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03 続・松山大学ダンス部!

 

 
前回のVol.02「松山大学ダンス部!」をお読みいただければわかるように、松山大学ダンス部にすっかり惚れ込んでしまった私たちは、松山のことをもっともっと知りたくなってしまっていました。

 そんな大会最終日、会場内をうろうろしていると、あのステキな松山大学Tシャツ着た数名を発見。声をかけてみました。するとそこには、噂の「監督・大野八重子」さんの姿が! 「どうもどうもはじめまして」という挨拶もそこそこに、即座にその場で申し込んだインタビューも快諾してくださいまして、噂に違わぬ度量の広さをしみじみ感じました。そして、本当に多岐にわたるお話をじっくりと聴かせていただいたので、長いけど、読んでみてください。ちょっと感動します。



聞き手:森本アリ・森本万紀子・編集長メガネ
インタビュー構成:森本万紀子


<松山大学ダンス部の歴史> 

大野八重子(以下、大野):時間軸でお話すると、まず最初の2〜3年は、私が関わってないんです。その頃面倒をみて下さっていたのが、実は、愛媛大学の牛山眞貴子先生なんです。
 愛媛大学には教育学部があって、学校教育の中の「体育」、その中の「ダンス」……、というふうに教育とダンスが非常に繋がった現場として機能してきたんです。そもそも愛媛大学の前身は「師範学校」ですからね。戦前から専任のダンスの教官がおられて、教育とダンスを繋いで来られました。
 愛媛大学のダンス教育が大きな転機を迎えたのは、この神戸のコンクールの審査員もされてる牛山眞貴子先生が、大学院出たてのバリバリ24歳ぐらいの時に教育学部保健体育のダンスの教官として着任されたことだと思います。モダンダンスもやるけれども、時代の最先端の新しいダンスもやろうと。これはかなりショッキングでインパクトのあることで、例えば当時だとヘソ出してジャズダンスみたいな……。すごく元気な魅力に溢れた先生で。
 その時私は教育学部の学生として牛山先生とは出会ってるんです。牛山先生は、楽しいダンス、元気なダンス、活力のある生き方ってことをエネルギッシュに伝えて、ダンスの好きな先生のタマゴをたくさん作られた。その人たちが採用試験を受けて、愛媛に散らばって行きますよね。上手・下手ではなく、ダンスが大好きで元気な若手の先生が、愛媛県にはたくさんいるんです。

アリ・マキ・メガネ:おお、素晴らしい〜。

大野:それに加えて、愛媛大学ダンス部(現在の愛媛大学Dance AZ.)は、20年以上前からすでに単独公演もしていたんです。ある時、その愛媛大学のダンス部員の子の友達が、松山大学にいたんです。当時松山大学にはダンス部がなかったので、牛山先生に相談にのってもらっているうちに、「愛好会でもとにかく立ち上げて、やっていけば? 面倒みてあげるし、うちと一緒に練習もしたらいいから」というようなアドバイスや協力をしていただいた、というようなスタートだったと聞いています。
 その頃愛媛大学ダンス部は部員が20人くらいいたのかな。一緒に練習させてもらって、松山大も部員がちょっとずつ増えてきて、定期公演に一作品だけ友情出演で出させてもらったりとかしてる時期が数年あって。そうこうしてるうちに、じゃあ松山大チームでも単独公演を、ちっちゃいとこでいいからやってみようという話になった。平成元年の話です。
 この年から私は、牛山先生の研究室で私設助手みたいな仕事をしていたところで、先生から「松山大学の子たちが今度公演を立ち上げるんで、その面倒を少し一緒に見てみない?」、と声をかけていただいたんです。少しずつ関わっていくうちに、牛山先生もお忙しいので両方は大変だから、だんだん私が関わる比重が大きくなっていきました。第1回目の定期公演が17年前です。

アリ:神戸の「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」の立ち上がりと同じような時期ですね。

大野:神戸のフェスティバルには第2回から出場してます。最初は何年も予選が通らなくて。当時はまだ愛好会だったので、練習場所すらほとんどなかったんです。松山大学は私立大学なので愛好会・同好会・部活というヒエラルキーが非常にはっきりしていて、部にならないと、練習もロクにできないわけです。だから、人数増やして同好会にし、3年ぐらいで部まで昇格しました。定期公演を小さいところでやりながら、神戸も出続けて、3年目ぐらいの時にやっと神戸の予選が通った。

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