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あっと驚く楽しさ全開の演出 西尾雅
ご存知のようにクラシック・ルネサンスは、小劇場の若手演出家に近代戯曲を読解、選択させ実際に演出の機会を与えて4期目を迎えるが、昨年末の蟷螂襲に続き、年越しの本作も成果をあげる。数年前始まった頃は、難解な言葉の咀嚼に苦戦も垣間見えたが、昨期のキタモトマサヤ(遊劇体)「紅玉」、池田祐佳理(Ugly duckling)「教科の書」あたりから慣れたきたよう。古典と対峙しても物怖じせず、拮抗して自家薬籠中にする余裕が生じる。蟷螂の場合は感情移入できる藤澤作品との出会いがすべて、ガップリ4つの正攻法で取り組み成功したが、武田は演出の力ワザで勝負に出る。

前編の「天使捕獲」は前半の会話の応酬を、天使の登場でドタバタに転じて可笑しさを誇張する。田舎に引っ込んだ夫婦に都会へ戻り、ひと旗上げようとけしかける旧友。俗を象徴する友人が去った後に理想を諭す天使が出現して、夫婦の不満に火を注ぐ。あたら才能を田舎でくすぶらせ、この伴侶と共に居ていいものかと忸怩たる思いを抱く夫婦に、友人は金儲け話で釣り、天使は農業の尊さや天国の安らぎを説く。俗と理想その誘惑は対照的だが、夫婦の静けさを破り、溝を広げる点は同罪。金儲けの約束も理想の天国も実現のあやうさは同じ。派手な宙吊りで登場する天使に、夫婦が原始的な手段で反攻する。米軍の空襲を竹やりで迎え撃つ無謀(脚本が書かれたのは終戦直後)にならい、箒をかざす。捕まえていっそ見世物にしようというのだ。手が届かぬを承知で振り回す奮闘に夫婦の苛立ちが集約される。

クラシック・ルネサンスのルールでは、原作の台詞を変更することは認められない。逆にいえば、台詞に忠実ならばどんな演出も可能なわけ。その利点を逆手に取り「番町皿屋敷」は江戸の話をフランス宮廷に置き換え、ひとりの人物を4〜5人で演じる奇策で驚かす。旗本播磨を4人、使用人お菊を5人がかりで演じ、2人の純愛悲恋を喜劇に仕立てる。

端から見れば恋とはこっけいなもの。私が大事か家伝の皿が大事か、播磨の本心を試そうと皿をわざと割るお菊、皿を割る粗相は許せるが、疑いは許せぬと首をはねる播磨の見得が、哀れよりも可笑しさを誘う。身分違いの愛を告白する播磨を疑い、嫉妬し、信じようと5人が身もだえする。ひとつではない人の心、いくつもの感情が同時に湧き上がる演出が秀逸。割り台詞でつなげたり、同時に群唱したりの発声の変化や、同じポーズで揃え、輪を組み、あるいは少しずつ動きをズラす集団マイムが笑わせる。カップルの数が合わないのも計算のうち。横並びの9人が隣の異性と仲良くしようとすると必ずひとりが余る。いくら愛し合おうと完璧に一致することはない男女の心を象徴して笑いの底にも苦さがにじむ。

派手なオープニングが、いかにも牛乳ダンスのエンディング(カーテンコールで役者全員が牛乳を飲み、飲み干した者から順に両手を振って舞台から去る)を名物とする劇団らしい。23人もの出演者がシャンシャンを振りながら次々と階段(大階段に比べわずか3〜4段なのが可笑しい)を下り、宝塚をマネてパレードする。小道具のシャンシャンは羽根と並ぶフィナーレのシンボル。本編のさわりを短く演じるのもレビューの原義「振り返り見る」を心得る証明。近代劇を宝塚パロにしてのけるアイディアには感服を通り越し、ただもう笑い転げるだけ。宝塚ではフィナーレの階段をショーのトップに据える度胸に、サービス精神と観客を楽しませる自信がうかがえる。

キーワード
■コメディ ■クラシック・ルネサッス ■レビュー
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