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僕はねえ…母親によりますとね、物心ついたころから、かまぼこの板とカナヅチと釘とノコギリ渡してたら、もうあんたはすごく大人しくしてたよって。一日中大人しくなんかコトコトコトコト作ってたよって。ほんで、すごく育てやすいというか、よそで喧嘩してくるというかいたずらしてくるとかそんなこともなくてね、もうそれだけ渡してたら静かに工作しててね。やりやすい子どもやった…いうことなんですけどね。
観音器機(音を観る)1988年
家庭用電灯線100ボルトの波の形(音)が見える。
電源コンセントには関西ではプラスとマイナスの変化を
1秒間に60回繰り返す60Hzの交流電流が送られている。
これをスピーカーに送ると60Hzの音として再生される。
音も電気も波=振動であり糸の振幅もこの運動を変換したもの。
「観音器機」は媒体を変遷して電気/音を観る事を可能にする。

学校で一時間目の授業受けて、それでずっと時間が経っていくと二時間目を受ける。ね、そうするとね。時間というのはずっと一方通行に流れてて、すごい変やなぁって思ったんです。不思議やなあと思って。

時間というものをね、ずっとさかのぼっていくとね、ずーっと気の遠くなるほどの昔にはね、時間の始まった点があるんかなって思うんですよね。そしたらね、もし時間が始まった点があったとしたら、それより前は一体なにがあったんやとか思うわけですよ。ほいでね、時間が始まった点があったということは、もしあったとしたら、それ以前は時間がなかったんやね。時間がなかったとしたら、時間がないのに空間があるわけがないと、世界があるわけないと思ったわけだ。
メビウスの音(ステレオ型)1999年
ステンレスボウルの中に入って、ハイスピードで向かってくる金属球を
想像してみる。走り過ぎる救急車のサイレンの音程が変化するように、
金属球の転がる音をドップラー効果として体験できる。
また、両耳で聴くことによって、ステレオ効果も楽しむことができる。

我慢が出来なくなるまで、目を閉じて、それで突然にすうっと静かに目を開けると、一瞬、世界が違って見えるということ、見つけたんですね。あれ、この感覚はなんやろう、思って、おもしろいんでねすごく、見慣れた世界が新鮮に見えるんで、あんまりおもしろいんでよくやってたんです。(笑)

散髪屋さんがあって、そこはまあ家族ぐるみでつきあってて、すごく好意にしてくれてたんですけど。そこに当時の電蓄っていうんですけど、電気式の蓄音器が置いてあって、それはもう子どもの背丈くらいあったんですけれど。そこに行って、それで踏み台の上に乗ってね、SPレコードがね、グルグルグルグル回ってるんですよね。それをね、よくのぞき込んだりして。母親が全部面倒みてくれるくらいの、幼児のころなんですけれど…ずっと自分が昼寝してたんですよね。それで、うたた寝みたいな感じで、すごくいい気持ちのときに、遠くからその音楽が聞こえてくるんです。それが周囲の生活音と一緒にね、聞こえてくるんですね。その「oh, My papa」という曲は、さっき言った散髪屋のね、電蓄の音なんですよね。その音楽が遠くからノイズとともにね、聞こえてくるっていうのが、すごく気持ちがいい。それがね、たぶん…いま自分がやってることに関連してると思うんですね。
ハウリング(スプリング)1988年
マイクとスピーカーの間で音がループして増幅することでノイズが起きる。
スプリングや板バネをコントロールのための媒体にしたハウリングの演奏。

小学校のね、五年生ぐらいだったと思うんですけれど。父親がゲルマニウムラジオを買って来てくれたんです。それがね、あれは電気がなくても聞こえるでしょ。電波の力だけで聞こえてるんですけどね、それがすーごく不思議で、もう、ゲルマニウム片時も離さないくらい好きになってしまって、それ、その不思議さね。電気がなくても聞こえるラジオっていう不思議さに打たれて、それでもうそっからラジオ少年になっていくんです。
9台のラジオによるにせテルミン 1996年
ラジオのビート発振を干渉させて発音し、ラジオの配置を換えたり
手をかざしたりしてノイズをコントロールする。

