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「つまり、これまで民族学博物館でどこかの国を紹介するなら、まずその国をどう表現しようかと考えてきた。同時期にソウルで開催されていた『日本展』などはその典型で、歌舞伎や相撲や京都の町家などを紹介している。一部に考現学的な研究として、渋谷を歩いているコギャルの服一式や、サラリーマンの一日を追った記録なども展示していますが、それも『日本という国をどう表現するか』というコンセプトが前提になっているんです。でもね、今、京都の町家に住んでいる人ってほとんどいないでしょう。僕を含めて、サラリーマンではない人もいっぱいいる。これが『日本だ!』と出されたものも確かに日本なんだけれど、そこに僕の居場所はない」

----私も町家に住んでないし、歌舞伎も1回しか見たことないし、サラリーマンでもコギャルでもないです。

「そうでしょ。『日本』を前提にすると、どんどんそこからこぼれていく人がいる。現代では、ひとつの文化をみんなが背負っているということはありえない。誰もが特殊で、誰もが個性的な生活を営んでいる。平均的な日本人像はありえないんです。韓国でもそう。では、それをどうやって展示で表現していくか」

----うーん、難しい…。

「だから、『韓国展』ではなく、『ソウルスタイル』であり、『李さん一家の素顔の暮らし』なんです。『韓国』ではなく、『李さん一家』を知ってもらう展覧会。李さん一家は国を表現するための影絵ではなく、李さん一家そのものが実体なんだと考えることから出発したんです。李さん一家が、韓国社会の中でどんな階層なのか、どんな位置づけにあるのか、という質問も封じている。もちろん李さんは韓国のソウルに住んでいますから、李さんを通して、その背後に韓国が見えることもあるかもしれない。でも、それは結果にすぎない。そんな“思想”で、この展覧会は出来ているんです」
 なるほど『ソウルスタイル』の魅力、リアリティ、生々しさは、この佐藤さんの“思想”から生まれてきたんだ。それにしても、定型的なやり方を崩すことをためらわない“思想”はどこで育まれたのだろう? 今度は『ソウルスタイル』展の実行委員ではなく、人類学者、佐藤浩司によりピントを合わしてみよう。

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