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失われゆくもの vol.4 “聖域”(2)
 ワールドカップの決勝戦のあった同じ6月に、あるテレビドキュメンタリーが放映された。
 『桂米朝 最後の大舞台〜老いと闘いながら芸の高みを追い求め続ける日々〜』。なにやら壮絶なタイトルがついている。

 上方落語の人間国宝・桂米朝師匠は、大正14年生まれ。今年で満76歳になる。
 数え七十七の喜寿になっても、その高座姿に色気のあること。着物の趣味といい、着こなしといい、まことにすかっとしていて、惚れ惚れするような格好よさだ。
 お酒も煙草も大好きで、酒量はお医者さんから控えるように言われても減らなかった。酒好きに“ちょっとだけ”は通用しないのである。米朝さんの飲みっぷりについては、落語ファンなら誰でも知っていることで、なぜなら、お弟子さんたちが必ずと言ってよいほど、噺の枕(落語の導入部分)で暴露するからだ。「師匠!ええ加減、学生みたいな飲み方するのはやめなはれ!」と、笑いのネタにはしているが、師匠の身体を気遣うお弟子さんたちの本音だろう。この話、決して誇張しているわけではない。実際、“米朝師匠と飲む”ことは、翌日の予定と我が身の体力とも相談せねばならぬ、かなりハードなことであるらしかった。
 と、まあ、ついこの間までこんな調子で、やっとごく最近、ご自分で控えられるようになったとか。それでも、盃の熱燗をクイッと飲み干すスタイルは健在で、量が尋常になったというだけのことかもしれない。

 “最後の大舞台”というのは、今年の4月29日に行なわれた東京歌舞伎座での「桂米朝独演会」のことだ。文字どおり、たくさん人の入る大規模なホール、という意味での大舞台である。
 昨年、米朝師匠は、大きなホールでの独演会をやめると発表した。30年間続いた大阪・サンケイホールでのお正月興行も今年を限りにした。「1,000人以上も集まる場所で演じるのは、気力がもたない」というのだ。大ホールで落語はもう演らないというわけではない。

 大舞台最後の演目として米朝師匠が選んだのは、『百年目』と『一文笛』。後者の『一文笛』は米朝師匠の自作で、最近は江戸の噺家さんが高座にかけていたりもする。一方、『百年目』は、40分はかかるという長講。師匠自身、「最も難しい」と言う上方落語屈指の大ネタだ。

 『百年目』の噺の舞台は、明治時代の大阪は船場の大店(おおだな)。
 お茶屋遊びもしたことのない朴念仁で通っている番頭は、今日も店の者に延々とお説教。ところが、この番頭さん、角をちょいちょいっと曲がると粋なご隠居に大変身。今日も屋形船に芸妓や太鼓持ちを引きつれて花見にくりだしたのだが、見つからないように細心の注意を払っていたつもりが、岸に上がったところで、たまたま花見に来た旦那に出くわしてしまう。番頭が店から逃げ出すかどうか悩んだ末に、旦那が番頭をじっくりと諭していく…。

 こまっしゃくれた丁稚の子ども、芸妓や太鼓持ちなどの人物の演じ分けに加えて、大川に吹く川風、水面にキラキラ映る春の陽射し、ゆったりとした屋形船の速さ、川端に咲き乱れる満開の桜…。まず、これらを描写し、説得力を持たせるだけの確かな技術がなければならない。そして、旦那の懐の深さ、番頭が見せてくれる<おかしみ>を表現しうるのは、演者自身の人間性である。なんとも言えん上等な色気と、人の上に立つ者の大きさも必要だが、なにをやっても嫌味にならない<可愛げ>もなければならない。これらのバランスが、恐ろしく高いレベルでとれているのが、桂米朝の『百年目』なのである。
 『百年目』は、米朝師匠のすごさが一番よく現れている演目、噺家・桂米朝の芸そのものと言えるだろう。

 『桂米朝 最後の大舞台〜老いと闘いながら芸の高みを追い求め続ける日々〜』は、この『百年目』を軸に、歌舞伎座最後の独演会に至るまでの日々を追ってゆく形で作られていた。

(“聖域”(3)につづく)

石淵文榮

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