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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年1月号 『たからづくし』今貂子+倚羅座


 井桁裕子展覧会
 球体関節人形作家、井桁裕子の作品が孕む「肉体の危機」

                                     Text:樋口ヒロユキ


 
 
 
        「井桁裕子」展 於・京都K1ドヲル(2007年) 撮影・筆者

■身体と批評と表現とが絡み合う人形

 ここで紹介する井桁裕子は、球体関節人形の作家だ。ダンスのサイトであるdance+に、どうして展覧会、それも人形の展覧会の記事が載るのか、奇異に感じる方は少なくなかろう。正直、私も少々無理筋であるのを承知の上で、編集部に掲載をお願いした。井桁はのちに見るように、ダンサーとのコラボレーションの多い人形作家だが、私がここで取り上げたい理由はそこにはない。けれども、その理由の説明に入る前に、まずは井桁裕子という作家について説明しておきたいと思う。
 私が初めて井桁の人形を見たのは、とある雑誌の誌上だった。東京都美術館の『球体関節人形展』を紹介したその記事は、1体の奇妙な人形の写真を載せていた。中年男性がモデルと思しき禿頭の人形。しかも人形の胴体には、ぽっかり穴が空いていて、中のがらんどうが見えている。そして穴の縁からは、いくつもいくつも小さな顔が噴き出しているのだ。タイトルは「闘病日誌—音楽家・金田真一氏の肖像人形」(2003年)。読んで字のごとく、ガンを患った音楽家、金田真一をモデルにした人形だという。


 
 
 
         「闘病日誌—音楽家・金田真一氏の肖像人形」(2003年) 撮影・齊城卓

 正直、度肝を抜かれた。単に変わった形の人形というだけなら、いくらでもある。羽根のついたもの、角のついたもの、頭の二つあるもの、腕のたくさんあるもの……。だが、のちに詳しく説明するが、そもそも人形は彫刻と違って、特定のモデルを描いた作品が非常に少ないジャンルだ。特定のモデルを描いているというだけでも、彼女の人形がきわめて特異な位置を占めているのは明らかだった。
 しかも病身のモデルを題材に採った作品となると、彫刻の分野を含めても、なかなか思い浮かばない。老人の彫刻なら少なくないが、死病の床に伏すモデルを描いた作品など皆無だろう。いわんや隠喩的な形であれ、体内のガン細胞を描いた作品など、見たことも聞いたこともない。一体どうやってモデルの了解を得たのか、モデルがこれを見てどう思ったのか。私はほとんど絶句する思いで写真に見入った。
 その後、私は別の雑誌で、井桁のこの人形がモデル本人の依頼を受けて制作されたものであることを知った。しかも井桁は、かつて彼女が精神的危機にあった際、自身をモデルにした「セルフポートレートドール」(1996年)を作り、人形制作を通じて危機を乗り越えたのだということも、私は知った。つまり彼女は期せずして、病める人間をモデルにすることで、その魂を救済したのではないか、と私には思えたのだ。1度目は魂を病んだ自分自身を、2度目は肉体を病んだ音楽家とその遺族を。だとすれば、彼女の人形は、いっけん肉体を激しく歪め、傷つけているかに見えて、再び肉体を見つめ直し、対話し、抱きあうための人形だったのではないか。そんなふうに私は考えたのだ。


 
 
