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悪夢の迷路からの再生 西尾雅
観劇した昼公演終了後の挨拶で「台風接近のため夜公演は中止」の告知。劇場のあるHEP FIVE全体が閉鎖のため無念の決断。ちなみに近鉄劇場は、その夜「奇人たちの晩餐会」公演を決行、当日立見も出る人気。平日昼(チケット代が1000円安)にもかかわらず満席の「博物館」は、久々に役者全員が顔を揃え3つの時間が交差する演出も斬新だっただけに公演中止が残念。

4つの紗幕スクリーンと黒白それぞれ5脚のハイバックチェア、テーブル1卓のシンプルな装置だけで、ストロボ照明や音響効果を多用して3つの世界を切り替える。運動量もすごいが、ランニング途中で瞬時に逆走に切り替える荒技やアンサンブルの同調に驚く。カンガルーに誘われ迷い込んだ美術館で、青年は各部屋回ってそいつを追い駈ける。左右と手前そして奥、隣する4面の部屋の扉を行き来し駆け抜けるが、扉を持つアンサンブルと駈ける2人の動きがシンクロ、あたかも舞台全体がCG3次元移動したかの効果を出す。ブラックライトを使った不思議な空間、メビウスの輪に観客まで取り込まれてしまう。

インディ・ジョーンズを模す活劇も激しい。黄色ビニールカッパを着た敵に襲われた2人はテーブルの上を飛び越し、乗り立ち上がり、かいくぐる。これらすべてが、まさにすべり動いているテーブルを使って行われる。テーブルのキャスターをロックさせる時間などなく、襲う側の役者が一瞬テーブルを手で止めた隙に飛び上がるのだが、タイミング誤れば大ケガは必至。絶妙のアンサンブルは新しい殺陣の発見とも、ピスタチオのカメラワーク以来の劇団オリジナルパフォーマンスの開発ともいえる。暗闇を模索する懐中電灯、グラインダー回転で散る火花などビジュアル面もシンプルかつ壮麗。

鏡に写る自分が入れ替わるシーンのシュールな恐さ。鏡を覗きこめばそこに写るのは昔の自分。鏡に侵入し交換される肉体。が、過去と現在の自分を入れ替えても、記憶までが交換されるわけではない。そもそも正しい記憶など存在しえるのか。記憶はいつだってあやふや、重要な部分は忘れ去られ、改変され、悪夢となって自身にすら襲いかかる。鏡の自分に以前はなかった皺や白髪を発見する戦慄、すなわち記憶と異なる自分と出会うことこそが恐怖なのだ。

タイトルに込めた意図、それは劇場を悪夢の博物館に変えること。つまり真夏公演を狙ったお化け屋敷の演劇的な再現にある。被り物の幽霊ではなく、新感覚のサイコサスペンスが恐怖心をゆさぶる。中学時代のイジメ、性への関心、異性への淡い思い。胸刺す感傷は、潜在意識の中でたやすく肥大し悪夢に転化する。現場に置き去りにし行方不明のままの同級生への罪悪感は一生消えない。が、果たして彼は実在したのか、彼の行方以上に、それもまた現実と夢の境界に存在する謎のままだ。

時と所を変えた3つの博物館で起こる物語。88年の東京、95年の長野、03年のドイツはハーメルン。修学旅行中もイジメられ、深夜の博物館に侵入して恐竜の化石を盗ることを命じられた中学生。カンガルーのぬいぐるみを着た少女を追いかけ、オープン前の夢の博物館に迷い込んだ青年。新進作家をインタビューするため海外の古城に出かけたライター。くっきり色分けされた3つの世界。お上りさん中学生が迷い込んだ大都会東京の夜は将来に不安抱く彼らのように暗く、夢の博物館はインディー・ジョーンズが活劇繰り広げてカラフル万華鏡に彩られ、古城にただひとり住む作家とライターはシュールな会話とスリリングなカードゲームで青白い緊迫を生む。

交互に織り成す物語は、とうぜんひとり数役の切替でなされる。例えば、平林之英は95年世界のインディ・ジョーンズを主に、88年では中学生のイジメ役から悪徳タクシー運転手、拳銃を奪われる警官、ソープ店員まで、彼らにカラむほぼすべての役をひとりで演じる。本好きの中学生・オサムムシ(赤星マサノリ)は親友のハリガイ(工藤丈徳)や片腕ケガして添木あてたテッチャン(井田武志)らと共に博物館に向かうが、悪質な運ちゃんになけなしの小遣いまで巻き上げられ、捨て鉢になって警官から拳銃を奪い、店のレジから現金強奪する。あぶく銭使ってあこがれのソープで初体験済ませ、そのまま博物館で骨を盗むが、逃走途中でテッチャンを見失う。彼らの冒険は現実に起きたのか、イジメから逃避した悪夢に過ぎなかったのか。行方不明の仲間は本当に実在したのか、ただの空想に過ぎなかったのか。いたとしたならば、彼は別の世界からやって来たのか、そしてまた別の世界へ行ったままなのか。

あいまいな記憶の中、何が真実だったのか見失われる。修学旅行中の宿舎ですれ違い際にひとこと「お休みなさい」と言った同級生の少女はオサムムシとハリガイどちらに声かけたのか。それはどちらかに寄せた淡い好意なのか、ただの気まぐれの挨拶なのか、今となってはそれすら確かめる術がない。あるのはあやふやな記憶だけ。が、ときに奇跡は生まれる。インタビュアー(椎原小百合)の恋人を迎えに来た彼氏は、取材相手の新進女流作家(希ノボリコ)がかつての同級生の少女と知り、再会を驚く。彼はとっくに読書の趣味をなくしていたが、当時の彼にあこがれ、彼女は作家になったと告白する。失われた時が戻ることはないが、別れて後の再会はある。けれど、解き明かされた真実は失った時以上に苦い。記憶が修正されようと運命の不思議を変えることはできない。だから人は記憶の森にまた迷い込む。

迷う途中で、夢に出会う。インディ・ジョーンズは、醒めない夢の中でいつまでも冒険を続ける。日光を浴びることができない奇病を持つ少女(年清由香)は、それゆえ外出時にはカンガルー姿だったのだが、かつてハリガイと呼ばれた僕(小松利昌)と一緒に暮らす幸せを見つける。それもまたここ夢の博物館で見る夢の中の出来事かもしれない。けれど、古城に住む幽霊(安元美帆子)が、長年同居する作家にはまったく見えず、インタビュアーだけに見えるように、夢も現実も人それぞれ見える見えないの違いは厳にある。ある人に見える真実も疑ってかからねばならない。現実と思い込んでいる今が、いつまでも消えない悪夢かもしれないのだから。

キーワード
■パフォーマンス ■冒険 ■サイコサスペンス
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