log osaka web magazine index

 楽をした時期はないです。紙芝居に人気が出てからも大変でした。昭和二十五年(一九五〇)ごろが全盛期でしたが、紙芝居を演じる会員が四十人くらいいて、毎日どんどん紙芝居をつくらんと間に合わへん。一日に九巻(九十枚)とか十二巻(百二十枚)とかつくっていた時期がありました。絵描きさんたちも大変でしたけど、こちらも休んでいる暇なんかありません。毎日夜通しかかります。それが何年か続きました。三十年(一九五五)以降は紙芝居人気もだんだん下火になりましたけど、主人はいい紙芝居をつくるための投資を続けましたし、絵描きさんたちの生活の面倒もよくみました。うちに食べるものがない時でも、人に頼ってこられたら「何でも持っていきや」と言う人でした。絵描きさんたちへの支払いも滞ったことはありません。借金の工面をしたり、質屋に行くのは私の役目でした(笑)。私はしょっちゅうぼやいてましたけど(笑)、「一緒に仕事をしていたらみんな家族と同じや」と主人に言われて。
 その後、うちに住んでいた絵描きさんたちのために土地を手に入れ、家を建ててあげました。みんな田舎から家族を呼んで住んでいましたが、景気が良くなると他の仕事に移る人もいました。それでも、いい人たちがたくさんいました。今もそうです。こうして絵元を続けていられるのも、助けてくれる人たちのおかげです。
 今日という日があるのは昼も夜も働き続けた結果です。主人はなんの道楽もなしに紙芝居だけに生きた人でした。私も必死でした。でも、今はもう主人との苦労は、全部紙芝居に変わりました。この家はご覧のとおり、紙芝居で埋まっています。血も涙も全部この紙芝居に入ってます。主人も亡くなって、私も八十歳を超えましたけど、今でも二十人ほどの人たちが残ってくれて、紙芝居を続けてくれています。みんなに守られて、今日の幸せがあるんやなと思います。
 私の長い愚痴を聞いていただいて、ありがとうございました。

●塩崎おとぎ紙芝居博物館 〒557-0015 大阪市西成区花園町1-12-24

 
 

←back [ 3/3 ]