log osaka web magazine index

日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年9月号 GAGAワークショップレポート

             GAGA(ピープル)参加レポート
          『あれやって、これやって…あ、踊ってる!』
          −レイヤーセンセーションが、ダンス生み出す−


                                      text:亀田恵子


 
  [主催] (財)滋賀県文化振興事業団[滋賀会館]/GAGA JAPAN/Underline[共催] 京都の暑い夏事務局[後援] イスラエル大使館
 
(GAGAってなに?)

 イスラエルを代表するダンスカンパニー、バットシェバ舞踊団。振付家であり芸術監督でもあるオハッド・ナハリンが創造する作品は、斬新なアイデアやダイナミックな振り付けが魅力。「GAGA」とは、このオハッド・ナハリンによる動きのメソッド(体系的な方法・方式)だ。もともとはダンサーのために開発され、カンパニーダンサーのトレーニングとして行われていたが、現在は一般の人(イスラエル国内では中学や高校での教育にも浸透)に対しても行われている。「自分自身を目覚めさせる」「動くことの喜びを体験する」というGAGA。今回、私は「GAGAピープル」と「GAGAダンサー」という2通りあるGAGAのうち、「GAGAピープル」の方に参加した。

(体力なくても大丈夫?)

 いよいよ閉館のときを迎えようとしている滋賀会館(2008年9月末に老朽化を理由に閉館)が「GAGA日本ツアー」(GAGA JAPAN企画・運営)を締めくくる場所となった。参加者は女性が多かったような印象だが、「GAGAピープル」はダンス経験のない人でも気軽に参加できるということもあり、年齢幅は広かった。ダンス=年齢制限=体力が必要…という認識が一般的にあるように思う。もちろんダンスは身体を使うし、身体を使うにはエネルギーが必要だ。しかし、それだけがダンスを成り立たせているとは言えない気がする。講師のドロン・ラズ氏が「高齢者でも、車いすの方にでもGAGAはできます。」と言っていたことからも、ダンスするときに必要なものが体力に限定されることはないようだ。

(GAGAに参加するためには。)

 19:15、参加予定者の数名の方が遅れるとの連絡が入り、予定を15分遅らせて「GAGAピープル」はスタートした。遅らせた理由について主催者からは「GAGAは一度はじまると、途中参加が出来ないので、もう少し待ちたいと思います。」とのアナウンスがあった。GAGAには、下記のような約束事があるのだという。

 1.鏡は使わない。
 鏡のある部屋ではGAGAは行いません。もし鏡のあるスタジオであれば、布などで隠します。
 ナハリンの言葉の中でもっともよく言われるのが「鏡は魂を甘やかす」という事です。

 2.講師は、受講者にイメージの投げかけをする。
 本質的にはインプロビゼーション(即興)が主流ですが、基本的にイメージや想像力が必要です。講師はイメージと動きのタイミングを受講者に投げかけます。

 3.約75分、ノンストップで行う。
 休憩はありません。一度動き出したら、約75分間決して止まりません。クラスはエクセサイズではありません。最初のイメージの上にどんどん層を重ねるようにイメージをプラスして行きます。一つ前にしていることをやめずに次の動きを重ねて行きます。だから途中でやめないことがとても重要です。もし疲れたら、もしくはペースをはずしたい時は、いつでも自分のボリュウムを小さく30%、20%くらいまで落として、でも今までのことを忘れないように、最初の感覚に戻らないようにします。

 4.私語、質問禁止!
 途中での質問はできません。もしイメージがうまく理解できないときでも、周りの受講者や講師の動きをみて、その感覚を真似してください。

 5.見学禁止!
 クラスの進行中は、見学できません。見学者の入場もできません。スタジオにいる人は全員GAGAを行わなければいけません。

 6.もちろん、遅刻厳禁!
 途中入場できません。参加者全員のグループ感が大切ですから、はじめから参加しないといけません。

 ダンスのワークショップにはいくつか参加したことがあるが、ルールが徹底されるという形式は初めてだと思う。「堅苦しい」と受け取ってしまうことは可能だが、これはナハリンのダンス言語を伝えるための環境整備なのだろう。「とにかく、やってみましょう。」というドロン・ラズ氏の言葉どおり、私も考えることをいったん脇において動いてみることにした。

(どんなことをしたの?)

