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「日常に対するパーソナルなまなざし」
美術家 藤本由紀夫氏の作品は、日常の中に潜む、ちいさなちいさな光のかけらを私たちに気づかせてくれる。
そんなかけらが沢山詰まった、氏のアトリエにてインタビューを行った。

インタビューア/構成:アサダワタル(大和川レコード)
アサダ:まずはじめに。いわゆるアートであったり、作品をつくる以前のところで、「音」というものに興味を持ち始めたきっかけはどういったところからか、聞かせていただけますか?僕自身は「音」そのものに興味を持ちはじめたのは、随分大人になってからの話で、最初は「音楽」。姉が二人いまして、全然知らない未知の音楽が隣の姉貴の部屋から聞こえてくるというところから興味を持ちまして。あと、母親曰く、どうも僕は幼稚園や小学校の頃から歌を歌うことがかなり好きだったらしくて、本人は覚えてないんですが。小さい頃、母親とスーパーに買い物に行ってはヒット曲を歌ったり、色んな所で歌っていたらしく...。家で歌っていたのを母親がカセットテープに録音してくれていたんですよ。それを物心ついてから聞かされて、録音された自分の歌を聞くとものすごく恥ずかしいんですが、とても面白いなと思った。

藤本:父親が機械好き、新しいもの好きで、家にカメラがいっぱいあって。庭に暗室まであったんですよ。時計とか、それから8ミリカメラとか映写機まであった。
でも、父親はそれで何かを作るんじゃなくて新しいものを持ちたいだけ。新しいものが出ると買うんだけれど、3ヶ月もすると次のを買うから、どんどん家の中にいらないものが増えてきて、それが僕のおもちゃになる。そういう物の中の一つにレコーダーがあって。「なんだろう」と思って触っていただけなんですよね。そしたら、まずびっくりしたのは、スピーカーから音が聞こえるということ自体が驚きで。ただ、飽くまで遊んでいるだけで特に目的がないからすぐ飽きるわけですよ。そうすると今度は、昔はオープンのレコーダーだから自分でテープをつないで、自分で回すわけですね。録音したのをひっくり返して再生する。要は逆再生なんだけれど。そうすると聞いたことがないような音が出てきて、この世の音でないような音が出るんですね。そこで「音」ってすごいなっていう。それが一番最初のきっかけでしたね。それはたしか幼稚園か小学校の頃。


アサダ:その当時、「作品」というような認識があったかどうかは別にして、録り続けていたりしたのですか?

藤本:それは小学校の低学年だからもちろん「作品」とかいう意識もないし。ただ「なんだろう」って触って遊んでいただけです。

アサダ:ずっと録り続けたりとか...?

藤本:いや。そんなこともしてないですよ。本当に「遊び道具」として。で、遊び道具というからには、壊していくわけですよ。「これをやったらどうなるんだろう?」っていうので。で、また飽きるから、普通にやるのはつまらないということで、今度は手で回してみるんですよ。すると「グイー」って音がする。結局、今で言うスクラッチみたいなことをして遊んでいて。今度はトランジスタラジオを使って、普通の放送を録音するのは面白くないということで、放送局と放送局の間のチューニングの「シャー」っいてう音を録音して遊んでいた。だけど、その当時友達でそんなものを持っている人もいなかったから、まず、自分がやっている事を一緒に共有する人が周りにいないんですね。だから人にも話したことはないし、自分がやっていることがなんなのかわからなかった。ただ、遊んでいただけで、自分の中で面白かったんだけど。その時点で「作る」とか「創作する」とか一切考えていなかった。で、そうこうしている間に中学校入った時に、ラジオから自分が遊んでいた音と同じ音が聞こえてきた。で、びっくりして。

アサダ:具体的な音楽として聞くのが初めてだったから?

