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「水口先生は何故水口先生になれたのだろう?」…時々私は考えてしまう。
水口先生は演出家。歌舞伎はもちろん、舞踊会、声明の会からファッションショー、様々な舞台の演出を手がけられ、上方歌舞伎塾や子供歌舞伎、その他各所で指導をされたり講演されたり、また、年に何回かは、白粉を綺麗に塗って衣装をつけて、そして踊ってらっしゃったりもする。

“歌舞伎はもちろん”…そう一言で言っても、歌舞伎は演技のプロの役者さんはじめ、狂言方さん、大道具さん、衣裳さん、鬘さん、小道具さん、また歌舞伎の音楽にも色々あって、義太夫、清元、常磐津などなど、とにかく大勢のプロの人達が関わりながら舞台を作り上げています。だからこそ総合芸術と評されるのですが、大看板の揃う南座の顔見世などでは、役者も含めると400人程の関係者が舞台作りのためにいたりします。
江戸庶民が喜んだものは、あれもこれもと吸収して、それぞれのプロの先人達が工夫と努力を400年も重ねて今も発展している歌舞伎ですから、その演出をするということは、そうした総合的な知識がなくては出来ません。

日常的な暮らしが和から遠くなり、若い歌舞伎役者さん達が、昔は当たり前だった立ち居振る舞いから身につけるのに苦労されている昨今、先生はどうしてそんなに色々知ってらっしゃるのか?そして、歌舞伎が生まれた江戸時代からどんどん遠くなるこれから、先生のような人は次も登場してくるのか?・・・そんなことを考えてしまうのです。
歌舞伎が歌舞伎であり続けるためには、観客も、役者も、作り手も、色んな役目を担う人達が次代に続いていかないといけません。
「水口先生は何故水口先生になれたのか?」を知りたいと思いました。