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映画の歴史とは別の「もう1つの映像コミュニケーションの系譜」を松本夏樹氏に振り返っていただいたインタビュー前半。
さてインタビュー後半は、氏が主宰する『カイロプテッィク商會』の活動の原点や醍醐味、また日本最古のアニメーションフィルム発見の時のエピソードや、映像メディアを収集・保存し、その情報を次世代に継承することの意義などをじっくり伺います。
そして「もう1つの映像史の系譜」を現代に受け継ぐ映像コミュニケーションに注目、その可能性を探ります。

インタビューア/構成:松本篤
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篤:錦影絵や幻燈機、おもちゃフィルムなどのメディアを収集・公開し始めるきっかけをお聞かせください。
夏:私は小さい頃から版画に興味があったんです。中学生の頃から本格的に始めました。版画というのは非常に化学的でメカニカルな部分があります。金属を加工する際の化学反応やメッキ剥がしなど理論に裏打ちされた技術にとても惹かれていたんです。その延長線上で、中世ヨーロッパの錬金術思想の図像を研究したり、キリスト教の書物に登場する版画に込められた精神を読み解くということをやりはじめました。
篤:版画を読み解く?もう少し詳しく言うと?
夏:ヨーロッパでは版画というジャンルは宗教と切っても切れない関係にありました。信者のために聖母マリアや聖者などの木版画を大量生産・大量販売したり、活版印刷と結びついて書物の挿絵として現れました。やがてもっと精密な技術として銅版画が登場し、活版印刷と組み合わせることによって16〜17世紀にかけて大出版時代が訪れ、大量のビジュアルイメージ情報が溢れ出します。
篤:グーテンベルグの活版印刷が登場し、聖書がベストセラーになった時代ですね。
夏:そうです。そしてその頃ヨーロッパで一番大きかった問題がキリスト教の内部抗争、カトリックとプロテスタントです。その抗争では、版画やビジュアライズされたチラシで大宣伝合戦を繰り広げたんです。そこに再度カトリックを引き締めて、プロテスタントの邪説を排す、ということでイエズス会が結成されます。そこで、あらゆるジャンルのビジュアル技術を駆使して戦おう、ということでアタナシウス・キルヒャー(注釈1)というイエズス会士が幻燈「魔法のランプ(ラテルナ・マギカ)」を発明したんです。
篤:壮絶なメディア戦争の真っただ中に幻燈機が発明され、利用されたという事実は、メディアが宿命的に抱える一面ですね。
夏:そうですね。幻燈機は教義論争、思想啓蒙、国家の威信、教会の権威に利用さました。のみならず、それからはずれた使われ方もされていくようになるんですね。人間の欲望と結びついたり、創造活動や芸術に寄与したり、子どもの情操教育に資する教材だったりしたのです。
篤:インタビュー前半に伺った、日本に西洋幻燈が持ち込まれた明治初期(まず政治的なものに利用され、その後娯楽や趣味や芸術に転用されていった過程)と酷似していますね。意図せざる結果として各々の関心領域の中でいろんな利用法が編み出されていくという過程もメディアが本質的に持つ一面です。
夏:そうですね。だから私はいわゆる映画研究家ではないし、今やっている映像メディアの収集・公開活動とそれ以前の版画の研究が一見かけ離れていると思われがちですが、コアは全くズレていなくて一貫しているという認識です。つまり、版画や映像などのビジュアル情報から当時の時代背景を読み解くことができ、その時代の意識や精神にたどりつけるのです。その瞬間その時代に生きていたかのような感覚になるのがたまらなくエキサイティングなんです。
篤:夏樹さんの中ではビジュアルイメージとして現れる当時の思想や意識の研究の一環として、版画や幻燈などのメディアに関心を持たれたということですね。
夏:その通りです。そしてもう1つ、他に幻燈機やおもちゃ映画を収集・公開する根源的で決定的な理由があります。
夏:18歳の時に京都の東寺の骨董市で、はじめて箱に入っていたおもちゃフィルムと映写機を買ったんです。もう少し正確に言えば、バラバラで入っていた映写機を幻燈機と間違って買ったんですけれどね(笑)。

映写機を幻燈機と間違って →
写真は、幻燈機+手廻し35mmフィルム映写機の兼用機。手廻しクランク部分を取ると幻燈機になり、形状がほとんど変わらない。
所蔵・撮影 松本夏樹