藤本:いや、音楽とは思っていなかったから。「シャー」とか「ゴー」とかいう音でしょ?そういった音がラジオから聞こえてきたんで、びっくりした。自分が遊んでいた音が聞こえてきたわけでしょ。それを聞いていたら、「ドイツの放送局で出来たばっかりの音楽です。」っていわれた。その時に「電子音楽」という言葉を知った。「あ。音楽なんだ。」とラジオで聞いて初めて知ったんですね。それが中学校、小学校終わりぐらい。

アサダ:そこから、「自分がやってきたことはなんだったのか?」と意識的、具体的に考えはじめたりとかはしたんですか?

藤本:全然意識的に考えなくて。ただ「音楽なんだ」と思ってびっくりして。「電子音楽」っていう言葉自体、電子と音楽が結びついたってことがすごいなと思って。で、今度はレコード屋さんに行ってみるわけですよ。「電子音楽」なんていうものはほとんどないわけですね。どこにあるのか知らない。大きなレコード屋さんの、クラッシックの片隅に行くと、なんか現代音楽って書いてあるところに「電子音楽」っていうコーナーがわずかにあって。で、やっぱりあったんだと気づくんですけれど、当時はレコード高いんですよね。高くて買えないわけですから、レコード屋行ってジャケット見るだけで、こういうものなんだと考える。ただそれだけで過ごしていた記憶がありますね。
だからそんな、自分がやってみようとも、創作なんてことも考えずにずーっとジャケットみていただけ、でも、それがよかったのは、当時のジャケットって、すごくいいデザイナーがジャケットデザインしていて、耳で勉強するよりも、逆にデザインをジャケットの方で「あぁ。こういうデザインなんだ」って見ていたんですね。
あと決定的だったのは、ビートルズ。中学入った時にラジオで色んな曲を聴いていたのだけど、最初のイントロで、「ジャァン」と鳴った音を聴いたときに、「これは違う」って思ったのが、ビートルズだった。その「ジャン」って音はなんだったかっていうと、「A HARD DAYS NIGHT 」の頭のコード。で、のめり込んでいくわけですよ。
そうこうしているうちに、初めてライブを聴きにいったんですよ。「アストロノーツ」っていうインストゥルメンタルのバンドが名古屋に来て。体育館みたいなところ。そのときの記憶なんですが、2階の席で始まるのを観ていたんですけれど、音が鳴った途端、音が「足から」聞こえてきた。いわゆる床が鳴っていたんですよ。足の裏から音が体に伝わって来るというのが、初めての体験だった。大きな音だろうとは予想してはいたんだけれど、まさか足の裏から聞こえてくるとは思わなかったから。音は耳で聞くものじゃないんだと、強烈な印象を持ちました。それで、電気を使うとこういう事ができるんだなと。それと「電子音楽」っていうので、音は聞けなかったけどジャケットを見て、こういう作曲家がいるんだとか。「音」にすごく興味を持った決定的瞬間でしたね。

アサダ:藤本さん自身バンド活動とかされたことありますか?

藤本:そもそも「バンド」ってなんなのか疑問なんですけれど、実はやっているというか、ユニットですよね。70年代終わりに「ノーマルブレイン」っていう名前で。レコードも作って、ライブもしたんだけれど。知り合いがバンドをやっていて、最初は力をいれて頑張っているんだけれど、必ず解散とかいろいろ人間関係で疲れてやめるとか。「人間関係で疲れていってつらいんだったら、なぜバンドなんてやるんだろうな?」と思って。たしかに人と一緒にやるおもしろさっていうのはあるとは思うんですよね。でね、その時に思ったんです。「別にメンバーなんて誰でもなれる。いつでも離れられる。いつでもくっつけられたらいいんじゃないか?」と。それで、バンド名だけ立ち上げるわけですよ。でも、それは「一体メンバーは誰なのか?」っていうと誰でもいいし。ある時、人にね、バンド名を貸していたんですよ。誰かが何人かでバンドを組んで「ライブするんだけど」って言うから「その名前使っていいよ。」みたいなね 。それがすごくおもしろくって。

