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楽しむための音楽についてどう思いますか。

それは必要だと思います。海外で演奏して思のですが、こういった音楽は、裕福で比較的安定した国からしか出てこない事を感じました。おそらく、感覚的に裕福すぎることからバランスを保とうとして、逆に恐怖感を味わおうとしているのかも知れません。ジェットコースターと同じ感じでしょうか。戦争が起こっている国でジェットコースターを楽しむ人はいないような気がします。つまり、その個人にとって欠けているところを補ってバランスを保とうとしている。僕の音楽はある側面、追い詰める感じがあると思うのですが、それ自体を味わうということです。僕はそういった種類の音楽を提供しているだけで、ただ楽しむためだけの音楽はそれはそれであればいいし、聞き手の選択の問題だと思います。

恐怖とか楽しむとか反応についてお話されていたのですが、なんらかの「リアリティ」が重要なのでしょうか?

そうですね。僕のやりたいことは、一般的なことかも知れないですが無意識部分の認識です。最初にあったところに帰るという。記憶にはない分、一番不安材料になる部分です。実際、音として使用しているサウンドも、胎内音とか肉圧のフィルタや血液の音を混ぜたり、外で流れている音を、胎内で聴いていたときの周波数帯域にしてみたりもします。自分のための音楽なので、作品の素材として自分が小さいときに聴いていたポップスソング200曲を1万回ほど上重ねして、引き伸ばした素材を使用したりする事もあります。それは気づかせるためにやっているわけではありません。自分にとっての無意識の部分に影響を及ぼすことが目的です。うまく説明できませんが、恐怖感はあるけど知りたいというぎりぎりの線。バンジ−ジャンプのような感じかもしれない。ぎりぎりのところで快楽を求める、一番やってはいけないことなのかもしれませんが。

音楽以外で重要視しているもの、興味をもっている部分は?

見せる方向として、映像は面白いでしょうけど、僕には少し具体的になりすぎる部分があるし、他の芸術を始めようというのは全くありません。興味があるのは、心理とか感覚とか認知学といったもので、どうなっているかわからなく、解明できそうにない部分です。

報道やプレスなどの評価についてはどう思いますか?

人間なのでそれを読んで影響を与えられたりしますけど、評価と作品の内容とは全く関係がないと考えます。あくまで一個人の意見で、代表ではない。並列された人の一人が、たまたま雑誌に書くことができる機会があってそれが載っているというだけにすぎない。僕は作品を聴いてこう感じてほしいということを求めませんし、ただ提供しているだけです。自分だけのもので置いておいてもいいのですが、全体としてみたときに、相互関係で何かが起こったと聞く事にも興味はあります。でもそれを具体的にどうこうしようという気はなくて、勝手に進めてくれていいと思います。全く分離した場所でつくったものをそこに放り込んでそれを見て楽しむというのはありますが。
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