篤:ほとんど形が一緒ですもんね。
夏:幻燈機はすでに知っていて、子どもの頃からおもちゃとして慣れ親しんでいました。
篤:だからその時は気づかなかったんですね。
夏:そうです。しかし家に帰ってそれを組み立てているうちに、幻燈機には幻燈フィルムがついてくるんですが、連続画のフィルムが付属品として入っていた。そこでやっと間違って買ったことに気がついた。それでもほとんど幻燈機と勝手が同じだったので、部屋を真っ暗にして、映写機で投光して、さあ観てみよう、と手廻しのクランクを廻し始めます。すると、絵が動くんです。
篤:映写機だからですね(笑)。
夏:そう、映写機だから(笑)。でもね、冷静な頭では、その運動が理解できるんだけれども、身体的な感覚としては手を動かすと目の前の像が動き出した!そりゃ、当たり前なんだけど、身体はそんな理屈をすっ飛ばして目の前のアヒルに釘付けなんです!
篤:アヒル?
夏:たしか、『アヒルの恩返し』というタイトルだったと思うんですが。その衝撃が強かったので、今でもストーリーを覚えています。にわとりの家族に一匹だけアヒルのひなが混じっていたんですね。ある日、嵐が来てにわとりの家が川に吹き飛ばされて、ヒヨコが川に放り投げられてしまいます。
篤:ヒヨコが?
夏:はい、お母さんのにわとりはパニック状態で、コケコケッ!って泣き叫んでいるんですが、そのうちヒヨコたちは濁流に流されてしまいます。下流はもうすぐ滝で今にも落っこちそうです。
篤:そこでアヒルが登場ですね!
夏:ご名答!泳ぐことができるアヒルはヒヨコたちを助けにいくんですね。そして最終的には滝にさしかかる所に小岩があって、ヒヨコとアヒルがそれにぶつかって、そのおかげで岸まで飛ばされて助かったっ。
篤:なんだか無茶苦茶な話ですね(笑) 。
夏:ところが話はそれで終わらなくて、馬車の車輪やいろんなものが激流に呑まれて滝に落ちていくんです。そして、その車輪が滝壺に落ちたと思ったら、跳ね返ってこっちに向かって飛んで来るんですよ!
篤:ハリウッドみたいですね(笑)。
夏:いやいや、笑っている場合じゃない(笑)。よくよく考えると、自分で映写機を組み立てて、自分で部屋を真っ暗にして、自分の手で映像を動かしているにも拘わらず、自分の理性の範疇を超える驚きをその映像から覚えたんです。まさに身体中に電流が走った気分でした。
篤:頭でメカニズムを理解するというよりは、自ずと身体が反応した?
夏:まさにそうですね。今となっては恥ずかしい話ですが、まさにこのエピソードが私の映像に対する原点なんです。
篤:なるほど、そんなご経験があったとは。
夏:映像の何に惹かれるのか?それは一言で言うと「魔術」なんです。よしんば映像の機能や、視覚のメカニズムが全て解明されたとしても、光が像を結ぶという奇跡、それにはかないません。なぜ幻燈機やおもちゃ映画を収集・公開しているのか?それはまさしく目の前に起こる超自然現象に惹かれてやまない子どものまなざしになっているからです。つまり大人は間歇運動や残像現象などという原理や知識を持ち出して理解しようとしますが、実は子どもにとってそれはどうでもいいことなんです。子どもはそれよりも「光が像を結び、動き出す」という超自然現象に惹かれているのです。
篤:まさしく”アニメーション=animation”の語源が、”自然界の万物に霊魂を吹き込む”という意味に合致しますね。
夏:そうですね。人類は、何千年も前から闇の中で光と影を使ってイメージを映し出すことを飽きもせずやり続けて来ました。それはいわば人類の記憶の起源がそこにあるのかも知れません。大人の論理では、芸術や技術の起源でもあるし、映像の文化や視覚の悦楽の起源とも名付けることができます。しかし子どものまなざしはもっとシンプルです。そこにないものが動く、という超自然だけで心が揺さぶられたり、驚いてしまうのです。私も子どものまなざしであり続けたい、その悦びから離れたくない、その感動は、極端な言い方をすれば、端切れフィルムだけでも充分感じられるものです

子どものまなざし →
1900〜1910年のフランスで販売されていた、ループフィルム映写機とガラススライドの幻燈機の兼用機の箱のパッケージラベル。上部にはシネマトグラフ、下部には幻燈=ラテルナ・マギカ(LANTERNA MAGICA/つまりmagic lantern=魔法のランプ)とフランス語で書かれてある。水兵(セーラー)服を着た子どもがループフィルムの手廻し上映を行っていて、奥の二人が夫婦、指し棒を持っているのが家庭教師、手前にいるのが客人。
ロココ時代(18世紀)のフランスでは、影絵や光学装置の仕掛けのルーツは中国(当時は清)にある、と思われていた。また中国を含めた東洋的神秘への憧れ(シノアズリー)が色濃い時代であった。左右上部の男女の顔の絵や提灯、また左下部の笹の葉や文字のフォントなど、全体的なビジュアルイメージが中国風なのはその影響であり、シネマトグラフはフランス自身の発明であるにも拘わらず、光学装置=中国的魔術という表象が用いられている。
所蔵:松本夏樹