中学校入ってから、自分でラジオを組み立てるんですけどね。かまぼこ板の上に、日本橋で買ってきたラジオのパーツを並べてね、ずーっと並べて、組み立てていくんですよね。最初にサンキョウラジオを作って、それから、それを改良していくんですね、改造していって短波ラジオを作る。それで、短波聴いてたんですよ、そしたらほんとに遠い遠い国から聞こえてくるんですよね。それでね、いろんなノイズ、ノイズ混じりに聞こえてくるんですね。それでね、そのセイジングっていうんですけれども、音が大きくなったり小さくなったりするんですけれど、それはね地球の周りに、電離層っていうイオンが、粒子があって、その粒子が、上下してるんですね。そうすることによってね、音が大きくなったり小さくなったり聞こえてるんですよね。ホイッスラー現象っていってヒューヒューって音が入った時点で、うわーこれは太陽から飛んできた粒子が、あの地磁気をバイオリンの弦みたいにこすってる音やって思ったら、すごい感動的で。宇宙的なね、感じがして、これがやっぱりねぇ、ノイズ混じりの音ゆう意味でね、いまのやってること、いま自分がやってることとつながってくる。
携帯カミナリ発生器 1999年
チャッカマンの圧電素子を利用し、電球の中で雷を発生させる。
ボタンを押すと2000ボルト位の電圧が発生する。

1992年に会社辞めて、それでバーを始めたんですよね。そしたらそのバーに酒好きのアーティストの人がたくさん出入りするようになって、具体美術協会のメンバーであった村上三郎さんという美術家の人がいてて。まだそのころは存命だったんですけどね。その人が呑みに来まして、それですごく気に入ってくれてね、私のバーを。そのとき、いろんな質問したんですね。美術、哲学ですね。それでね、あの人はね時間とかね、そういうことについて、いろいろ教えてくれはったんですけどね、だんだん、だんだん自分のやることがわかってきたんですよね。自分は何をしようとしているか、というのがわかってきて、それで、いまの活動につながってるんですけど、そのはっきりしてる、してきたっていうのは、まあ45歳くらいなんで。(笑)
ラジオ風鈴 2002年
スピーカーは磁石を固定し、隣接したコイルに
音声電流を流すことによって、コイルを振動させ音に変換している。
この作品では逆にコイルを固定して磁石を動かす。
フラスコの中にぶら下がっている磁石、
下の台の中にコイルがセットされている。
ラジオは方向によって受信感度が変わるので、
回転させることによって音/動きが変化する。

学問というのは、説明が出来るようにするんですよね。美とはこういうものであるとか、心理とはこういうものであるとかいうことを説明出来るようにするんですよね。そのね、説明した途端に、それに限定されてしまうんですね。私はこうだとかね、人間はこう生きるべきだとか美とはこういうものであるかと、それを決めるとそれに限定されてしまうんで、ところが、そう…限定されてしまうからね、あの…無限、無限性っていうか永遠性っていうか、そういうものを取り逃がしてしまうということなんです。だから学問というものの限界がそこにあるんです。あの村上三郎さんから教えてもらったようなことを、自分の中で消化するとそういう感じになるんですけど…。
光の風鈴 1998年
懐中電灯のフィラメントの振動を、光で太陽電池に伝達し
電位変化として捉え、更に音に変換する。

「わかった」ということをたたきつぶす、それが禅やと自分は考えてるんですけど。どうして、たたきつぶさないかん、だめかというと、やっぱりその限定、「わかった」ということによって限定されてしまっては、永遠性を取り逃すから。だから、それをどけるんですよね、そうすると、それ…ノイズなんですよ。生きてるということ自体がノイズであって、ノイズであるということが逆に無限の豊かさをもっていると。
掃除機の音楽 2002年
長さの違う複数のドレイン・パイプを束ね、
掃除機で空気を吸うことによって音を出す。
カルマン渦による様々なピッチの音が聴こえる。
取材:2005年1月9日@カフェブリッヂ
取材協力:
下田展久、加藤文崇(コネクタテレビ)
梅田哲也(カフェブリッヂ/NPO法人 ビヨンドイノセンス)
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