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届かない所 松岡永子
 みごとな数式を眺めているような気がする。
 高校生の頃、理系受験生が黒板いっぱい使って入試問題を解くのを眺めていた。完全に文系の頭しかないわたしにはまったく理解できなかったが、なんかすごいなーきれいだなー、と思った。
 その感じに似ている。

 上手奥から下手手前へ斜めに、川が流れるように「足跡」が置かれている。足跡は靴やサンダルなど、バラバラの履き物でできている。
 上手寄りに直線の道。それが空間に映ったように、上部にも道(?)が吊されている。
 舞台あちこちに椅子、ラジカセ。舞台が進むのにしたがって、登場人物たちは物をあちこち移動させる。それは無造作に見えるよう、計算し尽くされているなあと感じる。
 最終的には椅子は客席に向かって一列に並び、そこにラジカセ(彼らもちゃんとしゃべる登場人物)を含めた演者が一人づつ座って台詞を言う。

 はじまりは一台のラジカセ。おぎゃあおぎゃあと泣くラジカセを女が抱き、あやす。
 舞台奥に立つ一組の男女が「あー」「うー」と、まだ意味を持たない声を発する。声はユニゾンから少しづつずれ、掛け合いになる。男女は互いに他者を意識する。声は音節を持ち、意味を持ちはじめる。
 それから後、展開されるのは断片的な台詞と動きだ。

 夜行バスで行くつもりだ、という真夜中の電話での深刻そうな会話。
 今となっては入手困難な靴を求めて世界の果てまで旅する男の話。
 お散歩する童女めいた老女の話。
 母親と一緒に老人ばかりが乗っているバスに乗り合わせてしまった男の子の話。
 お母さんと手をつなぎたくて子どもがそっと手を伸ばすと、そのようすを見た母親がお菓子を手渡した話。
 などなど。

 アナログな私の思考はそこから物語を組み立てた。認知症で徘徊のはじまった母を施設に預けていた男が母親の異常を告げられ、夜行バスで向かう。回想される母親とバスにまつわる思い出。子どもの頃の空想。

 そんな物語がそこにあったのかどうかは重要ではない。
 意味を持つ物語に耳を澄ましている自分の意識のありようを再認識したことは面白かったが、この舞台の面白さはそんなところにあるのではない。
 わたしのような思考の在り方はこの舞台を理解できない(面白いことと理解できることとは別)。私の言葉の在り方ではこの舞台の面白さは説明できない。
 音や動きを言葉に還元してしまわず、言葉を意味に還元してしまわない。そこにただ置かれているモノに勝手に意味を付与しない。そんな意識、言葉だけがこの舞台を理解、説明できるのではないかと思う。
 誰かやってみてくれないだろうか。
 その解説は、壁面いっぱいの美しい数式になるような気がするのだ。

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