篤:それって難しくないですか?
夏:いやいや、そう言わずにやってみてください(笑)。通常の生活で必要になる大人の知識や先入観を一旦捨てることによって、逆説的に物事の本質を見ようとする姿勢が得られます。今から目の前に起こることを魔術として受け止めることで、これまでとは全く違った世界が目の前に広がります。
例えば、薄っぺらくて小さくて丸い金属の板を入口に入れて、自分が今まさに飲みたい液体のボタンを押すと、音をたてながら円柱形の容器に入ったその液体が出口から出てくる。子どものまなざしで見る自動販売機の存在はこんなものではないでしょうか。そうするといつもの認知形式とは違ったフレームで物事を捉えることができる。一生をかけて子どものまなざしのままであり続けること、それが私の仕事です。

篤:その感覚はすごくわかります。remoが子ども向けアニメーションワークショップを企画した時も、参加した子どもの反応は頭で仕組みを理解するというよりは直感的に身体で理解していたし、自分で作ったアニメーションが動き出すと、単純な動きでも食い入るように見ていました。実際に子どもたちがアニメーションを作るのはそれなりに難しかったと思いますが、子どもの視線って面白いな、と思いました。
夏:できるだけ無垢なまなざしととびきりの好奇心を持つことは、映像の深みを体感する上でとても大事なことです。たまには大の大人だって子どもになれば楽しいですよ(笑)。
篤:ところで、「カイロプテッィク商會」という名称はどこから名付けられたのですか?
夏: chiro=手の、optic=光学装置、という2つの要素を兼ね合わせた造語です。先ほどのアヒルの話のエピソードでもお話しましたが(笑)、光が像を結んで動いている!という感動。それはまさに身体性の問題なんですね。
篤:ややもすると映像と身体の関係は等閑に付されがちですよね。
夏:しかし、本来身体を抜きにして映像は語れない。例えば、コンテンツなしで幻燈機を投光すると、真っ白な光が浮かび上がりますね。子どもはまず何をするか?
篤:何でしょうか?
夏:手で影絵です。それが原衝動であり映像と身体の根源的な関係なんです。
篤:体がつい反応してしまうような衝動ですね。
夏:その感覚は人類が映像を発明して以来、常に孕んでいる問題です。人間が人間である限り、身体から離れることはできない、しかし、映像に限らず広くどんなメディアにも言えることですが、ついつい身体的なものから離れて形而上学的になるというか、頭でっかちになるというか、実感としてわからなくなっていってしまうんです。しかもそれが産業とか技術とか情報化とか、そんな問題でめくらましにされて、映像に対峙する身体の感覚が完全に乖離または消滅してしまっています。
篤:そう言われれば、そうかもしれない。
夏:だからこそ私は、身体感覚を伴った原衝動が保持され続け、主張され続け、体(手)にとどまるものに興味があるんです。「手による光学装置」を掲げ、反動的に子どものまなざしや子どもの感覚にとどまり続けることに努めている理由は、そこにあります。
篤:反動的に、ですね(笑)。
夏:私は映像における「保守」だと言われたことがあるんですが、それは間違っています。私は保守ではなく「反動」です。「保守」は今あるものを守ろうとしますが、一方「反動」は意図的に反対に動くのです。つまり、現在の映像文化が身体からどんどん離れれば離れる程、ますます映像は身体とは切っても切れないものなのだ!ということを反動的に、声高に唱えて行動するという意識を持っています。
篤:セーラー服の少年が振り向いて敬礼するという、日本最古の35mmのアニメーションフィルムを京都の旧家から夏樹さんが入手・発見されたそうですね。

先ほどの手廻し上映していた子どもも、日本最古のアニメーションフィルムに登場する子どもも共通して水兵(セーラー)服を着用している。
その理由の1つとして、富裕層のシンボルとしての水兵服という意味フレームがあり、
一種の商品のステータスとして水兵服が記号化されたものだということが挙げられる。
所蔵:松本夏樹 撮影:大阪府立現代美術センター