 滋賀会館の舞台上を使ってのGAGA。客席を背に、ドロン・ラズ氏とGAGA JAPANの鞍掛綾子氏(通訳を担当)が立ち、参加者はそれぞれ距離を取りつつ広がった。期待と不安でドキドキする。
 「両腕をね、あげて。ワキをあけてみましょう。ヒジからゆっくり動かすように。・・・手には、とても大切なものを持っているとイメージして。手の意識はそのまま失わないように、今度はヒザの裏から強い風が吹いてきて、それによって動かされているとイメージしましょう。」
 全体の流れは、ドロン氏が踊りながら伝えてくる言葉を、鞍掛氏もいっしょに動きつつ日本語に訳しながら進んでいくというパターン。先ずは身体のパーツを動かすことからスタート。どんどん動かすパーツ追加されていく。両腕→ワキ→ヒジ→ヒザといった具合。そして講師から投げかけられる言葉を受けて、参加者はイマジネーションを総動員させていく。それぞれの身体パーツが動きの中でつながれ、それらが全身のムーヴメントへと変容していく。

 「では、全身が水にね、落ちていくイメージで動きましょう。落ちて、水になります。」「体中に小さなエンジンがあるとイメージして。それが動いている。花火がスパークするように。」「身体の中をボールが動き回っている…それを明確にイメージして。どこかで消えてしまわないように、ボールが今、どこを動いているかを意識して動きましょう。」「ハチミツが全身を満たしているとイメージして。その中をボールが動きます。」
 参加者は自分の身体を動かしながら、頭の中では想像力をフル回転しているのだが、そこに踊ることを躊躇しているような姿はなかった。ダンス経験のない人は「ダンスなんて私にできるのかな。」と遠慮してしまうことが多い。私自身、ダンサーではないので、ダンスのワークショップではいつもそうした気分と向き合うことになる。だが、この場では特に「ダンスするんだ」と力むことがないから「ただナビゲートされるままに、自分の身体の中にイメージを描いている」だけなのだ。イマジネーションが動いているさまを、身体がトレースしていく感覚とでもいえばいいだろうか。
・・・右手の指先に小さなボールがフッと生まれ、コロコロと転がりながらヒジにたどりつく。ゆっくり意識しないとすぐに消えてしまうボール。ヒジから肩、胸。胸から今度は腹に落ちていき、左の足の付け根、ヒザ、足首、土ふまず、指先…こんなイメージを描きながら、参加者は動いているのだと思う。時間の経過とともに参加者は非常に集中した状態になっていく。いろんな動きが見られるのは、それぞれの想像しているビジョンの差異=個性/身体との会話の違いがあるからだろう。誰ひとりとして同じ動きをしていないのが興味深い。
1つ1つのさまざまな感覚が層のように重ねられていき、講師の投げかけ、他の参加者の動き、それらすべてが刺激になって、自分の中に新しい動きが生み出されていく。

(チャーミングな世界。)

ドロン氏はアフタートークで「GAGAはツールボックス。いろんな感覚を重ねて使っていくことでいろんな動きを作っていくことができます。」と話していた。これは、子どもがおもちゃ箱からいろいろ取り出して新しい遊びを見つけていくことに似ていると思う。大人は頭で理解しようとしてしまうことが多い。遊ぶということが苦手になっていくのは、きっと「わかった」と思ってから始めようとするからなのだろう。「身体は知っているのに、頭がわからないと思っているだけかも知れません。GAGAの中で投げかけられる質問や言葉に正解はありません。それによって“ハッ”とすればいい。言葉に反応した自分の感覚がすべて正解で、間違ってはいないのです。」

オハッド・ナハリンの中には「人は踊ることの楽しさをすでに知っている」という確信があるのだろう。GAGAは、その答えを身体上に浮かび上がらせるための共通言語。そう考えれば、人はすべてダンサーなのかも知れない。GAGAの広がりによって、世界中がダンスに満ちあふれたらステキだと思う。それって、すごくチャーミングな世界だと思うから。
                   (参加日:2008年9月9日(火)19:00−20:15 滋賀会館大ホール)

<< back page 1 2
TOP > dance+ > > 2008年9月号 GAGAワークショップレポート
Copyright (c) log All Rights Reserved.