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小粒のメセナ?個人の趣味?アートを支える多層なアクターに突撃


#2:エコールCP×稲垣智子

T−
先日の 「大阪・アート・カレイドスコープ OSAKA 04」出展作品の「春」でも、エプソン販売株式会社や牛乳石鹸共進社株式会社等にも協力をしてもらっていましたよね。稲垣さんにとって、協力を受けるとはどういうことなのでしょうか?
I−
私の作品は私のであって、私のではないように思えます。いろいろな人の協力がないと絶対に作れない。私の作品では手仕事であるというのは、そんなに重要じゃないから。
まず、美術を通して人と関わりたいっていうこともある。それと、もてあまされているみんなの高い想像力や、創作力を貸してもらったほうがいいと思っている。私がするよりも、よりその技術に長けている人がつくった方がいいものができるでしょ。

T−
もてあまされているというのは?

I−
皆が思っている以上に、人は高い技術や想像力を持っていると思うの。
例えば美術以外でこんなお菓子や、石鹸の彫刻(前述の「春」)なんか誰もつくらないでしょう。会社で、社員個人としては技術や実験したい気持ちがあっても、ニーズがない限り、会社的には「だめ」といわれることが多いでしょ。
私は単に手伝ってもらっているだけなのだけど、関わることでみんなの想像力を、作品の中に入れていってもらえるとすばらしいと考えている。
私は、例えば映画監督みたいなもので、ライティングとかカメラさんとかを別の人に担当してもらう感じですね。

T−
パフォーマンスの作品では、ご自分で演じていたりしますよね。

I−
それも、ほんとは全然別の方で構わないの。でも、作品をつくるのに一日中撮影とかに付き合ってもらったりというのは、大人の世界では頼むのは厳しいよね。お金が払えればまだ違うのだろうけど。それでも、疑問を持ちながらでも協力してくれる方には、本当にありがたい気持ちで一杯です。また作家にとっても、いろいろな人と接して、「わけがわからない」と思っている人と話すことはとても重要だと思う。相手にも様々な理念があって、その人なりの生活や幸せ観があることを知るのは、とても大切なんじゃないかなあ。

T−
相手の幸せを大切にする視点ですね。

I−
そう。私は、どんなに暗く見える作品でも、必ず、世界を幸せにするために作られているって信じているからね。美術って基本的には何かを奪ったりとか、闘うことを前提として作られるものではないでしょう。美術と出会うことで、その人にちょっとした変化が生まれるとしたら、すばらしい。
美術を行う、アートに関わり続けることは、世の中にいろいろある党のうちの美術って党に一票を投じる行為だと思う。みんな、自分の一票には力がないと思っているかもしれないけれど、それぞれががんばって続けていくことで、興味がなかった人が一票を投じるようになったら、肯定的な何かを指示する力になるかもしれない。

T−
社会の一要素としてのアートができることなのでしょうか?

I−
大きなくくりとしての社会があってアートはその一部。だから、世界が悪い方向に動いていこうとする時に、美術に投じ続けることで、ちょっとだけ世の中の鉾先を曲げる感じ。少しだけ「よくなる」を積み重ねていけたら。

T−
大きな軌道のほんの少しだけずらしていくことができれば、違う結果に行き着くということですね。
とはいえ、作品をつくる前段階として協賛先を探して回り、人と会う段取りを付けるなど、制作期間が短い中でいろいろと準備をするのは大変そうですが。

I−
1日は24時間しかない中で、全てを私1人で行うのは本当に難しい。準備の準備みたいな作業は、できたらどなたかに手伝ってもらえたらなぁ。もちろん、協力相手と実際に会い、制作作業に入る際に、作家自身が顔を見せないのは問題があると思うけど、作家が営業っぽくなってはだめだからね。
やっぱり、作品をつくっていることだけが作家の作家たるところなのだから、作家は作品を作ったり、コンセプトを煮詰めることに時間を最大限充てるべきですよね。

T−
それは、多くの作り手の方が望むところかもしれませんね。

I−
私は「作品は、生活を食べて生きている」と考えています。アルバイトなども含め、制作以外の仕事をしていても、結局はものを作る身体や頭は1つ。自分でしかないやんか。私の場合は特に、生活の中で考えていることが制作のヒントとしていることが多いから、本当にそう思う。

T−
「最後のデザート」は稲垣さんにとってどのような作品だったのかを伺えますか?

I−
あの作品には、今の私には表現できない要素がつまっているので、作っておいてよかったと思っています。当時はイギリス留学から帰国した直後で、とても客観的に日本を見ていた。そこで感じた疑問点などがストレートに表現できたのが「最後のデザート」だったと思うわ。今はもう、日本に住んで長くなるからその時ほど同じ事柄を見ても、同じような疑問は感じなくなっているし…。

T−
稲垣さんの作品にはパッと見ただけである感情を呼び起こす、分かりやすいアイコンが使われることが多いですよね。アニュアルの会場でも「お菓子」と見ただけで、本当は食べられないのに「おいしそう」と感想を述べている人が多くいました。

I−
「お菓子」、「キス」とかね。人が見て、単純に興味をそそられる行為とか、ものは使うようにしている。それは、多くの人に作品を見て楽しんでもらいたいと思うから。
お菓子に実は添加物が最大限に入っていても、キスが本当は口紅を食べているのだとしても、それに気付いてもらうためには、まずは見えているものか、何かに惹かれてもらう必要があるでしょ。

T−
最後に今後の予定は?

I−
まず、アーティスト・イン・レジデンスに12月までいます。9月には、大阪で個展「三番目の娘- the third daughter -」を開きます。(詳細は本稿最終ページ)
今後の作品展開について、今は360度どこを見渡しても劇場的な空間を作っていきたいと考えている。観に来てくれた人に、夢みたいな異空間に入り込んでもらえるような。観る人自身が主役であるような気分を味わってほしいと思っています!

T−
ファンタジー的でありながら、遠い世界の話ではなく自分のこととして受け取れるような体験なのでしょうか。楽しみにさせてもらいますね。



一方、神戸国際調理製菓専門学校はどのように考えて、稲垣さんの作品制作に協力したのだろうか?担当された北村佳裕さんに、職場である元町の校舎にお邪魔し、お話を伺った。

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