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+ 徳山由香

国立国際美術館非常勤学芸員などをへて、コンテンポラリーアートの研究、企画、運営に携わる。 2005年10月より文化庁在外研修によって、フランスにて研究・研修に励む。

+ 田尻麻里子

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+ ピエール・ジネール

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PROFILE
AIT

AIT/エイトは、アーツイニシアティヴトウキョウ/Arts Initiative Tokyoという名称の通り、東京を拠点としてアートに関する多様な実践を行う、キュレーター、アートコーディネーターの集団である。特定のスペースを持つわけではないが、オフィスとライブラリーは代官山にある。
ディレクターの小沢有子さん、キュレーターの小澤慶介さんに話を聞いた。

発足から4年目を迎えるAITの活動は、2004年4月現在、エデュケーション、トーク、批評やレヴューなどのパブリッシング、展覧会/イベント、そしてレジデンシーが挙げられる。彼らのめざすところは「東京を中心とした様々な場所に、現代の視覚芸術にアクセスするための『プラットフォーム』を創出」することだという。彼らの創り出す「プラットフォーム」の形を、各プログラムにみてみよう。

MAD

まず、AIT設立の発端となったMAD: Making Art Different[マッド]という教育プログラムに遡ってみよう。2001年4月にキュレーションとオーディエンスの2コースから始まり、翌02年に加わった作家のプレゼンテーション能力を高めるためのアーティスト・コースの、計3コースが設けられたMADは、日本の美術界が抱える問題−美大や美術学校など、アーティストを育てるための教育機関、あるいは美術史や芸術学、美学を研究する大学はあっても、アートをプロデュースする側や観客やアーティストと観客を育てるためのプログラムがないということ−に対する、AITからの自然な提案だったという。

MAD(AITのライブラリーにて)

こうした美術界における教育・研究に関する問題は、1990年代から、オルタナティヴな美術活動が東京で活発化したころから、しばしば議論の対象となっていた。つまり、キュレーターという職業と美術館学芸員との違いを誰もが意識しながら、そのあるべき姿と方法論を模索する状況、また観客と作品、アーティストとのインタラクティヴな関係、そしてアーティスト・イニシアティヴによる独立した活動などが勃興する状況の中において、MADは、これらの複雑な議論を語るための言葉を投げかけたといえる。

TALK

そして、さらに実践的な議論の場が、AITアーティスト・トーク、AITスライド・トークなどのレクチャーである。主に海外から東京を訪れたアーティストやキュレーターやなどが立ち寄った際に合わせて開催されるこのトークは、海外からのスピーカー達にとって、自身の活動や研究の発表の場となると同時に、東京を中心とする美術関係者や学生達との貴重な情報交換の場ともなっている。また、日本の美術関係者のトークも開催されるが、これもキュレーターやアーティストだけでなく、アドミニストレーターやコーディネーターとオーディエンスとをつなぐ機会としてとらえられるだろう。
東京には展覧会の開催や準備、あるいはリサーチのため、数多くのアーティストやキュレーターが来訪するが、彼らが日本のオーディエンスと接する機会は、公式な講演会か、もしくは関係者を中心としたオープニング・レセプションなどの場に限られ、開かれた場での意見交換の機会を持つことは難しい。日本の美術界が国内外の双方に対して閉じられているといわれてきたゆえんだが、日本の美術状況を知りたい海外の関係者と日本のオーディエンス、そして海外の状況を知りたい日本のオーディエンスとの間の開かれたコミュニケーションの場、それがAITの設けた「プラットフォーム」としてのAIT TALKといえる。

AIT Artists TALKフェデリコ・エレーロ(Federico Herrero)