夏:はい。あれは骨董屋さんから「旧家の蔵を処分する際に、映写機やその他もろもろまとめて掘り出し物が出てきた」という連絡があって、その中にあったフィルムの時代考証を進めると、どうやら日本最古だということが判明したんです。
篤:なぜ日本最古のフィルムと判断できたのですか?
夏:インタビュー前半にもお話しましたが、日本のアニメーションフィルム史は独自の発展を遂げます。その歴史を鑑みつつフィルムに施されている印刷の技法や、フィルムと一緒に出てきた映写機の製造年代から判断したのです。
篤:やはりそれは江戸時代から続く幻燈産業やアニメーションフィルムの歴史の知識があってこそ解けた謎だったんですね。
夏:そうですね。私が映画の専門家だったなら解けなかった謎だったと思います。私は映像の専門家ではないですし、集中的なフィルムや幻燈機の収集活動もそんなに昔からやっていたわけではないんです。ただ、映像を専門に研究されている方は、往々にして映像と文化史のコンテキスト=文脈を切り離して考えがちです。また、映画の専門家は、大きなフレームとしての日本の映像史を振り返ったり、勃興しては消滅していった小さなメディアへの興味は薄いように思えます。私が日本最古のアニメーションフィルムを発見できたのは、そういった映画の研究とは違う視線を持っていたからではないでしょうか。
篤:それに加えて骨董屋さんとのネットワークも大切ですね。
夏:そうですね。私は何人もの骨董屋さんと懇意にしていますし、彼らも更にネットワークを持っています。私がやみくもに古いフィルムや映写機がほしくて取引するのか、と言うとそうではありません。私がどういう所に価値を見出していているのか、何に惹かれているのか、それをしっかりと理解していただいているので、パートナーとしてコミュニケーションが成立するのです。
篤:骨董屋さんから幻燈機やその種板、おもちゃフィルムなどのメディアを収集する際、どんな方法で行われているのでしょうか?
夏:詳しくは企業秘密なので言えませんが(笑)、骨董屋さんとはまめに交流を持って、情報を共有したり実際に品物を購入しています。骨董市にはまめに通っています。先日もまとめて買ってきました。
篤:具体的にはどれくらいの規模で購入されるのですか?
夏:この前は量的や質的なことを判断して2万円で買いました。相場です。
篤:いわゆるフィルムコレクターですよね?
夏:いや、私はコレクターではない、と思っているんですよ。つまり、「出さない・観せない・触らせない」という私蔵に興味がないんです。「いかに活用するか、どういう形で流通させるか」に価値を見出しているので、その点ではコレクターとは違います。私が集めたものは観てもらいたいし、触わってもらいたい。また、オリジナルフィルムにこだわりません。オリジナルは大学に寄贈してニュープリントを手元に置いています。
篤:収集するだけでなく、それをどう公開・利用するか、に力点が置かれているということですね。
夏:先ずは「現存するフィルムの保全=コンテンツの保存」が大前提ですが、私のスタンスは「既存のフィルムに関する考え方」に対する異議申し立てが確信的にあるんです。
一般的なコレクターは、フィルムをプライベート(私的)に収集し、私蔵します。一方、パブリック(公的)な性格の強いフィルムセンターやフィルムアーカイブが構築するような学術的なアーカイブにも興味がありません。映像はデータではなくて生き物です。「フィルム=映り込んでいる映像コンテンツ」は映像それだけで自立しているわけではなくて、その時代と一緒に存在します。つまり映像と文化史のコンテキストは不可分だし、その映像がどのように需要・供給されたのか、という視点が不可欠です。ですから、一般公開する時は時代考証や鑑賞制度をできるだけ再現し、まるごと体感してもらうことを心がけています。

篤:なるほど。夏樹さんのおもちゃフィルム上映会を何度か拝見させていただいていますが、あのライブ感覚がとても居心地良かった。顔を寄せ合い、映写機の音を聞きながら、目を凝らし、結んだ像に驚いたり魅せられたり。映像を全身で受け止めるうちに、その時代にタイムスリップしてしまうんですね。
夏:そう言っていただけると光栄です。コレクターでもない、フィルムアーカイブセンターでもない、活きた映像の流通を目指してメディアの収集・公開活動をしています。
篤:おもちゃ映画・幻燈などの古メディアを収集・公開される際にポイントにされている点はありますか?
夏:それは明確にありますね。ここに、JR(旧国鉄)かつての鉄道省の役人が海外視察旅行に行った時の記録と思われる8mmフィルムを40本ほどまとめて収集したものがありますが、その中に現れている映像が端的に示しています。

