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煩悩で織り上げる曼荼羅の救い 西尾雅
デス電所の公演タイトルには輪廻、最初で最後、刹那が永久など相反する意味とくり返しのテーゼがくどいほど用いられる。死のエネルギー源を自認する劇団名からも死と生、その絶対的な二律背反を根源的に問いかける姿勢にあふれる。ブラックなギャグとエロいネタを満載し、騒音に満ちた逆説と比喩を撒き散らす場面で、ときに観客が引くのも事実。露悪的な活力とゆるい間の向こうに、けれど純粋さが透ける。時代の先鋭を走るかに見える彼らに古いことわざが似合う。泥の中にこそ蓮は花開く。現代では血とセックス、暴力を突き詰めたその果てにしか本当の愛や救いは見つからないのかもしれない。

これまでのデス電所は物語が大きく回帰する構造を持つ。出発点こそが終着点であり、物語の始まりに向けていくつものエピソードが積み重ねられる。並行するカットバックのピースが寄り集まり、ひとつの絵として完成した時、さまざまな謎は解け、物語はまた振り出しに戻る。生まれた瞬間から死に向かう生命の宿命。生きる意味を真摯に問う命題は古く、けれど新鮮だった。

本作が今までの作品から大きく変わるのは縦糸と横糸の織り成すタペストリー構造が鮮明になったこと。主人公の回顧で一生を語らせ、時間軸の横にさまざまなエピソードを織り上げる。もっとも、中心となる女性の物語とわかるのはあくまで最後の最後であって、彼女のエピソードも途中まではいくつものジグソーの一片でしかない。幹となる彼女の周囲に展開するさまざまな枝葉の物語は、ひとつひとつが独立した短編として完成され、全体の不条理を補強する。いわばフラクタル理論に基づく整合とくり返しの幻惑。ガウディの建築のような永劫と万華鏡のあやしさですべてが立体構成される。

さまざまなギャグやコント、その枝葉末節の上に物語が成り立つ。小さな波が大きなうねりとなるように、くり返しのボレロのリズムがしだいにクレッシェンドされるようにテーマは反復され、収斂してカタルシスを迎える。ラストには死や無が待ち受けるのがデス電所の常だったが、今回は対立と緊張を孕み、拮抗したまま終わる。結論のないそれは果たして救いなのか。人生を時間つぶしのクロスワードになぞられるデス電所だが、暴力とエロ、シニカルな笑いで塗りつぶされた彼らの世界は、不条理に満ちた現世の曼荼羅に思える。

遅刻常習を反省しないタレントにキレるゲストやスタッフ、自分が触法少年の親であることを苦に、他の子を誘拐して育てる親、ウイルス感染で人間が石化する奇病の研究者、初ライブが血なまぐさい殺戮の場と化すヤクザの息子、金しか信じない親代わりの親戚、恋に落ち娘までもうける海の男、妹に石化症を感染させた相手を憎む兄、そして他人の意思を踏みにじり、あやつろうとする邪悪な男。

主役以外数役切り替えで忙しい多数の登場人物。物語があるべきピースに収まるラストで彼らの因縁の糸がほどかれる。お互いの関係性、それが認識された時、謎は新たな局面へと移る。恨み憎んでいたはずの相手と思わぬ因果に絡めとられることもある。イヤなことをすれば発作を起こす石化症は、好きなことをしていれば病状は進行せず、たとえ一時石化してもなぐられれば蘇生する。殺意を抱いた瞬間に人は石化し、殺されるはずだった相手と向き合う。殺したいほど憎い相手なのに、わずかな躊躇が逆に自分を石に変える。呪いは、逆に自分に降りかかる鏡の罠なのだ。あるいは、石化が進行し砂となり果ててもまだ生命ながらえ、惜別の言葉を記憶に残す女。歯は大切に。思いやりが彼女に一瞬の蘇りと歯磨きの機会を与え、また砂に帰らせる。

どれほど憎み恨もうとひとりでは生きてはいけない。誰かとの関係性の中でしか人は存在できない。その最も大きな関係が親子に尽きる。自分の親が生みの両親ではない、あるいは腹違いの兄妹という設定がデス電所でくり返される。親子という生物的な関係への不信は全編を覆う。親子はただ遺伝子でつながる関係性のひとつに過ぎないとでも言いたげに。

主人公マリアは、放火され燃え盛る病院から誘拐され育てられる。自分の親が本当の親でないと知った時に彼女の不幸は始まる。育ての親は人殺し少年の本当の肉親、その現実を否定するため赤ん坊をさらう。さまざまな不幸が彼女を襲うが、彼女は海の男との出会い、娘を産む。が、夫は殺され娘とも生き別れる。彼女は娘と再会を果たすが、すべては他人の意思を操る男の壮大な計画に操られてのことだった。その男こそかつての犯罪少年、彼女の義理の兄。他人を虐げ、その意思を操ることに飽きた彼は、他人の運命を操る試みに成功したのだ。生き別れた彼女の娘は実は男の元で育てられ、母親に憎しみを抱くよう仕向けられている。対立する母娘にほくそえむ男は人間に絶望し、親子に代表されるすべての関係を破壊しようと企む。

それぞれに不幸と憎しみは深い。けれど、感情は移ろい、さらさら流れる砂のよう。思いがけない別れの言葉が、ときに人を砂から蘇らせる。憎しみも浄化され、やさしさに変わることがあるのかもしれない。石化してもなお生命があり蘇る思いがあるのなら、奇病の果てにこそ人に救いはあるのかもしれない。

キーワード
■終末 ■暴力
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