AIT Hour Museum

AITの活動は、こうしたニーズに対する提供に留まらず、新しいタイプの提案も行う。その実践が、展覧会「エイト・アワー・ミュージアム」である。
02年9月28日の昼下がりから8時間だけ、東京都港区の旧桜川小学校体育館にて開かれたこの展覧会は、暗い、くつろいだ雰囲気のある空間のなかで、パフォーマンス、ヴィデオ・スクリーニング、ライブラリー、DJ、パブなど、多種多様なチャンネルへと観客を誘った。ミュージアムとしてのいわゆる「展示品」は、AITの副ディレクター、ロジャー・マクドナルドの「スーツケース・コレクション」という、文字通りスーツケースに収まるほどのオブジェや、ヴィデオのコレクションである。

「エイト・アワー・ミュージアム」

この「エイト・アワー・ミュージアム」のパフォーマンスは、美術館やギャラリーのそれとはあきらかに異なった性質を持つ。一つは、アートとオーディエンスをつなぐ空間との関係において、もう一つは、時間的な感覚において。
美術館のホワイトキューブ−白い壁、明るく広い空間に置かれた作品に対しては、観客は、否応なく作品に向き合い、鑑賞することになるが、一方「エイト・アワー・ミュージアム」の雑多な要素に包まれた空間の中では、観客は、作品を自らの嗅覚でもって能動的に探し出すこと、そのプロセスを楽しむことから鑑賞行為が始まる。また、小学校の体育館という公共の空間を、突如として非日常的な空間へと変容して、しかも8時間で消え去るという「エイト・アワー・ミュージアム」のゲリラ的な態度は、空間の永続性を保証する美術館の態度とはまったく正反対のものである。
そこは、誰をも受け入れるオープンな場であると同時に、そこでアートを楽しむには、まずその情報をとらえて足を運ぶという敏速な行動力と同時に、自分自身を開かれたものとしつつ作品の世界に耳を傾けるような、高度なコミュニケーション能力が必要とされるだろう。

抵抗/オルタナティブ

このようなイベントを意図的に企画するAITの姿勢は、現代の日本における美術制度に対する批判的な姿勢を示しているが、それは「抵抗」でありながらも「アンチ」ではないという。ここにロジャー・マクドナルドの言葉を引用しよう。

このような、私たちが新しいタイプの「抵抗」型グループについて、特定の制度への「アンチ」であると考えるのは間違っているだろう。これは東京の現代美術の状況を反映して出現しているもので、流行や見かけだけのものでも、立派な制度でもない。これは現在の反映なのであり、スタンダードと見なされてきたものとは別の方法を模索する提案なのである。

AITの示すこのような態度は、抵抗でありながら気負いはなく、既存の制度や他者を排除するものでもない。つまりそれは、「作る側も観る側にとっても、現代美術とは抽象的で難解なものではなく、もっと身近に感じられるものだという感覚を見に来る人たちに投げかけてみたい」というAITからの提案であり、こんなのもいいよね、と、自らが率先してアートを楽しむことのオルタナティヴな実践といえるだろう。

NPOとして

こうしてわずか3年の間に多様に展開するAITの活動は、アート・アドミニストレーター、キュレーター、弁護士等によって構成されるスタッフ一人一人の行動力と能力とともに、NPO法人という組織体とによって可能となっている。
AITがNPO法人となったのは、2002年の5月からだが、それは、前年から開講したMADによって集まった受講料を、次の活動に投資することによって活動の幅を広げるという目的に基づいたものであったという。つまりNPO法人であることによって、こうして自己資金を循環させることができ、また企業からの協賛金や助成金の給付対象にもなり、美術館や文化機関との連携のもとに活動を行うことができる。

たとえば、03年にはかねてからの目標だったアーティスト・イン・レジデンスを実施、スウェーデンの政府文化機関IASPISの東京での拠点としてスウェーデンのアーティストを中心とした制作活動や交流を受け入れ始めた。また04年には南米コスタリカから若手ペインター、フェデリコ・エレーロを招致した。前者は文化機関との連携、後者は助成金の補助を受けての活動である。