JR(旧国鉄)かつての鉄道省の役人が海外視察旅行に行った時の記録と思われる8mmフィルム →
所蔵:松本夏樹 撮影:仲川あい

篤:どんな内容なのですか?
夏:中央官僚の視察団が昭和11年(1936)〜12年(1937)の間に海外視察をした記録と考えられる映像です。撮影場所は、北米サンフランシスコ、ハワイ、グランドキャニオン、あとドイツのベルリン、フランクフルト、イギリスなど。秩父丸、EUROPE号という2隻の船で渡航しています。撮影者は鉄道省の人物だということはわかっていて、鉄道や飛行船、サンフランシスコのケーブルカー、ハンブルクでもバスをよく撮っていることから交通事情の視察旅行では、と推理しました。夜景のネオンの光の情景が非常に多くて、西欧の近代都市に対する憧れを感じさせます。ハンブルクでは、ナチスのハーケンクロイツをつけた馬車が横切るシーンがあり、非常に興奮しました。
篤:へぇ、そんな時代だったんですね。
夏:映像で振り返る同時代の世界史としても面白い資料です。フィルムというのは劇場用映画を除けばほとんど個人でやっているんですよ。パブリシティ(公共)ということがどれだけ意識されていたのかは推量の域を出ませんが、それでもその当時の社会性や写された事情が推理できる映像がきちんと残されています。
篤:まるで考古学ですね。
夏:まさにその通りです。たとえプライベートなことを写していても、その時代が伺える何かを意図的に撮っているように読み取れる。
篤:そのフィルムを観ると「この人は何を見ていたのか」「この人は何を撮ろうとしたのか」という記録者の意識が浮かび上がるんですね。
夏:そうですね。特にカメラを持つことが許された昔の富裕層には、ある側面で「Noblesse Oblige=ノブレス オブリージュ(貴族の責任)」のようなものでしょうか、地域の文化に対する責務感がありました。もちろん個人的に自分の技術を誇示したいという意識もあったでしょう。しかし、例えば風景を撮る時でも、公共という倫理観が下支えした視点になることが多かったのではないでしょうか。フィルムを観ていると、それを感じさせる画面に出くわすことが往々にしてあるんです。そういう意味で、パブリックとプライベートという意識が絡み合いながらにじみ出てくるプライベートフィルムは、とても見応えがあります。
篤:プライベートでありながら、「記録」の責務感のようなパブリックな意識が映像から伝わってくる?
夏:そうです、カメラマンの意識や時代の精神が伝わってきます。私がこだわって収集しているのは、つまり幻灯機や錦影絵、おもちゃフィルムなどのジャンル分けされたメディアではなく、それを観ることで「時代の意識=精神」が立ち上がって来るメディアなんです
篤:インタビュー前半で、映画を含めた映像文化の歴史を夏樹さん先導のもと振り返りましたが、映画(シネマトグラフ)が日本にはじめて持ち込まれたのが大阪でした。
夏:その他にも映像と大阪の関係性が挙げられる事実があります。具体的には、8mmフィルム以前に流通した9.5mmフィルムの文化が日本に根付いたのも大阪という場所です。大正から昭和にかけての9.5mmフィルムを含めたプライベートフィルム全般について紐解く際の基礎文献として『パテーシネ』という雑誌があるのですが、台湾や樺太や朝鮮を含んだ当時の日本中のプライベートフィルムの動向が伺える貴重な資料です。
篤:それは日本語で書かれているんですか?
夏:そうです。フランスのパテー社の日本での小型映画の利権を独占していたのが伴野商店という業者ですが、9.5mmのプライベートフィルムが日本に輸入されて間もなく全国に先駆けて大阪に「ベビーシネクラブ」という同好会や、それに伴う同人誌が作られました。そして全国各地にも「ベビーシネクラブ」が創立された後に、それらを伴野商店が統合した統一雑誌として『パテーシネ』が発行されます。日本で最初にプライベートフィルムについての同好会や情報を雑誌『ベビーシネクラブ』として発信したのが大阪なんです。
篤:それはすごい!!ということは・・・。
夏:発信地として大阪が存在していたということは、当時の大阪の様子が伺える映像も残っている可能性が極めて高い。
篤:非常に興味深いお話ですね。というのもremoではAHA!というプロジェクトを企画していて、remoの活動拠点である新世界が記録されている8mmフィルムなどの映像メディアを収集しているのです。
夏:8mmフィルムでは難しいかも知れませんが、戦前の9.5mm、16mmフィルムを探せばどこかに新世界が映っていると断言して構わないです。当時歓楽街として隆盛を極めた新世界の映像がないはずがない!
篤:かなりワクワクしてきました!年代的にはいつごろの大阪や新世界が映っているんでしょうか?
夏:1923年(大正12)に関東大震災が起こって東京が壊滅状態に陥ると、出版や広告美術など、いわゆるメディア業界の人間が雪崩をうって大阪にやってきました。結果的に最先端のモダニズムが大阪で花開くのです。一方、大阪では今の大阪市長の關淳一氏の祖父の關一(はじめ)元市長が御堂筋建設などの大改造を行い、昭和初期の大阪は東京よりも経済的にも人口量的にも情報的にもあらゆる面で、非常に豊かになりました。
篤:大大阪時代の到来ですね。
夏:そう、モダニズムの香り漂う「大大阪」です。その頃の大阪や新世界が記録されているはずです。具体的な時代としては、昭和天皇が即位した1928年(昭和3)前後から日中戦争が激しくなってきた1937年(昭和12)の奢侈禁止令が発令されるまでの約10年間がポインドになると思います。
篤:へぇー、もしその映像が見つかったならば、かなり貴重な資料になりますね。
夏:インタビュー前半にもお話したように、日本の9.5mmフィルムは現像方法の都合上ネガがなくて、ポジ1本しかありません。世界に1本しか存在しない大阪や新世界の映像を集めることができたなら、資料として大変貴重になります。
篤:最近のお仕事の1つとして、錦影絵の修復をされているそうですね。
夏:はい、やっています。上方の伝統芸能である錦影絵文化を継承するということで、桂米朝師匠が所蔵している錦影絵の修復作業を、文化庁がプロジェクト化しました。米朝師匠が若かりし頃に、桂南天師匠から受け継いだ種板です。オリジナルしかありませんし、かなり傷んできているのでそれを修復しコピーを作ってオリジナルを保存する予定です。
篤:1つ1つの小さなアクションでも、それが継続されれば将来的にはとても大きな財産になりえますね。
夏:そうですね。米朝師匠の錦影絵の修復がきっかけで錦影絵の修復作業が活発になれば、全国の博物館に所蔵されている膨大な数の種板の保存にもつながります。ただ、写し絵や錦影絵の種板は、何枚ものガラス板を重ねていますから非常に複雑なメカニズムです。ですので、上演技術的なことや伝統芸能の歴史や地方の時代背景を踏まえた作業が必要で、これはとてもじゃありませんが1人ではできない作業です。各方面に明るい方を結集してチームを組むことで前進するのです。
篤:時間と労力がかかる大変なお仕事ですね。
夏:時間をかけながらメンバーと力を合わせてじっくりと進んでいけばよいと思っています。
夏:大阪歴史博物館に錦影絵の風呂(幻燈機)と種板(大森貴之進氏寄贈、富士川都正使用、曾我廼家五郎旧蔵)が収蔵されています。その中に『道化獅子買』と題された上方落語『池田の猪買い』の錦影絵があります。
篤:冷え性で困っている男が、養生のため新鮮な猪の肉を買いに大阪の丼池から池田(池田市)まで行くという旅ネタと呼ばれている噺ですね。
夏:そうです。2003年度大阪芸術大学芸術研究所「玩具映画復元プロジェクト」でその種板を調査しました。プロジェクトの当初から典型的な落語ネタの錦影絵を復元するつもりだったので、多数の種板のリストの中から『道化獅子買』のタイトルを見た時に、これは上方落語の有名な噺『池田の猪買い』を原作にして作られたものだと直感しました。収蔵庫から種板を出して頂くと案の定そうだったので、復元プロジェクトにご協力いただいている「劇団みんわ座」の山形文雄・田中祐子両氏に撮影していただき、後に復元していただいた風呂(幻燈機)と種板は大阪芸術大学博物館に現在所蔵されています。
篤:原作が上方落語ネタ『池田の猪買い』で、それを元に錦影絵『道化獅子買』が作られたわけですね。その『道化獅子買』の錦影絵が作られたのはいつ頃だったんですか?
夏:その種板の中に、「心斎橋派出所」と書かれた看板のある平屋の建物と、鉄骨組の橋の絵が登場します。江戸時代の番所制から明治に入って派出所制度が確立された時期と、心斎橋が鉄橋になった時期を割り出すことで種板の制作年代が明らかになります。

