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備中神楽 松岡永子
 わたしがイメージしていた神楽とかなり違ったものだった。最も大きな相違点は、言葉をはっきりとしゃべることだろう。神さまのための芸能といえば無言か呪文のような唱えごとをしながら舞うものだと思い込んでいた。
 備中神楽では、太鼓を叩き音頭を取る人の言葉も、神さまを演じる人たちの台詞もはっきりと聞き取れてわかりやすい。その分親しみやすく、日本の神さまは地つづきのところにいて、人間と一緒に祭を楽しむものなのだなあと思う。獅子舞や軽業、(見たことはないが話に聞く)にわかなどと同じく、見ている人を楽しませる要素を強く感じさせる。

 本当なら夜を徹して演じられる神楽の中から、今回は「猿田彦命の舞」と「大国主の国譲り」「素戔嗚尊の大蛇退治」の一部をピックアップして約二時間の構成。
 一人が太鼓や鉦など楽器を操りながら全体の話を語る。演者と掛け合いをしたりもする。演者ははじめ面を着けて登場するが、後には素顔。立ち回りも派手で見ごたえがある。特に、天つ神に武装解除を迫られた健御名方命(たけみなかたのみこと)が、最後に残った刀を奪われまいとする場面。柄を天つ神に持たせ、刀の嶺をくわえたままの状態で四度五度と前転をくり返すのは圧巻。

 終演時のあいさつで、これは芸能ではなく芸術だといわれました、と社中の人がいっていた。たぶんそれは誉め言葉なんだろうが、わたしはこれは間違いなく芸能だと思う。
 心理学者のヒルマン博士は、西洋では「美」はケースに入れて眺めるものとして扱われるが、日本人は生活に「美」を取り入れ「美」の中で生きている、といった。
 備中神楽は、鑑賞するための芸術というよりも、人々が生活している土地で生きつづけているにおいが強くする。これはホールで眺めるものではなく、祭の行われている場所に足をはこんで見るべきものだろう。祭とは、本来見るものではなく参加するものだ。
 だが、見ているだけでも気持ちがわきたつ。独特の高揚感が、祭のにぎわい、出店や各家で用意される酒食を想像させる。神楽が祭の雰囲気を引き寄せていた。

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