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音楽で昂まる相乗効果 西尾雅
断定しよう、くじら企画は音楽劇だと。熱っぽい台詞とドラマティックな展開、客席を見据える役者のまなじりに心わしづかみになる。が、なにより魂奪われ、陶然となるのは天空から降り注ぐかの音楽にあると。選曲の幅広さ、的確さ。客入れの開演前から事件当時のフォークが懐かしいが、サビは小室等の「雨が空から降れば」、他にもバッハ「G線上のアリア」とビートルズ「エリナ・リグビー」に震える。ジャンル問わない親しみやすい選曲とタイミング。くじら企画では音楽は効果の域を超えてもはや必須。言霊と音楽、右脳と左脳から双方の攻撃で論理と情緒両方をゆさぶる。さざなみのように不安をかきたてる「エリナ・リグビー」のイントロ。「G線上のアリア」でたゆたうせつなさ。もはや取り戻せない時の過酷さ、やるせなさが「雨が空から降れば」で象徴される。

初演と同じウイングフィールドの狭い空間が、緊密さを増幅する。かつて永山則夫が暮した安アパートの部屋に見立てた舞台。次々訪れる4人の集会参加者は口々に住人の男(風太郎)に賛同の意を示す。が、その案内状を出したことも集会も知らないといぶかる男。「永山先生」と男を慕い支持する参加者たちは、やがて永山に殺された被害者とわかる。彼らは永山の妄想と謎解きされるや、アパートは死刑を待つ彼の独房に転換する。彼の頭の中でもあった暗い独房は、処刑後はるか流氷広がる故郷の網走の海に還って行く。

独房で思想開眼した永山が、暗い少年時代の思い出に苦しみ、犯した罪にさいなまれない日はなかった。悔悟は妄想を育て、被害者は共鳴者にすり変わる。死刑制度を否定する彼にとって、彼を殺す権利を有するのは被害者だけ。が、むろん死者はもはや手を下せない。傲慢の上に立つ論理の奇妙さ。あまつさえ妄想の中で被害者は彼を賛美する。

獄中から社会の矛盾を告発するのも獄中で勉強できたから。が、殺した被害者が生き返ることはない。オイディプスは見知らぬ老人を殺し、やがてある国の王となるが、先王殺しの下手人を探すうち、自分が他ならぬ犯人と知る。殺した老人こそ父である先王、そして今の妻が実母だと。有名なギリシア悲劇は、回避できぬ人の運命を哂う。因果の元を遡れば自分の愚かさにたどり着く。「無知の涙」とは「知の悲しみ」つまり知ってしまったゆえの悲しみに他ならない。取り返しつかない過去が妄想を生み、眼前の現実を捻じ曲げる。

被害者を信奉者に仕立てるのと別にもうひとつ仕掛けは、永山を2人で演じること。殺人に手を染める前、回想の少年時代は女優川田にまかせてピュアさを増す。歩んできた人生の過酷さが胸迫る。男の身勝手な理論武装と違い、孤独な青春はただ痛々しい。極貧ゆえ母(後藤)に養育遺棄される子の悲しみが中性的な細身に透ける。オイディプスは父と葛藤し、母と性的関係を持つ。母への思慕は報われず、どちらも最後に悲劇が待つ。

タイトルの「サヨナフ」は母が置手紙にあわてて書いた「サヨナラ」の「−」の抜けた文字から。遺棄する母親からさえキチンと別れの言葉をもらえなかった永山にとって死刑は社会から突きつけられた2度目の「サヨナフ」、獄中の数々の行動は彼なりの抗議だったのだろう。本「サヨナフ」こそ欠けた線を1本補う手向けの線香、エキセントリックな彼に本懐遂げさせる「サヨナラ」の挽歌なのだ。

キーワード
■犯罪 ■ 医療 SF
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同公演評
幻想で紡ぐリアルな事件簿 … 西尾雅

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