「心斎橋派出所」と書かれた看板のある平屋の建物 →
所蔵:大阪歴史博物館 撮影:山形文雄・田中祐子 再撮影:仲川あい

鉄骨組の橋の絵 →
所蔵:大阪歴史博物館 撮影:山形文雄・田中祐子 再撮影:仲川あい

篤:なるほど、そうやって調べるんですね。たしかに明治時代初期と言えば富士川都正という芸人が登場したり、上方に多くの常打ち小屋が置かれたりするなど錦影絵文化の隆盛期だったとインタビュー前半で伺いましたので、その時期にコンテンツが作られたと考えるとかなりの整合性が得られます。
夏:その時に面白いエピソードがあったんですが、その推理が正しいかどうかの確認のために心斎橋付近に聞き取りに行ったんです。昔から心斎橋にある大きな古書店のご主人に派出所と橋の種板を見せると、「この鉄骨の組み方は心斎橋に間違いありません!」とおっしゃるんですね(笑)。
篤:確信を持っておっしゃったんですね(笑)。
夏:そうなんですよ。鉄橋の心斎橋は明治6(1873)年にできていますから、もちろんご主人はその当時生まれていません。それにも拘わらず鉄骨の組み方を見て、今見てきたようにおっしゃるのを聞いて思わず笑ってしまった。おそらく先代、先々代から聞かれたのを記憶されていたか、昔の錦絵や写真をご覧だったのだと思うんです。
篤:地域の歴史がきちんと後世に継承されているんですね。地域の共同の記憶が脈々と受け継がれるには地域の方々のビジョンもポイントになりますね。
夏:そうでしょうね。地域の歴史は、最終的には地域の人間じゃないとわかりません。いくら錦影絵の知識があっても、とてもじゃないけれど地場の人間には敵わない(笑)。人間の記憶の継承の凄まじさを感じました。
篤:たった一枚のガラススライドの絵から、100年以上も前の地域の歴史が記憶として立ち上がったわけですね。

