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清水 現代美術の分野ではね、若い人は多いですよ。東京に限っていえば多いと言えますね。観客も潜在的には多いと思うんですけど。ただ現代美術は、自分で考える力をつくる、自分で楽しむという力をつくるというところで非常に重要ですね。そういうところに若い人たちが来なくなったら、まずいんじゃないですかね。まだまだ需要はあると思いますがね。

景山 大阪のほうでも、確かに現代美術の展覧会などに若い人たちは行っているようには思います。でも多いと言えるかどうか。それとね、観客の問題点として、口コミが広がらないような側面も感じられるんですね。なんか、「面白いから見に行けば」ってすすめるんじゃなくて、黙っている。自分さえ見られたらもういいんで、逆に人には言いたくなくて、大衆化するのが嫌だというところとか。

清水 それは現代美術の古い影を背負ってるんじゃないですか(笑)。70〜80年代までは現代美術というのは孤高で、非常に難しいけれどもより意義があるものなんだという態度だったと思いますが、80年代終わりから90年代になってきて、現代美術自身がすごく変わってきてるんですよね。端的に言えば、日本の場合は伝統的に大衆文化が強いので、それと結びついた形で現れたりしてるわけですけれども。パブリック・アートとか、いろいろな形で日常の中に入り込むようになってきていて、必ずしも難解なものでなく、もっと楽しめるものだと。そこらへんをターゲットとして、うまく絞ればいいと思うんですね。それは何故かというと、今の若い人が求めているからで、求めているものをうまくアーティストが創り出すことができれば、非常に面白い結果が出ると思いますね。自我の概念だけでやってると時代と合わなくなりますね。

景山 僕たちもどう作品を観客に伝えていくか、毎回試行錯誤を重ねているみたいなところがあるんですね。展覧会もいろんなところで開かれているわけですが、どう一般の方に伝えて見に来ていただくか、そのへんでご苦労されていると思うんですが。

清水 大阪のいろんなギャラリーは、横のネットワークってあるんじゃないですか。

景山 そうですね。ギャラリー同士だとありますね。

清水 確かに、どうやって情報を出していくかは難しいですね。僕も大阪の様子はね、まだあまりよく分らないですけどね。なにか大阪から発してるという動きはありますか?

景山 それが、大阪発ってすごく弱いんですよ。映画でいうと、たとえばあの『どついたるねん』(1989年/阪本順治監督)なんか、最初に大阪でドーム劇場を造って上映したんですけど、さっぱり入らなかったんです。

清水 そうなんですか。

景山 あれは東京で大ヒットして、それが戻ってきて、もう一回やったら今度は入ったんです。大阪の人たちはどうも自前のモノを最初は信用しないところがあるみたいで。かつて東京もそうだったですよね、ニューヨークとかのフィルターを通して発見していくとか。なんか舶来信仰みたいなものがまだまだ残っているようで。どうやったらそれを取っ払えるんでしょうか?

清水 自分のところの情報発信量でしょうかね。本当はね、1980〜90年代の日本のいいアーティストたちは、関西からずいぶん出ているし、今も出続けているんですね。ただし、マーケット的には東京がマーケットになっています。大阪には、それを支える人たちがあまりいない。支える人たちがお金を出して作品を買ったり、サポートするということがない。つまり、マーケットがないというのが一番じゃないかな。現代美術でも東京にはたくさんコレクターがいますが、大阪にはあまりいないと聞きますし、みんなが東京で売るようになると、東京がほとんど情報発信するようになってしまって、さらにその上がニューヨークで、世界中からコレクターやミュージアムキュレーターがやってきて、そこで情報のやりとりをするってことで、それは買うってことですよね。大阪の人たちが大阪で買うようにしないと、つまりコレクターが出てこないと、情報発信が弱くなっちゃうんですね。

景山 大阪はかつて谷町の旦那衆の強かった土地柄で、堺では自由貿易などで情報発信していたんですが、今じゃ情報発信はほとんど東京からという形になってしまって、残念ながら大阪は大きな田舎になってしまってますね。

清水 危機感を感じられてるんですか、大阪の文化関係者は。

景山 行政も含めて、逆に不況の時代だから、今こそチャンスだと思っている人たちもいるんですよ。文化をビジネスとして考えることは必ずしも悪いことじゃなくて、産業としてもう一度再興させていきたいと考える人たちは多いんですね。大阪市の場合、「文化集客部」といって、文化でお客さんを集めて潤い、賑やかな街にしていこうというコンセプトがあるんです。いまは試行錯誤中といったところでしょうか。現代アートをもうちょっと根付かせるために、サポートする行政側はどんなことをすればいいんでしょうか。

清水 僕は水戸芸術館で仕事をしたことがあるんですが、行政主導で水戸に文化を発信する場所をつくって、スタッフを集めて、自由に活動させる。そういうところから新しいものが生まれてくると思うんですよね。大阪でも行政がそういう施設を造って、世界中から人材を集めてきて好きにいろんなことをさせることが、重要なことじゃないかな。短期的には赤字でも、長期的には利益につながってくると思います。それぐらい長くて広い視野を持たないと面白いことはできてこないですね。すぐ商品化しようと思っても、すぐには跳ね返ってこないから、なかなか民間ではできないんですね。企業は、毎期ごとに利益を上げないとやっていけないですから。資生堂など例外的に、長い文化支援の伝統がある企業もありますが、やはり行政のやる仕事だと思います。

景山 文化庁が今、映画事業に積極的になろうとしているんですね。映画製作への支援、すぐれた映画の鑑賞への支援、プロデューサーなどの人材育成への支援などですが、僕たちも大いに期待しながら注目しているところです。

清水 確かに今までは美術館など造るだけで、重要な人材など、つまりソフトをつくるってことをしてこなかった。ソフトを持ってる人を集めたりとか。美術館造るだけじゃなくて、面白いことをする人を呼んでこなければいけない。そして、その人たちの自由にさせるっていう。映画でも同じだと思いますが、面白い人を重点的に支援していかないと、面白い映画は出てこないと思いますね。

景山 不況だからこそ、逆に文化で人々に刺激を与えていかなければならないと思いますね。そうしないと、ますます消費が落ち込んでいくんじゃないかと。ところで、清水さんは今までいろんな仕事をされてきたと思いますが、どんなときが一番嬉しかったですか?

清水 それはね、僕は展覧会などアーティストと組んで仕事をすることが多いんですが、自分が予期した以上にアーティストがいい作品を作ってくれたときですね。さらに、それをお客さんが非常に喜んでくれたときは、それは本当に嬉しいですね。
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