 
                       「セルフポートレートドール」(1996年) 撮影・寺崎誠三

■人形作家、井桁裕子からのメール

 やがて縁あって、私は井桁の知遇を得ることができた。私はそうした考えを、井桁自身にぶつけてみることにした。面識のないままメールのやりとりが幾度かあり、その過程で井桁はくだんの「闘病日誌」について、このように経緯を明かしてくれた。
 「あの人形を作り始めたのは一度目の手術が終わったときで、まさかあんなにすぐ再発するとは考えて居ませんでした。いま思えば甘かったです。できあがったら彼の創作楽器と一緒に何かやろうか、と話していました。作品は完成し、現代美術館の展示の2ヶ月後に彼は亡くなりました。5月でした。6月にはコンサートの予定だったのに。婚約者だった女性から、入院先のベッドで彼が「あの人形の、意味が分かった」とつぶやいて涙を流したと聞きました。私は、その言葉の真意を確かめるすべもなく、取り残された気持ちで、ただ友人として泣くことしかできませんでした。
 しかしあのとき涙に暮れていたご遺族の方については「感謝してくれた」などと思うのはとんでもない、おこがましいことだという気持ちが私にはあります。まして「救った」などと言っては……。私が言って許されるのは、死に向かって闘う彼に、体力の限界まで伴走し、最善を尽くして送ったということだけかも知れません。彼は自分の死を悟っていた。並みの人間では、それを作れと言わないでしょう。私は主に造形的な興味から作り始めただけだったかも知れません。徐々に最悪の事態を意識し始めると、今度は彼の命の尽きる早さとの競争でした。作ってしまって良いのかという怖さ……。彼が亡くなってしまった世界に、その激しい意志だけ面影としてとどめておこうというのだろうか。それに自分が耐えられるのか、もう想像の範囲を超えていました。この件では救済というより、むしろ自分の弱い精神が持ちこたえられず苦しみ抜いたというのが実情です。
 やがて、当時脳裏を離れなかった「死」をあえてテーマとして、最上和子さん(筆者註・舞踏家。押井守監督の姉)をモデルにした「Double」(2006年)を作り、その後映画の仕事で高橋マリ子さん(モデル・女優)の人形「ARIA」(2006年)を作り、私はしっかり生きている人の世界に帰ってきました。またなぜか、私に見つめられたモデルの方達にとっても、その時は苦しい時期で、やがて一緒にエネルギーを取り戻していくような、ちょっと運命的なかたちで……!」
 こうした経緯を経て、私は井桁の人形に、より深い興味を抱くようになった。それは通常の人形とはまったく違うもののように、私には思えた。それは肉体を忠実になぞるようでいて、きわめて鋭い肉体への挑戦であり、批評行為でもある。そこでは肉体と表現と批評的まなざしとが、あざなえる縄のように絡み合っていると、私には思えたのだ。


 
 
 
                     「Double」 (2006年) 撮影・井桁裕子

■ナルシスティックな人形と批評的人形

 井桁はこれ以外にも、特定の人物をモデルにした人形を、数多く手がけている。精神分析医の藤田博史をモデルにした「Fujita doll」(2003年)。現代美術作家のマリオ・Aをモデルにした「Mario doll」(2003年)。舞踏家の吉本大輔をモデルにした「升形山の鬼」(2007年)。自身を含め、これだけ実在のモデルを描いた人形作家は、おそらく井桁以外にはいないだろう。
 逆に多くの球体関節人形作家は、人形を作るのにモデルを立てない。四谷シモンにはいくつかセルフポートレイト作品があるが、むしろ例外に属する。意外に思う人も多いと思うが、実は多くの作家の人形は、作者その人の顔にさえ、まったく似ていない。それは作り手の想像のなか「だけ」にある、理想的でナルシスティックな自己像である。そして多くの人形作家は、めいめいの理想とする特徴的な顔だちを、執拗なまでに作り続けるのだ。人形の愛好者が人形を一目見ただけで「これは恋月姫の人形」「これは秋山まほこの人形」と見分けられるのは、各々の作家たちがトレードマークのように「自分ならではの理想の顔だち」を持ち、作り続けているからなのである。
 これは顔に限らず体型やボディー・バランスもそうで、多くの人形作家たちは「その人ならではの理想の身体」を日々作り続けている。つまり球体関節人形とは、いっけん人の形をしていながら、その実、生身の肉体とはまったく切り離された「想像的な身体」なのである。つまり人形とは内面的で理想的な自己像を描き出すメディアであり、見る者はその自己像を共有して、ナルシスティックな世界に溺れているというわけである。
 既に見たとおり、井桁の人形はまったくこれと逆の特徴を持っている。想像上の理想の身体から出発する多くの人形とは逆に、彼女の人形は具体的な現実の顔、生身の肉体から出発する。彼女はモデルの顔だちを克明に写しとり、モデルがガン患者ならガン細胞すら作り込んでしまう。また、彼女はセルフポートレイトの場合ですら、いっさいのナルシシズムを差し挟むことなく作り上げてしまった。彼女の創り出す人形は、モデルの生身の肉体に対する、厳格な批評行為なのである。
 理想の自己像を描くナルシスティックな人形と、批評的にモデルの肉体を描き出す井桁の人形。この2つを取り上げて、どちらが正しいとか優れているとか言うことはできない。甘いナルシシズムに浸る時間も必要なら、厳しく自己や他者を見つめる時間も必要なのが、人間という生き物だからだ。そしてきわめて意外なことに、井桁のナルシシズムを排した人形は、モデルとなる人が肉体的、精神的な危機に陥ったとき、その魂を救う効用を果たしたのである。井桁自身は「救済」という言葉を避けているけれども……。