アサダ:それは解散がないということですよね。

藤本:そう、だから今でも存在してる。

アサダ:僕もバンドやっていましたけれど、ほとんど当たり前のように人間関係でバンドって解散していくのを目の当たりにしていて。「バンド」という形態そのものを考えたら、藤本さんの発想だと今の話に行き着くのはすごくよくわかります。
「名前だけユニット」というものを立ち上げて、そこに自由に出入りするというか。確かに固定のメンバーで一緒に作っていくおもしろさはあるとは思います。同じメンバーでずーっとやることの意義はわかるけれど、それに伴うしんどさのほうが勝ってしまって、解散してしまうというのがあるんだろうと思っていたので、今の話はすごくわかる。
アサダ:いわゆる「音」という興味や音楽活動から経緯して「美術家 藤本由紀夫」さんとして。現在されているような活動をはじめる出発点は具体的にありますか?

藤本:現在の形としては86年。ギャラリーで展覧会としてやったっていうのがスタートですね。

アサダ:それはどういった内容だったんですか?

藤本:今もやっているオルゴールを使った作品の展示。ギャラリーでやったら面白いことに、「美術」だという風に取り上げられるというね。

アサダ:藤本さんにとってはギャラリーですることによって「美術」にする、というより、逆にギャラリーでやったことで、外から「美術」だとされたという感覚なんですね。

藤本:うん。そうですね。別に、どこでやろうかどうかはわからなかったんですが、たまたまギャラリーだったわけです。オルゴールで作品を作っていたから、ちょうど空間としてあっていたんです。

アサダ:ギャラリーが?

藤本:うん。後から考えたらね。だってステージの上では観客に聞かせられないでしょ?演奏して聞くものでもないから。要は自分で回した人が聞くということになると、ギャラリーというのはすごくあっていた。

アサダ:その当時は、そう思って、「ライブハウスじゃないよな。ギャラリーでやったほうがいいよなー。」とギャラリーを選んだわけではなく。偶然?

藤本:そう偶然。ギャラリーから「音の展覧会しませんか?」っていう連絡があったんだけれど、ギャラリーの人もたぶん、環境音楽みたいなのを作って流すものだと思っていたんじゃないかな。
だって、それまでそんなことした人誰もいないわけだから、たぶん想像できるわけないし。僕がそういう作品作っているのも知らずにオーダーがきたんで。たまたま僕は家で作っていただけで、人に広く見せるつもりも特になかった。自分の楽しみで作っていて、時々友達が泊まりに来たときなんかに、「実はこういうの作っているんだけれど」といって見せて「なるほど」っていう感じでね。「1対1」で聞いて貰っていたというか、そういう作品がいくつかあったから、「展覧会しませんか?」って言われたときに、じぁあ、これを並べたら展覧会になると思ってやったのが、86年。だからそれも、さっき言ったテープレコーダのこうしたらこうなるだろうっていうのと同じですよね。


アサダ:一緒ですよね。単純に藤本さんが興味があることを、ずっと続けられてて、たまたまそこで発表された。

藤本:そう、たまたま。自分で選んだわけじゃないし。
アサダ:偶然がスタートになって、基本的には同じスタンスで活動されてて、「やめようかな」とか思ったことはないのですか?

藤本:それはさっきも言った「ノーマルブレイン」じゃないけど、解散がないわけでしょ?「つくろう」と思ったら「やめよう」と思うかもしれないけれど、ただ「気になる」ことを追求してるだけだから、「やめる」っていう事自体が僕にとっては意味がわからない。

アサダ;何かをつくろうという意志ではなく、ただ興味があることを日常の中でやっているだけだから、続けるもやめるもなにもない。当たり前の事だっていう感じなんですかね。

藤本;まぁ、そうだけど。でも楽しいわけではないですよ。日常生活と同じ。楽しかったり、つらかったりする。それと同じで、でも、「なんでやっているか?」と尋ねられると、「いつも気になるものが出てくる」からなんですよ。

アサダ:途切れないんですか?

