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<花形能舞台>の人びと〜成田達志
 普段の“たっちゃん”は、穏やかな“いい人”だ。
 昨今、“いい人”というと、あんまり褒めているように聞こえないけれど、たぶん、彼を知るほとんどの人が、「いや、ほんまにええ人なんよ」と口を揃えるだろう。
 私もその一人だ。
 …そんなわけないよなあ。
 舞台であんな鼓を打つ人が、ただ“いい人”だけなはずがない。


改めて聞くのもなんですが、成田さんちって、もともと能とは関係あるお家ですか?

成田「いや、ぜんぜん関係ないんです」

弟の有辞(ゆうじ)さんも囃子方でしょう?そんなら、なんで、お二人とも能の世界に入らはったん?

成田「(笑)せやろ?僕の母方の祖母と曽祖母が、能が好きでね。戦前、朝鮮で造り酒屋をやっていて、結構羽振りがよかったのよ。その時に、朝鮮に渡って来られた幸信吉先生のスポンサーやったみたいやねん。家がお稽古場で。まあ、小鼓を趣味で習ってたんやね。で、戦後、こっちへ引き揚げてきてからは、祖母は、曽和先生に習ってたんやけどね。だから、うちと能の関係は、ただそれだけ」

お兄ちゃんのほうが、幸流の小鼓っていうのは、それでなんとなくわかるんやけど、弟さんはなぜ大鼓方に?

成田「(笑)これ、僕がなんで玄人(くろうと=プロ)になったかっていうとこから話をしないといけないんだけど…、僕の家庭は複雑でね」

おっと、それ、ここで言うていいの?

成田「いいよ。うちの父親はね、今、フランス人やねん」

へ?フランス人?今???あっ、それ聞いたことある(笑)。冗談やと思ってた(笑)

成田「(笑)フランスに帰化してるんやけど、文化人類学の学者でね、ま、ちょっと偏固(へんこ=偏屈)やねよ。それで、一夫多妻主義を唱えてはって(笑)」

ひえ〜!成田さんのお父さんとも思えへん!

成田「せやねん(笑)。で、弟が生まれた頃に、その本領を発揮しだしはって(笑)、ちょっと異常な状況だったりしてね、母親が泣いてた記憶があるんやけど。まあ、そんなこんなで、すぐ離婚することになって、僕らは母親に連れられて家を出て、茨木の公営団地に3人で住んでたわけ。それで、母親が一人で働いて僕らを養ってくれてた。だから、僕は、弟を保育所に送り迎えして小学校へ行くっていう生活をしてたんやけどね。夜8時くらいまで母親も帰って来ないから、自由なわけ。せやから、いろいろ“わるさ”をしてね、小学校の3年生くらいかなあ…」

うーん、普通、屈折するわなあ、お兄ちゃんやし、精神的にしんどいよね

成田「うん。そんなんを祖母が見るに見かねて、‘このままやったらとんでもない子どもになる!’言うてね(笑)。‘私が鼓を習ってるから、鼓でも習わせて、私が毎日でも見に来てあげるから’って言うて。小学校5年の時に、最初は弟はまだ無理やったから、僕だけ、金剛さんの舞台曾和正博先生のお稽古場に連れて行かれたわけ」
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