 
 
 
                       「Fujita doll」(2003年) 撮影・斎城卓


 
 
 
         「升形山の鬼」(2007年) 撮影・井桁裕子

■肉体への批評としてのダンス

 私が井桁の作品を、ほんらいダンスの紹介サイトであるdance+で紹介しようと考えたのは、まさにこうした理由による。つまり井桁の人形が肉体への批評であるのと同じように、ある種のコンテンポラリー・ダンスもまた、ダンサーによる「肉体への批評」のように思えてならなかったからである。
 暗黒舞踏の創始者、故・土方巽は、左右の足の長さが微妙に違っていたのだという。バレエのような古典的ダンスを踊ろうとすれば、おそらく致命的な「欠陥」となったはずの特徴である。けれども土方はそこから、あの過剰なガニ股の踊り、日本人の短足とベタ足ぶりを情け容赦なく人前に曝す、暗黒舞踏を打ち立てていく。自分の肉体を直視した上で、それを矯正したり乗り越えたりせず、自身の肉体をそのまま生きてしまうダンス。土方自身はそれを「肉体の叛乱」という言葉で表現したけれども、私はそこに、時代を超えて井桁の人形と響きあう「肉体への批評」を見て取るのである。
 だがここで土方巽を持ち出すことで、方々から批判の声が上がるだろう。「舞踏は突然変異」「舞踏なんか古い」「舞踏とコンテンポラリーは違う」……。なるほど。それでは通常、舞踏とは対極のように語られる、ダムタイプはどうだろう? 彼らのメンバーのある者は、同性愛や吃音というマイノリティーに生まれ、ある者は死病に冒され、ある者はセックスワーカーという周縁的職業に就いていた。彼らはそんな自身の肉体を直視し、舞台上で公然と曝したからこそ、あの巨大な感動を生んだのではなかったろうか?
 人によってはこうした見方を「ダムタイプの神話化だ」と批判するだろう。「彼らの実人生とは関係なく、彼らのパフォーマンスには純粋な強度があり、それ故に人は感動したのだ」と。だが、これは単なる強弁としか私には思えない。同性愛や吃音、死病やセックスワーカーといった言葉をまったく抜きに彼らを語った言葉を、私は見たことがない。やはり彼らは肉体への批評者であり、自らの肉体を抱きしめた表現者だったのだ。
 こうした「自身の肉体を直視し、批評し、抱きしめるダンス」を、いまのところ私はわずかに数人しか指摘できない。ときに流血しながら強固な物体を破壊するパフォーマンスを提示した丹野賢一。『禁色』におけるメフィストフェレスのような老作家、檜俊輔を、片目の異貌を曝して踊った伊藤キム。女性の性欲と権力欲と暴力すれすれのセックス観を執拗に舞台から語り続ける、きたまりとKIKIKIKIKIKI。贅肉だらけの肉体を渾身の力で痙攣させ続け、情動失禁さながらのダンスを見せる山田知美……。いずれも自身の肉体を直視し、そこから表現を立ち上げたダンサーたちだ。そして、こうした人々のことを考えるとき、私の脳裏にいつも決まって浮かぶのが、井桁裕子のあの人形なのである。