藤本:途切れないですね。絶対に。それをどうしたらいいかを悩みますよ。やり方が解らなかったりとか、でも、気になるものは次から次へと出てくる。これをこうしたらどうなるんだろうかとか。気になるんだから、ほっておけないわけですよね。そのままずっとたぶん続けるし、これからも続けるし。

アサダ:どうやったらいいかについては悩むとおっしゃっていましたが、藤本さんが具体的に活動されてて「あの時落ち込んだな」っ時ってあるのかな?落ち込む質が違うのかもしれないけれど。

藤本;落ち込んだ事はないと?

アサダ:はい。なさそうにみえる。(笑)

藤本:諦めたのは、「電子音楽」をやめたときですね。電子音楽は未来の音楽だと、僕が知った頃には言われていて。なんとかそういうものが出来ないかなと思って、電子音楽のスタジオがある大学に入学してほとんど10年間くらいは毎日スタジオでやっていたんですよ。10年やった末に結論は何かというと何もできないということがわかった。せっかくこちらは、やればいろいろ膨らんでいくんだろうと思ってたんだけど、やればやるほど可能性がないってわかってくるとつらいんですよ。

アサダ:どうしてそういう風に思ったんですか?

藤本;いや。「思った」んじゃなくて、「わかる」んですよ。
ようはシンセサイザーですよね。音を合成していくわけです。サインウェーブという波を重ねていけば、音がどんどんつくれるという。ドイツで始まったんだけれど、それを信じた形で、最初は波のような音がつくれるとかフルートのような音が出せるとかですね。そういうのが出来て、すごく面白くて。いっぱいつくれるからつくっているつもりなんだけれど、時間がたってから聞くとみんな同じ音に聞こえてくるわけですよ。で、どうしてかなと思って。結局はそんな足し算でも、二桁や三桁の足し算じゃ出来ないっていうのが後でわかるわけですけれど。で、もうひとつ、一番の原因として、色んな音を作っても最終的に出てきているのは何かというと、「スピーカーの振動」なんですよ。全部が一ヶ所からの振動だけ。色んな音をつくったと思っても、要はスピーカーを振動させているだけじゃないかとね。じゃあ一つの音しかでないということがわかって、「何をやっているんだろう?」と。「これじゃあ僕がイメージしていたものができないんだ」っていうことが、自分でやって、自分でわかったということが一番つらかったですね。
あと、もうひとつは、70年代終わり、機械がアナログからデジタルへの変わり目だったんです。デジタルの機械が登場するんだけれど、それを使う上では、考え方を変えないと使えないんですよ。操作する側がね。デジタルの機械は初心者の方が使いやすい。僕はなまじっかアナログで10年くらいやっていたから、デジタルの前にたつとアナログの考え方が邪魔をするんですね。ものすごくもどかしくて、デジタルに移行できないというのもあって、ダメだなと思って...。やめるしかなかった。その時が一番、自分ではつらかった時期でしょうね。

アサダ:藤本さんがそれに気づいた時は20代後半ですか?


藤本:そうです。

アサダ:僕が今27なんですけれど、まわりでは、自分でつくってきたものをやめたりとか、経験の中で自分がやれることじゃないわと判断して活動を離れたりする人が結構多いですね。 
充電期間というようなものはあったのですか?次の方向へ行く間。

藤本:やめるというよりも要はやることがなくなっちゃったということだから、逆に楽だったんですよ。何もしないという方が。

アサダ:逆にその時までは自分に課してたわけですか?