篤:remoでも個人による記録の収集・公開・保存・利用を目的にアーカイブプロジェクト、AHA!(アハ!)[Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]という活動をしていて、特に個人による記録物というジャンルの中でも劣化・消滅・散逸の危機にある8mmフィルムというメディアの収集・公開・保存・利用に注力しています。
昨年の12月に、remoの活動拠点である新世界周辺が記録されている昔の8mmフィルムを地域の皆さんからお借りして鑑賞会を行いました。夏祭りに街を練り歩いてはめをはずした武勇伝を活き活きと語り出すおじいちゃん、生まれたての孫の湯浴みのエピソードの記憶の糸をゆっくりとたどるおばあちゃん、幼い頃の遊び場の思い出を朧げながらつぶやき、はっと我に返っては照れ笑いするお父さん、など、スクリーンに映っている映像のエピソードのみならず、それ以外の昔のエピソードにまで記憶がよび起こされたようで、結果的には来場していただいた地域の皆さんや地域の皆さんだけでない方々にも各々思い思いに楽しんでいただけたような気がします。

新世界周辺が記録されている昔の8mmフィルムを地域の皆さんからお借りして鑑賞会を行いました。 →
第3回 大阪・アート・カレイドスコープ “do art yourself” AHA! 鑑賞会*新世界特集
2005年10月から収集活動を開始し、同年12月に鑑賞会を行うまでに、29本/のべ記録時間約9時間40分ものフィルムが集まりました。その中から当日鑑賞したプログラムは、7本/のべ72分(2本/モノクロ、5本/カラー その内1本は音声あり)、昭和33年〜平成2年にかけての新世界地域周辺の様子が伺える映像ばかりでした。
主催:大阪府立現代美術センター 撮影:仲川あい


夏:そういう意味で人間の再構成能力はすごいですね。劣化したフィルムに映像のほんの5%しか映っていなくても、何が映っているかが鮮明にその人の頭の中に立ち上がってくる。それは、自分の記憶の琴線に触れれば触れる程、その効果は弾みと勢いを加速させて現れてくるのでしょう。
篤:そうでしょうね。鑑賞会を終えて1つ気づいたことは、人間の記憶というものは、往々にして頭の隅にしまい込まれがちでそのまま横たわったまま眠り続け、ややもすると忘却のかなたに埋もれるのを静かに待っているような印象すらあります。しかし、時にはいともたやすく、はからずも溢れ出てくるものだということです。しかも、何故かその記憶を思い出した時の人間の表情は、まるで「宝石箱」を見つけたかのような「あはっ!」という驚きと懐かしみに溢れています。
夏:思い出した瞬間、ついつい口に出してしまう行動様式(観念→表出化)は人類共通なのかもしれませんね。その他にも「ああ、この場所こんな風やったんや!」みたいな発見もあります。地域の歴史を個人の映像資料で振り返るという点では、さきほど言ったかつての大阪や新世界周辺の映像も併せて観ることができると一層深みが出ますね。
篤:そうですね、個人の記録物からうかがえる地域の歴史という切り口はとても重要です。
一方で、8mmフィルムに関してもう1つ考えなければいけないのが、家族を記録するための映像メディアとして非常に貢献したにも拘わらず、そのほとんどが次世代の家族に継承されず家屋のどこかに眠っているという現状です。どうにかして次世代の家族にもきちんとそのメディアを継承できないかな、と試行錯誤しています。現段階としては、8mmフィルムは現存しているけれども映写環境のない家庭には、映写技師と映写機を自宅に持ち込んで上映する出張上映会を行っています。また、現在の家庭環境でも鑑賞できるようにDVD化サービスも徐々に行う予定です。

夏:おばあちゃんを目の前に、「あぁ!40年前の若い頃のおばあちゃんや!」みたいな(笑)。
篤:そうです、そうです。家族の何十年も前の記録映像を、現在の家族があらためて数時間で振り返る、というか振り返ることができてしまうわけです。過去と現在、さらには現在と未来が映像によってつながります。
夏:家族の方々にすると自分のルーツを知ることになります。写している当事者も、写されている被写体や対象も、その関係性の文脈から映像だけを切り離して考えずに、そこに生身の人間が関わってくることがすごく大事なことだと思います。
篤:家族にとってかけがえのない行為を目の前に、第三者が同じ空間に存在するという感覚が不思議というか、何とも形容しがたい状態です。
夏:非常にダイナミックな醍醐味ですね。当事者の家族にとっては、どんなテレビ番組や映画よりも面白い唯一無二のエンターテイメントになるのかもしれません。
篤:現在試行錯誤している段階です。最終的には世代や地域を超えたコミュニケーションが誘発されるような仕組みを提示できれば、と思っています。
今日は長時間に渡ってお話を伺うことができ、最後にはAHA!のことまで聞いていただいて恐縮です。ありがとうございました。

