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日本の今どき「三姉妹」 西尾雅
東京に育つも母を亡くし、父の実家である信州の旧家で暮らすことになった三姉妹。今は年老いたお手伝いさんに家事をまかせ、大学に勤める長女とフリーターの三女が住む。嫁いだ次女とその夫もひんぱんに訪ねる。父の法事で集まった姉妹は、農業を志すべく田舎に越して来たかつての同級生と偶然再会する。

「私は正直に生きたいのよ」その台詞を長女(渡辺)は何度も口にする。違う生き方を選んだ妹たちを説得する言葉は、そうした自分を確認し納得させているように聞こえる。けれども、正直に生きて来たはずの自分は果たして幸せだったのか。周りを幸せにしたのか。本当に正直だったと言い切れるのか。姉の問いかけは姉妹間で無限のリフレインを続け、舞台から客席へと広がって行く。

次女(南谷)は、再会した同級生(大鷹)と不倫関係に陥る。かつて憧れた王子様も今はただのおっさん、けれど倦怠期の夫婦関係にあった彼女は有頂天でその彼と過ちを犯す。夫(酒向)はイベント好きのノーテンキな歯科医、不倫相手は都会を捨てた真面目な新米農夫。妻とも別れる決心をした彼はいよいよ本気になるが、次女は2人の男の間で迷う。男というよりは生活というべきか。経済的にも安定し、不自由のない今までの生活を捨てるのか、ひとりの女として生まれ変わり、何もかもやり直すのか。ここには自分の正直を見失ってしまった女がいる。

三女(岡本)は、典型的な今どき娘。何事も三日坊主で、定職にもつかず実家を守る長姉の元に寄生する。ひとりの男と長続きせず男の間を渡り歩き、掛け持ちで付き合う。浮気をバラされても、その男の前で平気でシラを切る。正直なんてものは彼女には初めから存在しない。その瞬間、瞬間で彼女は自分に正直なのかもしれないが、一貫した信条もなく気ままを通す。

正直を振りかざす長女も不倫経験者。大学の同僚(片岡)と恋愛関係にあったが、彼の妻が妊娠して結局別れざるを得なかった苦い過去を持つ。2人の研究テーマがフェミズムなのが実に皮肉。共同研究と称し2人で恋愛の失敗を振り返り、議論するくだりが秀逸。初めてのセックスを反芻し、当時の虚栄をはぎとるシーンに会場から爆笑がわくが、お互いぶつけ合う本音はやがて痛みを伴う。こっけいで哀しい自分たちの裸が観客にも見え始め、つらさを感じれば客席も静まりかえる。

正直と引き換えに長女が手にしたものは愛した男との別れと、妹たちが自分とは違うという認識だけ。愛しながらも男と女は最終的に分かり合えない部分を持つということ、姉妹でありながら世代間の違いは決定的な生き方の差につながることを学ぶ。正直という価値観に捕らわれた自分は進歩派を看板にした守旧派でしかなく、正直を押しつけた次女を惑わし、三女には意味すら理解させられなかったことに気づく。

理論と実践が違うということを身をもって知る。大学でフェミズムを教え、自慰を薦めていた自分が未経験だと告白する。男女平等のはずの学問の世界にも、同僚が教授に出世するという画然とした差別が存在する。次女に専業主婦の労働価値を説き、三女に定職を持てと諭すが、長女が働けるのもお手伝いさんに家事を依存できるからこそ。旧来の雇い主の感覚を引き摺る彼女もまた特権的な現実に甘えている。

他人には教えや説教も出来ようが、自分のことに人はうとい。恋人や妹もしょせん他人、自分とは違う。他人がそれぞれの道を行くのは仕方がない。問題は自分の内にある。頭で考えるとおりには動かない身体。理論を実践できない、いや気づかない自分にある。他人とではなく、既に自分そのものが引き裂かれているのだ。生きるとは分裂した自分を永遠に抱えこむこと。分裂をまるごと引き受け、付き合って行くこと。それが「生きていかなくちゃ」ならない彼女と私たちの義務に他ならない。

キーワード
■再演 ■家族 ■恋愛
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