藤本;最初は、夢をもって選んだ道ですよね。でも、だんだんつらくなってくるんですね。それは、自分で選んだからやっていくんだけれど。やればやるほど未来がなくなってきて苦痛になっていたから、逆にやめちゃったのは解放感。まず、やめたっていうことが、自分にとってひとつ開放されたってことなので、次どうしようって考えない。家でぼーっとする。そうしていたら、それまで興味がなかったこういう音「こん」(机をたたいて)という音が耳に敏感に入ってくる。その時思ったのは、こういう音は電子音楽、シンセサイザーではつくれないと気づいて。別に「音」をつくらなくても「音」はどこにでもあるんだと気づいて、それをサンプリングしてきたらいいわけで、子供の頃にした、テープを逆再生したらどうなるとかとかと同じような気持ちで、その辺にある音の角度を変えたらまた違う音が聞けるんだって気づいたら、自分の家の中でやりだすわけですよ。それをサンプリングというかまた電子の波形に取り込んじゃうと同じことですよね。スピーカーの振動という意味で。だからそこで聞こえている音をそのままサンプリングできないかなと。そうすると、その物をそのまま使えばいいんですよ。
機械でつくるんじゃなくて、その物を使って音をつくればいいんだと。そこからまたスタートした。
そういうことは誰もお手本にする人がいなかったから、それが「作品」かどうかなんて意識もなく、「どうなるんだろう」と触ってたというのが、その頃の感覚でしたね。その中のひとつに、家のなかにあったオルゴールを使ってやっていたというのが、電子音楽をやめた後。だけどそれでどうなるとか考えてなかったですからね。


アサダ:そういう意味でも今もこれからどうするのかというのは、なりゆきというか、そのときそのとき活動していて次の興味が沸いたらそれをしたらいいかという感じですか?

藤本;今まで基本的にそういうスタンスでやってきているから、かえられない。

アサダ:現時点で興味があることってあります?「来年こんなことしてみようかな?」とか、それがどんな形であれ。

藤本:いろいろとあるんだけれど、具体的にこれというのは、後で言葉に出来るものばかりだから、今興味があることは語れないですね。言葉にする前にたぶん具体的な形でなにかやっていると思う。自分自身でも2、3年たってからようやくその時自分がやっていたことがわかってきたりするので。「なんだろう」という感覚はすごくあるんですけれどね。

アサダ;もやっとしたもの?

藤本;もやっとしたものは、形じゃないと思う。自分の中の感覚として。で、自分だけのものじゃないなと思う。そういうことを他の人と話していても、ある共通のことを感じるから、それは「時代」ということなのかなと感じたりします。「今」というか。本を読んでいても、それを感じる。それはもう少し時間がたつと整理出来るかも知れない。
アサダ:藤本さんって常に「質問される人」というイメージ。藤本さんをおもしろいなと思うのは、藤本さんのレクチャーやパフォーマンスが終わった後、みんな集まってきて積極的に質問している。いろんな作家さんにみられる傾向ではあるが藤本さんの場合は特に。観客との関係がおもしろいなと思っています。

藤本:実は質問じゃないんですよ。「自分はこう考えた」って言いに来る人の方が多い。僕の作品の特徴なんだけれど、「僕の印象」は作品にしないんですよ。「作品にしました」とか「演奏しました」とかね。
自分が体験した事を人に味合わせたいわけですよ。食べ物に似ていると思うんだけれど、これはこういう味だったと伝えたいわけじゃなく、同じ物を食べさせたくなるわけですね。それは味覚が合わないかも知れないけれど、味合わせたいわけですね。これだったら、これと組み合わせたらと。それが「きっかけ」でその人の中に何かがでてきてくれたら。
「作品」は「結果」としてだすものではなく、「きっかけ」の装置なんですね。レクチャーでもパフォーマンスでもそこがきっかけになって、観客が作品からぱっと思い出したり思いついたり疑問をもったりしてくれれば、僕の表現の効果があったということです。


アサダ:藤本さんの作品をみたら本当にきっかけ。それ「以後」は受け取った人が考える。

藤本:それがいい。それでなければ嫌ですね。自分としては。
感想が一番どう答えていいのかわからないというか、困っちゃう。「おもしろかった」と言われるよりも、「これはこうじゃないですか?」と言われた方が、そこでいろいろ考えられるから、
まぁ、一番今まで多いのは、「これはどこで売ってるんですか?」っていうね。自分で作れると思っている。
作れるわけなんだけども。