IASPISから来日したマリ・リンドバーグ(Marit Lindberg)によるアーティスツ・トーク
墨田区のAITレジデンス・スペース

さらにもう一つのNPO法人としての利点は、対外的な契約関係のみならず、ネットワーク、情報発信、あるいはインターンシップやボランティアのケアなど、広い範囲でより多くの人を対象とした活動の質を高めるために、必要な態勢を整えることができるということにもあるという。

コンテンポラリー・アート、多様性と複雑さ

こうしてみるとAITの提案する「プラットフォーム」は、これまで東京にあるべきはずであったのに、存在しなかったものを、明解なシステムとして創り出したものと捉えられるだろう。
たしかに、組織やネットワークが整うことによって情報が整理され、「小さなグループ」のから少しずつ、より多くの人間が現場に携わるようになることは、活力を失いつつある日本の美術界の中で非常に勇気づけられる事実で、大いに歓迎されることである。が、一方で、美術ファンがアートマネージャー、キュレーターを志望するようになったところで、ボランティア、アルバイト、さらにその次の段階にすすみ、実際に職業として経済的に成り立つのは極めて稀なのが、現在の日本の美術業界の現状である。こうした業界の構造が抱える問題に対して、ディレクターの小沢は、明確に答えた。
それは、むろん受け皿となる社会、美術業界の構造にあると同時に、最終的には本人の問題に行き着くのではないか−与えられた仕事から報酬を期待するのではなく、自分の希望を実現する能力を持つことを前提とした上で、さらに自分で自分の仕事をつくっていくこと、すなわち、まだ人に手をつけられていないことを探し当て、自分の仕事としていく覚悟をもつこと、続けていくことが、結果として実を結ぶということなのではないかということである。それは、自他の経験に基づいたビジョンであり、AITの活動をみれば、非常に説得力を持つ。
またさらに、現場に近い人間を増やすことには、コンテンポラリー・アートをただ見るだけではなく、その背景を含めて見る人のための場をつくりたいというねらいがあるのだという。たしかに現代の芸術表現は、視覚的表現や歴史にとどまらず、現代の社会、芸術を取り巻く環境そのものを問題とするものも多く、それはしばしば「その中にいるもののために」あるため、排他的な印象をもつこともある。そこで、可能な限り多くの人を現場に近いところに受け入れ、参加の場をつくることが、より深い問題意識をもつオーディエンスを育てることにつながるはずだというのだ。

つまり、AITの提案する「プラットフォーム」は、コンテンポラリー・アートを分かり易く解説することでも、キュレーターになるためのマニュアルを示すことでもなく、それは、多様な解釈を必要とするアートのオーディエンスを、様々な形で育てること−なかにはアートのもつ華やかな印象をファッションとして捉える者もいるかもしれないが、それも含めて−、つまりオーディエンスの多層性を増やすことであるといえる。そしてそれは、むろん、アート自体の可能性を開くことでもあるだろう。ふたたびロジャーの言葉を引用しよう。

簡単にいえば、AITのような活動が必要なのは、東京が消化して、見て、消費している現代美術をもっと複雑にするためである。複雑にするというのは難しくするのではなく、むしろそうではなく、もっと多くの美術について考える機会と場をつくることである。違った考えによって可能性を開く、もっと濃厚で前向きな態度である。

AITが標榜する「多様性、複雑性の許容」は、いうなれば、アートが生じる場、温床となることといえるだろう。つまり、分かり易さよりも複雑さ−知的かつ批評的、軽やかで親しみやすい彼らの身振りの中に織り込まれたこの契機を捕らえて見逃さず、美術について深く考えることができる者のみが、彼ら、私たちと共に続けていくことのできる力をもつのかもしれない。

(徳山由香 取材:13/02/04)

AITのスタッフ、代官山のオフィス近くで

*本稿は、2004年2月13日フェデリコ・エレーロのアーティスツ・トークの際にAIT代官山オフィスにて行われた取材と、AITの出版物(ウェブ、リーフレット、「エイト・アワー・ミュージアム」カタログ等)、また過去にAITのスタッフと交わした言葉とによって構成された。

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