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彗星がみたかたまりの夢 松岡永子
 コトリ会議、という名前がなんて似合うのだろうと思う。
 パンフレットによると、雑然とした人間の生活を浸ってしまうのではなくちょっと離れてのぞいてみるコトリの視点、ということらしいが、わたしの受けた印象はちょっと違う。小鳥が見ているというよりは小鳥を見ているような気がした。
 感性がやわらかく、言葉の感覚もやわらかい。

 アメリカ人の恋人が浮気したことに腹を立てて飛び乗った飛行機が遭難し、孤島にたどり着いたあじこちゃん。誰もやってこないこの島では、小柄な巨人さん(だから大きさは一般人)が帰ってこない恋人を待ちつづけている。
 …というのは、ある男が作っている物語。彼には大好きな男の恋人がいるのだが、もうすぐ遠くに行ってしまうことになっている。夜、最後のデートをしている思い出の公園に、同僚の女性が現れる。彼女は落とした指輪を探しに来た。けれどほんとうは、指輪を口実に同棲している彼女を追い出して、恋人は他の女の子と過ごしているのだ。彼女はそれも知っていて、それでも恋人のいる部屋に戻るために夜中まで指輪を探しつづけている。

 お話は二つのストーリーがだいたい並行して進む。やがてあじこちゃんは恋人に再会することを決意し日本に向かったりもするのだが、特筆すべきなのは、お話の内容よりもその不思議で新鮮な言語感覚だ。
 物語に出てくる怪獣(?)の名は、ピンクエヒメマッチャいう。ピンクで愛媛で抹茶、らしい。その他にもたくさんの不思議な造語が出てきたが、憶えていない。わたしには憶えられなかった。それは語の繋がりにありきたりな意味の繋がりが見つけられなかったからだ。
 言葉が意味に寄りかからず、繊細で奇妙な響きを立てる。
(この作家は詩か短編小説を書いていないだろうか。あれば読んでみたい)
 会話も奇妙なずれ方、すれ違い方を見せ、思いがけない飛躍をする。直接向きあって気持ちをぶつけあうよりは、さりげなく無視したりはぐらかしたりする、ある種洗練された対話の仕方、他人との関係の持ち方が現代っぽい。

 数十年に一度訪れる彗星の話や、チグリスが河になってからとおく、といった言い回しに、悠久とはかない一瞬の自分といったことがテーマなのかと思う。
 だが、わたしは彼らの言うことが理解できたとは思えない。正確に言うと、この先いつになっても彼らを理解できたという自信は持てないだろうと思った。ここでは他人のことをわかった気になって安心することができない。
 この芝居では、言葉はメッセージを伝えるための道具ではない。

 小鳥のさえずりをおしゃべりとして聞き擬人化してしまっている自分にはっとすることがある。小鳥には小鳥の世界があって、それを自分の世界に当てはめて見るのは、自分の解釈を見ていることにしかならない。他人には他人の世界があって、それは自分のものさしとは違う世界なのだ、ということを思い出させる。そんな不思議な響きのある言葉の世界。

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