アサダ:技術的につくりやすいというのもでかいですよね。作品として技術的に難しいものを置いておいたら、その作家しかつくれないのだけれども、考える「きっかけ」「仕組み」として、誰でもつくれる素材を使われていたり。

藤本:誰でも手に入って誰でも作れるんだけど、どうして誰もやってこなかったのか?っていうところですよ。
ある美術館の学芸員さんが僕の作品について、「ただ皿にオルゴールをのせているだけだろう?」て言っているのが聞こえてきたんだけれど、僕はその時思ったんですね。「たしかにそれだけだ」って。でも、「そこになぜ価値を見いだせないんだろう」と思ったんです。じゃあなんでそこで、今までお皿の上にオルゴールをのせる人がいなかったのかを考えないのか。だから、人種が違うんでしょうね。まったく価値観が違う人がいるということで、それはそれでありですけど。
みんなにわかってもらうのは...

アサダ:無理ですよね。

藤本:誰も理解してくれないとさすがにつらいんですけれど、必ず触発される人がいるから発表が続いてきたと思うんですね。僕にとってきっかけがラジオを聞いたところからだったように、僕の展覧会に来て、「こんなやりかたがあるのか。やってみよう」っていう人がいるわけですね。そいういうのがすごく嬉しい。

(「美術館の遠足」・・・97年から10年間、西宮市大谷記念美術館で1年に1日だけ行われる展覧会。)

アサダ:そろそろインタビューも終盤ですね。ところで今年で「美術館の遠足」はラスト?

藤本:うん。終わり。

アサダ:今年も何も変わらず?

藤本:97年にスタートしたんですよ。一番の目的が10年間続けることだったので、ゴールがみえてきたという事において、僕のなかで10年というのは大きなスパン。自分だけでやっているわけじゃないから。美術館と僕と観客の人で10年間プロジェクトを続けてきたというのが遂に完成するということでは特別な意味を持っています。だからちゃんと完結させるということは大事だと思っていますよ。でも、人が予想しているような終わり方はしない。

アサダ:(笑)。 僕の記憶が正しければ、去年の12月の第9回目の時に「来年は僕がやりたいことをやりたい」って言っておられたような...

藤本:そうですね。言いましたよ。

アサダ:何が行われるんだろうなと。気になりますね。

藤本:最後くらいは自分がやりたい事をしたい。唖然とされるかもしれない。しかも今年、5月27日なんで。

アサダ:5月ですか!?

藤本:今もう準備に入っていて。何故かみんな秋だと思っているんですよ。気づいたら終わってたとか。色んな意味で、ゲームみたいなものだから、どう裏切っていこうかって考えると面白くなるんですね。まず自分が突き動かされないと、人には通じないんですよね。だから失敗する可能性は大なんですけれど、やっぱり、そう決めた以上やりたくてしかたがなくて。
色んな意味で10回目なんでね、失敗してもね。その後のことを考えなくてもいいという意味でも10回目なんです。

アサダ:終わってみたら「すごい10回目やったな」っていう...

藤本:でも、今は僕自身が考えなくても色んな面白い事を考える人が多くなってきて。一緒にやりましょうという人もいて。

アサダ:見に来てくれる人が毎年毎年その人自身の関わり方が変わってきてますよね。

藤本:10年やっているとね。時代が変わったなというのがよくわかるんですよ。
一番何が変わったかというと、観客の意識がかわったと思う。観客のアートに関する意識がね。関係者も変わってきているし。表現の形やメディアの出方であるとか。それからマーケティングとかも。
僕が考えなくても、僕が考えたようなことを考える人が出てきて。面白いのは、「こういうテーマでこういうような展覧会をしませんか?」と言ってくる学芸員の人がいること。僕自身にとっては「そう考えて当然」というようなことが多くて、「じゃあやりましょう」となるわけで、そういう機会が増えてきていて、今すごく面白いです。

アサダ:では、今日はどうもお疲れさまでした。ありがとうございました。今年も「美術館の遠足」伺いますね。

藤本:お疲れさまでした。

於 CAPHOUSE 藤本由紀夫氏アトリエ