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ミュージカル初挑戦が生んだ奇蹟 西尾雅
見事な和製ミュージカル誕生は慶賀の至り。ここに至る新感線を思い出せば感涙尽きない。オレンジルームでヒデマロを演じていたやんちゃな劇団が、わが国ミュージカルの殿堂・帝劇での成功を受け、堂々梅コマに凱旋したのだから。オレンジルームはかつて阪急ファイブ内にあった劇場というよりイベントスペース、200人も入ればあふれる桟敷席で、当時から新感線人気は沸騰。いっぽう阪急ファィブ隣の梅コマは茶屋町に建て替え成って劇場名を飛天としたものの、なじみ薄く、梅コマと元の名前に戻ったのもつかの間、中心演目の演歌系座長芝居は不振、今春から梅田芸術劇場メインホールとして再度出直す。ミュージカルを軸としたラインナップが予定されるが、はからずもその新年にわれらが新感線が前祝いを飾ったことになる。

不幸な解散を遂げた音楽座を別にして日本発のミュージカルを挙げるなら、四季「李香蘭」から「南十字星」に続く昭和3部作、オペラ「アイーダ」を翻案した宝塚星組「王家に捧ぐ歌」、三谷幸喜「オケピ!」がすぐ頭に浮かぶ。宝塚はレビューの伝統にのっとった大衆受けする日本版オペラ、「オケピ!」はミュージカル苦手を自認する三谷が心情を歌に託したウェルメイドの音楽劇といえる。宝塚や四季は劇団の長い伝統の上でのオリジナル。四季のファミリーミュージカルの公演回数の多さ、歴史の長さを見ても大人の鑑賞に耐えるオリジナルを創るのがどれほど時間を要するかわかる。が、驚くべきことに新感線は初挑戦で日本ミュージカル史を書き換える快挙を果たす。それもほとんど前例のないロックミュージカルとして。

むろん新感線に音楽は付きもの、例えばいのうえ歌舞伎「阿修羅城の瞳」でも生演奏が重要な位置を占める(Taki演じる流しの滝次が歌とギターで狂言回しを務める)。「花の紅天狗」「レッツゴー!忍法帖」の劇中劇でミュージカルの名場面をパロったのはもはや伝説、芝居抜きの「オロチロックショー」ライブ演奏でスタンディングの客を湧かせる。けれどライブや音楽劇とミュージカルはスタンスが違う。メロディに歌詞をのせる必然性、一体感はハマれば魅力だが一部演劇ファンに違和感、抵抗があるのも事実。その難問を軽くクリアしているのが、歌の力で人の心を操る天草四郎という設定とキャスティングされた中川晃教の声にある。史実どおりラストは悲劇で終わるが、死を目前にした絶叫が痛みや絶望を貫き、まるで彼岸に到達したかのような透明感に満ちている。その声は胸奥に直接突き刺さる魂の刃だ。

天草四郎が実は2人いるという虚構は、陣中旗に描かれた2人の天使にインスパイアされたと思われるが、その対比を奇蹟をめぐる神と人間、イエスとユダの関係に例える。初めてのミュージカル挑戦にもかかわらず、新感線は得意の笑いを手控えてエンタメに終わらせず、現代のメッセージに仕立てる真っ当さを貫く。四季は疎開経験のある浅利が戦争を風化させない意欲を3部作にこめるが、説教臭さが残る四季よりはるかにスマート。モニター(薄型液晶やプラズマではなく大小の箱型TVの組み合わせがレトロな妙味)の渋谷の風景と、空爆されるイラクが劇中の悲劇にシンクロする。現代に生きる私たちが戦争の悲劇をどう捉えるか問われている。

9.11テロ直後の「アテルイ」は商業演劇の牙城・新橋演舞場での上演にもかかわらず、中島かずきがエンタメの枠を踏み出した第1歩。勧善懲悪のエンタメに、争いが争いを拡大生産する不毛さを盛り込む画期的なメッセージを挿入、その重さもあってか岸田戯曲賞をさらう。ノーテンキなチャンバラ活劇を得意とした新感線が現代の戦争に警鐘を鳴らす。かつては珍しい金髪に紫のパンティをかぶり笑いを取った役者・猪上秀徳が日生劇場と帝劇を連続公演する売れっ子演出家になると誰が予想できただろうか。けれど、中島といのうえ2人のいたずら心はけっして変わらない。それをロックキッズ魂、あるいはかぶく志と言い換えていい。

