こんにちは。
あれからもうだいぶ時間がすぎたような気がするが、お元気ですか。僕はすっかり花粉にやられ、くしゃみばかりしています。この手紙が届くころにはおさまっていると思うけど、とにかくツライ、このツラさはわからないだろうが……。日本の樹木にはスギも多いし、ヒノキも多いからね。多いといっても、野生じゃないがね。くしゃみしているときって、人間、どうして、何も考えられないだろうかね。どうして考えが中断してしまうんだろうか。くしゃみをする直前の、一瞬ゾゾッとするようなあの感じって、本当にみんなおんなじように感じてるのかな?

何を書くのか、忘れるところだったよ。例の珍しいキノコ舞踊団とgrafのダンス公演について、書くのだった、そういう約束であった。結果からいうと、大成功だったよ。作品として、すばらしかったし、目標観客数もクリアしたしさ。各回、100名(立ち見を含めて満員になる人数)。全6回公演で600名。これが最初からの目標だったんだ。目標を上回る620名の人たちが駆けつけてくれた。

僕、ずっと、会場にいたんだけど、公演が終了して、出口のところとかにいるとね、蛍光灯で明るいから、お客さんの顔がよく見えたわけさ。もちろん、僕はふだん、舞台の仕事をしているのではないから、どのお客さんとも、初めて会った。全然知らない人ばかり。でもね、なんだか初めて会った、という気がしなかった。もうずっと、顔見知りで、これからも仲良しだっていうような、そういった間柄でなくては見ることができないような、すごくリラックスした素敵な笑顔を見ることができてうれしかったよ。

舞台を見に行くと、アンケートって渡されるだろう? 僕も何度か書いたりしたことあるのだけど、「誰が読むのかな。劇場の人たちも読むのかな」とか思ってた。まあ、それくらい、僕って芝居に関して無知だったわけさ。
それでね、今回、自分で、公演作りの内部に入り込んでみて、その謎が解けた。その日ごとに、キノコの人たち、読んでたよ。もちろん、grafも。graf豊嶋さんはアンケートをとることじたい、初体験で、「ええなー」と嬉しそうに読んでたよ。
僕らスタッフも読んだ。ホント、たくさんの人がたくさんの文字や絵で、感想を表現してくれてた。きみにも見せたいくらい。

公演はキノコたちが、ドアを開けて入って来るところから始まる。それで、ドアを閉めて出て行って、終わる。幕が上がったわけでもないし、ソデに引っ込んだわけでもなく、自分たちでノブをひねってドアを開け、踊って、そして出て行った。とても具体的な行為だった。比喩でなく、本当に会場のドアを開けて入って来て、ドアからまた出て行ったんだ。
ダンスもまた具体的な行為に見えた。いや、とりたてて、日常の動きに似ていたんじゃない。そうではなくて、むしろかつて以上に、彼女たちの動きは、ダンス、にしか見えないものだって、思った。
僕さ、好きなシーンがひとつあってさ、音楽に合わせて、腰をひねって前後に動きながら、手のひらを開いたまま耳元を隠すまで深く腕を折り曲げ、そのままチョップするみたいに(ただし、勢いよくでなく、かといって、ダラッでもなくて)伸ばす、それを左の手と右の手、交互にする振りがあって、たがいに相手を挑発するみたいに、ソファ側にいた山田郷美さんと、ベッド側にいた飯田佳代子さんとのあいだで始まって(そのときの表情だって、なんともいえず、素敵な表情なんだ)、しだいに人数が拡大するのだけど、こう書いてもちっとも、いい場面に思えないだろ? 字で書くと、でも、こういうふうにしかならない。「こういうふうにしかならない」って、あきらめるのもシャクだが、あのシーンの素敵さってのは再現できないなあ。つまり、言葉で書き表すことができないほど(文字で書こうとすると別のものになってしまうほど)、それは、ダンス、としか、呼べないものだったというわけさ。

grafが作った環境も、ソファがあり、ベッドがあり、テーブルがあり、照明があり、窓がある、とても具体的なものだった。最後、整然と並んでいた家具はキノコたちによって、アッという間に散らかってしまう。
ドアから彼女たちが出て行った後の光景は、彼女たちが入って来る前の様子とまるで変わってしまう。

「環境」というのはどういうことだって、以前にきみもいっていたな。とても謎めいているがどういうことなのだ、と。まあ、「舞台美術」だっていえば、わかりやすいかもしれないが、それだけじゃない。grafの会場は通常の劇場じゃなくて、ビルのオフィスを改築した場所で、天井も低い。その天井の低さを利用して、可動式の照明を作った。そう、ダンサーたちが自在に照明の位置を変えていくことができるんだ。『こんにちは。』という作品で、照明って、すごく重要な存在なのだけど、それはこの場所(=環境)だから可能になったものだ。
場所に密接だからこそ、会場でのリハーサルは念入りになされる必要がある。しかも、graf作のその可動式の照明は、インテリアの照明で、同時に舞台用の照明もある。この2種類を同時に扱わなくてならない照明担当も含め、当日まで、何日も、深夜まで、案は練り直され、リハーサルは繰り返された(音響も、そう。伊藤さんの細かい指示に的確に対応していた、遅くまで)。
照明担当者、音響担当者、キノコ、graf、たがいが納得できるまで仕事を進めるその場所そのものを提供することが「環境」だったのではないかって思うんだ。

いずれにせよ(いずれにせよ、だなんて、きみの口癖がうつってしまったな)、最後は、見た者の記憶の中にしか、残らない。音も光も、ダンスそのものも、もう消えてなくなってしまった。会場に行っても、もう残ってない。
けれど、逆にいうと(これまた、きみみたいだが)、記憶の中には、残る。すべてがまったく消えてしまうということはない。たとえばさ、こうやって、きみに手紙を書いて、きみがこれをここまで読んできてさ、『こんにちは。』を見ていないきみの頭に、何かが思い浮かんだとしたら、それもまた、作品の一部っていえるかもしれないね。

たしかに、きみはダンスどころではないかもしれない。この公演の3月27、28、29日という日付だけを見たら、まさに戦時下に行われたといえるから。きみの国とは異なり、日本はいたってのんびりしている。色めき立つ、そういう雰囲気もないではないが、それも含めて、きみから見たら、まるで別世界に見えるかもしれない。チラシを配りに歩き回った帰り、駅で買った夕刊に印刷された「開戦期限48時間」の白抜きの、大きな文字を忘れることができない。僕はきみから遠く離れた場所にいて、その手に触れることすらできない。できることといえば、手ではなく、紙を前に、こうして、手紙を書くことくらい。

だが、僕は、きみに怒られるのも覚悟の上で(きみは、怒らないだろうけどね。優しいから)、この時期に、みんなと、キノコや、パブロフや、grafや、logや、スタッフや、来てくださったお客さんと、力をあわせて、いい公演をつくることができたことを、誇りに思う。何ものにもかえがたい、その表情に触れることができたから。何より、力をあわせて、というところに「力」そのものを感じたから。きみの笑顔でないことがつらいのだが。


2003年4月9日

福永信