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別役シュールの活断層でゆがむ町 西尾雅
舞台を公演地に置き換え、演じられることの多いワイルダー作「わが町」。小さな田舎町で生まれ、恋をし、やがて死ぬ人々の生活を静かに、けれど万感の思いで綴る名作を別役ならではの不条理劇に仕立てる。細部こそ明瞭だが、全体はゆがんだシュールな世界。松尾スズキや長塚圭史のようにグロテスクな体裁を取らず、ありふれた日常を淡々と描いていつの間にか非日常に連れ去る。潤色とあるが原作を素材にまったくの別世界に変えて別役の健在を示す。原作に寄りかかるパロディに終わらず、似て非なるフェイクそのものを楽しむ批評と創造。頑固でシニカル、強靭な精神力に圧倒される。

前列の座席すべてをつぶして舞台から花道を1本通し、客席中央通路に渡す。ファッションショーのように舞台中央から客席側に進み、客席左右の扉から役者が出入り。舞台と客席が間近に交差して、もうひとつの小さなわが街を作り出す。舞台の手前をミニチュアの列車が横切り、上手の町(これも模型)の停車場に着いて物語は始まる。狂言回しの男は原作に準じ昔の北米の田舎町だと説明する。ところが住人の会話は関西弁、六甲山が見える現代の神戸とわかる。

原作の登場人物名とそれをもじった日本名(例えばエミリーがエミ)が交錯する2重構造。狂言回しはとまどうが、役者は自分で簡単な椅子や机、脚立を運んで神戸の生活を演じ始める。勉強好きでしっかり者のエミと勉強が苦手、牧場主を夢見るヨシオ。隣家の幼なじみが2階の窓越しにかわす会話は、お互いの好意に気づかず、性に目覚める前の無垢があふれる分、ロミジュリ以上にせつない。

もう1組のカップルがヨシオの妹リエと町の安全を守るワキタ巡査。歳下で活発なリエをアイドルのように崇拝するワキタはすっかり彼女の言いなり。今なら援交を怪しまれるか警官がストーカーと不審扱いされかねず、そののどかさが懐かしい。それは電話で名乗ることすらオレオレ詐欺に引っかかると控える世知辛い世の中を私たちが知るゆえ。

幸せを幸せである間は気づかない。病気になって初めて健康のありがたさを知るように。その象徴が地質学者。神戸の活断層をそらんじるが、震災になんら有効な予防対策を打たない。机上の学問へ痛烈な皮肉がこめられるが、作者はそれ以上の非難はしない。誰もが生活に追われ、現実を直視し明日に考えが及んだりはしないのだと。

私たちは必ず死ぬ。しかし、自分の死後、世界がどう変わるか考えたりはしない。物語の後半で大勢の死者が登場する。それぞれ小さな台を持ち寄り、そこに沈黙したまま腰掛ける彼らは墓石そのもの。先ほどの2組はめでたく一緒に結婚式を挙げるが、物語はそこで終わらない。交通事故死したエミが、新しく墓地に仲間入りする。過去を回想し生前最も幸せだった新婚当時に彼女はタイムトリップする。義妹夫婦の里帰りに際し、婚家の義母と料理を準備して、実家の両親も揃った食卓につく。けれど、甘美な思い出と裏腹に、誰もエミの話を聞こうとせずチグハグで勝手な会話が続く。死んで後、ようやく生きる者のエゴに気づく。

記憶もまた幻想に過ぎない。現実の昨日は思い出と異なる。明日や昨日などという時間は本当は存在しないのかもしれない。流れる今と、必ず迎える死だけが真実。後背地に六甲山を頂くこの町を出る列車は舞台下手、つまり西へ向かう。それは西方浄土もしくは他の時空を意味する。原作に登場するアル中のピアノ弾きは町を出て、本作の狂言回しに転身する。この町にも同様のアル中のピアノ弾きはいる。原作との2重構造はねじれ、やがて繋がる。現実がいつか虚に還ろうとも、生もまた蘇り、新たな今は永遠にくり返す。

キーワード
■古典
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