■肉体の危機と現代の表現

 私は全てのコンテンポラリー・ダンスが「肉体への批評」である、などと言おうとしているのではない。むしろ、こうしたダンスの反対の極には、自己の肉体への揺るぎない自信とナルシシズム、踊る喜びにあふれたダンスがある。あるいは自らの肉体の質を不問に付した上で、純粋に運動の美学を追い求めるダンスもある。そして人形の場合と同様に、どのダンスが正しいとか優れているとか言うことはできない。むしろ井桁の人形が異色であるように、こうした肉体への批評を孕むダンスもまた、例外的でマイナーなダンスなのかもしれない。
 だが私自身に限って言えば、より強く引きつけられるのは、こうした肉体批評的なダンスである。ダンサーが自身の肉体に、コレオグラファーが踊り手の肉体に、根源的な差異なり不均衡なりを見つけ、公然と人前で曝すダンスである。
 批評を英語で言えば“Critique”だが、その語源はギリシャ語 の“κρισισ(krisis)”、英語で言う“Crisis(危機)”に遡る。つまり批評“Critique”とは「危機の局面において、のるかそるかの分かれ目を判別する」というニュアンスを含んでいるのだ。井桁裕子の人形や、ここに挙げたダンサーたちは、まさに自身の、あるいは他者の肉体の根源的な危機を見つめ、のるかそるかの剣が峰を、人形のかたちで、ダンスのかたちで歩き続ける作家たちである。そして私は、こうした肉体への危機感を表明する一連の表現に、どうしようもなく惹かれてしまう。
 より大きな視野を採るならば、こうした「危機に立つ肉体」を曝してきた作家は、至る所に見つかるだろう。70年代に自らの身体を鉤針で貫いて吊り下げ、ギャラリーに展示してみせた、オーストラリア出身の美術作家、ステラーク。自分の顔に20数回もの整形手術を施し、西洋の伝統的美術が強いる「美女の顔」に変えてしまおうとしているスペインの美術作家、オルラン。展覧会会期中の24日間、真っ白な箱の中に自らを封印してしまった美術作家、飴屋法水……。文学の中に、演劇の中にこうした例を探していけば、リストはもっと長大なものになるに違いない。
 こうした「危機に立つ肉体」の起源はどこまで遡るのか、過去のものと比して現在のそれがどう違うのか、いまの私には十全に語る用意がない。ただ、現代における肉体に目を凝らすなかで、確実に言えることがある。いっぽうに身体改造や自傷行為、整形手術の流行などによる「危機的肉体」のカジュアル化があり、いっぽうに電子メディアの異様な発展による「肉体そのものの消失」があるという、紛れもない事実である。単純に言って、いま肉体は危機に立っている。それだけは間違いのない事実である。

                                       (本文中敬称略)

●注記
私が実際に井桁さんの作品の現物を見たのは、2007年12月2日(日)〜26日(水)、京都K1ドヲル青山にて開催された彼女の個展である。同展で展示された人形には、上記の本文中で触れた人形は含まれていない。結局、私は現物を見ることなく執筆し、事実関係そのほかに間違いがないかどうか、作家ご本人にチェックを請うという変則的なかたちで、この原稿を完成させた。京都K1ドヲル青山で私が拝見した人形は、ここで私が述べたい論旨とは合致しなかったため言及は控えたが、冒頭に掲げた写真の通り、井桁さんのまた別の魅力を確実に伝えるものであった。変則的な原稿作成のプロセスを認めてくださった井桁さん、同氏の人形の実物を関西で見る機会を用意してくださった青山さん、そしてこの無理筋な原稿の掲載を認めてくださったdance+編集部に、改めて厚く御礼申し上げる。ありがとうございました。


樋口ヒロユキ:美術評論家。著書に『死想の血統』(冬弓舎)。3月22日、朝日カルチャーセンター新宿教室にて単発の講義を予定。

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