夏:こちらこそ、ありがとうございました。昔の新世界が映っている9.5mmフィルム、私もぜひ観たいです。頑張って見つけてくださいね(笑)。


 (インタビュー後半終わり)
於 松本夏樹氏自宅

松本夏樹氏を構成する2つのアンビバレントな要素。1つは、版画などのビジュアルイメージからその意図や意識、精神を読み解くというインテリジェンシー。一方、身体的触手でもって映像をつかもうとする姿勢。そんな氏の脳と身体だからこそ、映画史の影に隠れた「もう1つの映像コミュニケーションの系譜」に注目され、映像に対峙する身体性の回復を謳われるのは必然です。テクノロジーの進歩によって、ますます身体と乖離する映像文化に警鐘を鳴らしながら、悦楽と高揚感を伴った氏の映像への未知なる冒険はこれからも続きます。
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【ビックバン所蔵おもちゃコレクション展示『映像のおもちゃ』展】
映画、テレビは今や大きな娯楽です。映像を利用した楽しみは、色つきの影絵を動かして見せる写し絵など江戸時代から人気があり、おもちゃフィルムや幻燈など、たくさんおもちゃ化もされてきました。実際に光とレンズを利用した立派な玩具や、それらしく見せたユニークなおもちゃなどいろいろ紹介します。
日時:2/4(土)〜3/31(金)
会場:大阪府立大型児童館ビッグバンビッグバン4F「おもちゃタイムカプセル」

【特別ワークショップ『紙フィルム(マンガ・映画)上映会』展】
昭和初期(1930年代)、紙のフィルムに印刷したものを映す映画が日本で出ました。家庭用のちょっと ぜいたくな玩具で、内容はマンガが多くありました。白黒映画の時代にフルカラーのマンガを映すことができました。今は全く見かけない「紙製フィルム」のマンガを昭和初期当時の映写機を使って上映します。
日時:3/5(日)、3/12(日)、3/19(日)、3/26(日)  (1)11:30〜12:00  (2)14:00〜14:30
会場:大阪府立大型児童館ビッグバン4F昭和30年代の街並み「風呂屋さん」内
主催・問い合わせ先:大阪府立大型児童館ビッグバン 072-294-0999
詳細はhttp://www.bigbang-osaka.or.jp/

【アニメの元祖「江戸の写し絵・上方の錦影絵」〜復元の種板をお披露目〜】
江戸の分かれから遥かな時空を経て 今二百年を超えての合同公演
「錦影絵は天保の頃、江戸写し絵師富士川都正が大坂で拡めたのが始まりと云われ、千日前の奥田席、道頓堀弁天座横の長濱席などで夏の催しとして演じられた。時は明治に移り、後世の富士川都正一座の常打ち小屋として有名な船場御霊神社境内の尾野席をはじめ、清水谷の岡の席、谷町の末之席、また瓊の浦西海一座などが上方の人気を博した。活動写真隆盛に押された錦影絵だが、京都の歌川都司春師から桂南天師へ、そして桂米朝一門へと今日まで継承されている。松本夏樹」チラシより引用
日時:3/11(土) 開演18:30〜 3/12(日) 開演13:00〜
会場:東京芸術劇場小ホール2 
主催・問い合わせ:劇団みんわ座(03-3710-1061)、米朝事務所(03-3412-2585)
協賛:文化庁メディア芸術祭協賛事業
詳細はhttp://www.geigeki.jp/

【 6TOWNシアターOPENING カイロプティック商會の「手廻し活動写真館」】
大正・昭和初期に作られた手動式の映写機をカタカタまわして、チャンバラからアニメまで、大正・昭和の貴重なフィルムを連続上映!活動弁士と映写技師を兼ねるといったユニークなスタイルで、美術館からお寺まで、場所を問わず上映をおこなう小崎泰嗣による、迫力・ユーモア満点の活動写真が西元町にやって来る!!
日時:3/25(土)  (1)14:30〜(20分) (2)16:00〜(20分)
会場:6TOWNシアター(神戸高速鉄道 西元町駅西口改札出てすぐ)
主催・お問い合わせ: NPO法人リ・フォープ(078-366-0536)
詳細はhttp://www.riwfoap.com/
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