経験はいつも偶発的な通路の開けを基にして行われるということでしょうか。実体験という形で特権化する事をむしろ避けるかのように写真や映像という形で残された様々なドキュメントは、螺旋状の道へと開かれている、私たちと作品とを結ぶもう一つの「通路」と言えるかもしれません。
* 1 本展カタログRobert Smithson: The Museum of Contemporary Art, Los Angeles ,2004 内のインタヴューを参照。なお、このカタログには作家が所有していた本や雑誌、レコードのリストが添えられており、アーティストであると同時にライターでもあったスミッソンの多岐にわたる関心が垣間見えます。そう数は多くないもののロックからクラシック、現代音楽まで散見されるレコードコレクションは見物です。