ロックミュージカルへのこだわり、そしてオマージュは客入れ音楽に顕著。おなじみクイーンのフラッシュゴードンや「ジーザス・クライスト=スーパースター」が流れて先行作品に敬意を表し、まもなく開演するオリジナルの意気をしめす。ミュージカルの生命線は楽曲、これほど多彩なメロディを岡崎司が書き上げたのは正直驚き。殺陣シーンでのリフのビートやせつない泣きメロをシンフォニックに仕上げるのは得意と承知していたが、江守徹扮する松平伊豆守歌うブキウギやブルースで新境地を開く。むろんミュージカルのセオリーどおり使いまわされるテーマは琴線に触れ、天から降り注ぐリオ(大塚ちひろ)の賛美歌にも心洗われる。

神を試したため奇蹟の力を失った益田四郎(上川)。けれど、藩の横暴に反乱で異を唱える父・甚兵衛(植本)のプロジェクトは止まらない。いっぽう反乱の焔を逆に利用して豊臣の残党ともども反体制側を一挙にせん滅、幕府体制を磐石にしたい伊豆守はくノ一・お蜜(秋山)を使ってかく乱を図る。お蜜が目をつけたのは南蛮人とのハーフの子どもたちのリーダー、歌で人の心をゆさぶるシロー(中川)。2人のシローは、2人だけに見えるリオの導きによって反乱軍の双頭を担う。

最初シローを利用するつもりだったお蜜はしだいにシローに惹かれる。緒戦は優勢だった反乱軍の形勢が不利に傾く。敗戦前夜、お蜜の正体はバレ、益田四郎はお蜜をかばうシローを裏切り者と非難する。陣を離れ、敵と行動を共にする者はユダとみなすと。難破船を修理して、この島国を出たいと願うシローは本来自由の子。自由な魂は女忍者の心すら引き寄せる。お蜜は伊豆守にシローの解放を直訴するが断られ、伊豆守に斬りかかって返り討ちにあう。

隠れキリシタンのリーダーとして改宗したシローの嘆きは、神への怒りに変わる。牢でのシローと甚兵衛の出会い、あの時殉教を止めたシローの口から「聖戦!」が叫ばれ、殉教を鼓舞し、先頭に立って死ぬ。死後の天国を信じ嬉々として殉死するキリシタンたち、それを止める力は益田四郎にもはやない。伊豆守に闇討ちを仕掛けて、逆に仲間の死を招いた自分こそがユダと後悔した四郎は最後の奇跡を祈る。自分の命を死んだ恋人・山田寿庵(高橋)の命に替える。寿庵はただひとり生き残り、琵琶法師となって後世に悲劇を語り継ぐ。

奇蹟をもて遊んだ益田四郎は少女の命と自分の力を失う。後悔の念が死んだ少女の幻を見せる。リオと名づけられた幻は2人のシローを引き合わせる。力をなくした者と力の使い方をまだ知らぬ者とを出会わせ、2人の力を合わせて志を引き継げと諭す。けれど敵ではなく、自分の中にこそ悪魔はひそむ。救世主として選ばれなかった不満が、益田四郎にシローを出し抜けと囁く。嫉妬が彼をユダに堕し、寿庵への愛が奇蹟の力を持つ救世主へとまた転生させる。

シローは風のように自由で、何にも縛られない存在。「絶対なんて絶対ない」というフレーズが彼を象徴する。唯一絶対神たるキリスト教の御子であろうはずは最初からなかった。反乱軍の旗印にせんとの甚兵衛やお蜜の深謀で担ぎ上げられただけだが、圧制からの自由の象徴となる。シローの不幸は自由がこの地上で得られ難く、貧しき人々は死後の天国にそれを求めるしかないこと。地上に平和な天国を呼び起こす奇蹟は、シローの歌をもってしても叶わない。 

死者の想いを伝えんと吟遊詩人になった寿庵。寿庵を見た私たちもシローの志を継ぐ。時を超える彼女が幻のリオに代わり、私たちを新たなシローに指名したのだから。争いの火種を一掃するため島原を犠牲にし、キリシタン全滅を指揮する伊豆守は、平和のためにイラク戦争を仕掛けるブッシュと二重写し。イラク戦争の映像と立てこもるキリシタンを圧する戦車の列が、今も解決されぬ人の争いを問う。

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