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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年11月号 『2001年壺中の旅』レビュー他

ダンスと都市の交差点「踊りに行くぜ!!vol.9」@前橋+別府(巡行型公演)                                                                            text:メガネ                                           画像提供:JCDN                                         (写真撮影者は各写真上に記載) ◆ 地方都市の風景 ここ数年、帰省も含めて地方に出かけるたびひしひしと感じる違和感がある。それは決まって、駅を出て閑散とした商店街を通り抜け、車ががんがん走る傍ら人っ子一人いない道ばたを歩いている最中に訪れるのだが、それは、自分が異邦人であることだけでなく、他の人がみな中身の見えない大きな箱の中にいることからくる心許なさ、隔てられている感を含んでいる。 今年の 「踊りに行くぜ!!vol.9」 を追う旅は、このような違和感を通過し、地域の受け入れ団体や個人有志の活動を背景に公演を鑑賞したことで、ダンス・パフォーマンスの可能性を再認識する貴重な機会となった。訪れた前橋(群馬県)と別府(大分県)は、ウィキペディアの「 シャッター通り」の項目に名を連ねているが、そこで問題とされているセット(車社会、閑散とした街、郊外の大型ショッピングセンター)、さらにはよさこいソーラン開催の幟旗まで、旅の途上で目にしてしまった。じつは温泉+ダンスの旅と決め込んでのほほんと現地入りした筆者にとって、それらはダンスを、今の社会で公共空間なるものを成立させる難しさとあわせて考えさせるきっかけとなった。


 


 
  前橋+別府チラシ画像(左)11/3(月・祝)14:00- @前橋プラザ元気21デザイン:Maniackers Design 佐藤正幸(右)11/15(土)/16(日)18:30- @別府市街地
 
◆ 都市とダンスにとっての公共空間 公共空間とは、異なる目的や関心を持つ人々が集まって、お互いに言葉を交わしたり、一緒に何かをやったりすることで生み出される関係の場と、ひとまず説明できる。公共施設のような物理的な建物や場所ではなく、人々の間で生み出される目に見えない空間だが、誰もが知覚できる賑わいとか活気ある雰囲気とかを纏わりつかせている。最近では都市論の文脈で、まさに上記3セットと結びついた社会問題を論じる際のキーワードとなっている。水や空気のようにふつうにあってしかるべきそれが、今や手の届きにくいものになってしまったのではないか。それは、人々が私的空間に充足してそれを囲い込む壁を強化していったり、あるいは公私の別なく空間というものが対象化されて経済という一つの原理に呑み込まれていったりという時代の趨勢による、と。 この言葉を使う関心は、上演芸術、特にコンテンポラリーダンスの側にもある。コンテンポラリーダンスには、劇場外で創作・発表される機会が少なくないという事情もあって、読解や評価の対象としやすい“閉じられた” 作品だけでなく、演じ手と観客、あるいは観客の間で開かれ刻々と更新されゆく関係の広がり、ダイナミズムが鑑賞体験の肝となる公演が少なくない。そういった公演が生み出す空間について、まずは演劇の領域でも用いられて来た「祝祭」や「社交」という言葉を手がかりに考えるのが筋なのだが、歴史的な由来に即するなら、そのどちらでも、人々が結びついたり離れたりするダイナミズム、集まる人々の社会的な多様性の両方は捉えきれない。そこをカバーするのに、先の公共空間という言葉はさしあたり都合がよいように思われる。それは、都市に集まる、つまり欲求や関心やし好を必ずしも同じくしない人たちが、他者との間を調整しながら振る舞うプロセスを踏まえているからだ。◆ アートと都市の交差点 「踊りに行くぜ!!vol.9」に戻ると、始めに述べた違和感は、ダンスを追って移動する巡行型公演の途上で、パフォーマーや通行人との関係の更新、観客同士の会話を畳み込みながら変わっていった。そしていずれの会場でも、終演後に、いわゆる“ダンス関係者”に限られない参加者が少なからず残ってアーティストと言葉を交わし、去ってゆく光景が見られた。(NPO法人JCDN のスタッフが綴るブログ、 JCDNうろうろ日記が全体の雰囲気を伝えている。)この空間が帯びた熱は、趣味し好によって分岐し、あるいはアーティストのカリスマ的な力などによって一体化した共同体のそれとは違っている。傍らの見知らぬ観客と思わず顔を見合わせて笑ったり、誰にともなく「ようわからんかったわ」と呟かれたお年寄りに、「わからんでも来て良かったです」と応じてみたり。こんな瞬間にこそ、アートという価値の定まらないものが開きうる関係の空間と、都市論で問題とされる公共空間の交差点があるように思われる。それが社会から失われつつあるというならば、都市でのダンス公演の成果を公共空間と呼ぼうとするだけでは足りない。まずは、それが生み出されたプロセスで注目すべきと思われることを、一般通行人という関係項も積極的に作品・企画に取り入れた別府公演の道行きに沿って見てみたい。

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